9
『すいません、秋也なんですけど、刑事さんが来られたあと、急に気分が悪い言い出して、今部屋で寝込んでるんです』
携帯電話の向こうで、秋也の母は実に済まなさそうに言った。
なんとか秋也に会い親友の静也の事をぶつけて見たい。
そう思った桐生は、なんとか面会のチャンスを作ろうと彼の自宅に電話をした。
しかし、答えはコレ。
訝しく思いカマを掛けてみる。
「そんなんですか?残念です。ゼヒともお伺いしたい事があって秋也君に会いたかったんですが、お風邪ですか?病院には行かれましたか?」
桐生の問いに、母親は声を押し殺して答えた。
『あの、その、熱とかは無いんで病院には・・・・・・。多分、精神的な物や思います。あんな事があって、その上見知らぬ大人に色々質問されて・・・・・・。あ、いや、別に桐生さんを責めてる訳や無いですよ』
慌てて取り繕う彼女だが、本心は言葉の前半にある。これ以上食い下がるのは止めて置こう。今の所は。
そう判断し、詫びを述べて電話を切る。
それにしても、この態度の急変はなんだろう?
息子はともかく、昨日までは協力的な母親までもが警察と距離を置きたがり始めた。
わが子が嫌がる様子を見て可愛そうに思っての事だろうか?
その疑問は、その日の夜、捜査員達が署に戻った時に氷解した。
「一体、どないなっとんねん!?」
なかば怒声に聞こえる庄原の声。
それに曝される捜査員らはうな垂れるしかない。
「けど、係長、昨日まで機嫌良う話してくれた生徒の親らが、今日になって貝みたいに口噤み始めたんでっせ、まるで示し合わせたみたいに」
そう声を上げたのは四係の刑事、べつの者も和する。
「こっちもそうです。話すことは無いとか、忘れたとか、居留守使う家もある。なんか有ったんちゃいますか?」
完全に困惑した顔で桐生を見てくる庄原。彼女もこめかみを押さえるしかない。
他の父兄も、秋也の母親同様の態度を取る様に成っている。
警察への拒絶は良くある事だが、こんなにも時期をあわせて一斉に非協力的になるとは、背後に何らかの意図が働いているに違いない。
一瞬、あのビジネスマン然とした学園長の顔が脳裏に浮かぶ。
その時、尾上が肩を怒らせ大またで会議室に戻ってきて開口一発。
「やってくれましたわ!あの大江とか言う学園長」
と、押し殺した怒声を上げた。
眦は釣り上がりジャケットの上からでも筋肉の強張りが見て取れる。
「どういうこと?」思わず桐生は聞き返す。
「昨日の晩、学園長の要請で緊急のPTA会議が召集された言うんです。その中であいつ『今回の件では警察は行き過ぎた偏向捜査をしてる節がある。生徒の人権、学園の名誉を守る為にも、その様なものに積極的に協力するのは如何なものか』とかぬかしよったとか」
そこで一旦言葉を切った尾上は、桐生や庄原を睨み、続けた。
「暗に圧力を掛けたんですよ。父兄に」
学園の評判を守るために捜査の妨害を目論んでいる?
そんな馬鹿なと思いつつ、だが一方で大江なら遣りかねないという思いもある。
ひょっとして、一年前の転落事故も彼が工作して事の拡大を防いだのでは・・・・・・。
突然、懐の携帯電話が鳴り、取り出すと理事官からの着信だった。
まさかと思いつつ、電話にでる。
『今しがた、谷田署の署長からこちらに連絡が有ってね、死亡した生徒が通ってた学園の代理人をしてる弁護士から抗議の書面を受け取ったそうだ。中身は、察しが付くとは思うが』
電話を握る手に力がこもる。自分でも眉間に皺がよってゆくのが解る。
『あの学園長、府の公安委員あたりにコネがあるらしい。少々うざったい人物だ。対応には十分注意し、いらんちょっかいを出されない範囲で捜査は進めてくれ』
一方的に通話は切られ、何処かに携帯を叩き付けたい衝動をなんとか押さえ込んで懐に戻す。
何度か大きな深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着け、冷静な思考を呼び戻す。
「電話は?どちらから」
庄原の問いに渋面で桐生は答える。
「理事官から・・・・・・。ここの署長宛に、学園の代理人いう弁護士から抗議の手紙が来たそうよ」
「ま、ここまで圧力まがいの事して来る言うことは、あの学園長も、コレが単なる生徒の事故死や無いと思うてる言うこですな」
そう言うと庄原は呆れた風で首を振る。
桐生は、捜査員一同を見渡し、言った。
「理事官も慎重に捜査を進めろと指示してきたわ、鑑取り班には悪いけど、明日以降は地取り班に合流して聞き込みに参加して、乗降客の目撃証言を掴むしか突破口は無いわ」
全員が強く頷いたあと、庄原により班の再編成が指示され、今日の捜査会議は終了となった。
テーブルの上に広げた資料やメモをあのネコの死体風鞄に詰め込みつつ、庄原が呟く。
「面子そのものがブランドの名門私立小学校。なんか私らの上と似てますなぁ」
それには苦笑しか出なかった。
夫と娘の待つ官舎に帰るべく、専用車の止めてある駐車場に向かうため会議室を出て、署のロビーに差し掛かったときだった。
「あ、ちょうど良かった桐生管理官殿、お電話です」
と、彼女を呼び止める声、見ると受付カウンターの向こう、当直の地域課巡査長が受話器片手に立っていた。
それは『1234』で終わる署の直通電話。いぶかしく思い聞いた。
「誰から?」
「子供の声で茅野秋也と名乗ってます。女の刑事さんで桐生さんって居ますか?との事ですが」
ほぼ反射的に体が動いていた。
カウンター越しに彼の手から受話器を取り「私やけど、何かな?」
帰ってきたのは、幼く、しかし真摯に思い詰め、緊張に満ちた言葉。
「は、話したい事があります。でも、お母さんやお父さんに聞かれた無いから・・・・・・」
腕のグランド・セイコーを一瞥し、明日が土曜日と確認したあと、
「明日、お休み?」
「は、はい」
「ほんじゃぁ、警察署の近くに公園、有るでしょ、そこでお昼に待ち合わせ、ええかな?」
しばらくの沈黙の後、小さな声で「はい」との返事。
「じゃぁ、待ってるね」と勤めて軽く返し受話器を返した。
保護者の居ない環境で、未成年者から話を聞く。極めてリスキーな行為だ。
しかし、桐生はあえてそのリスクを負うことにした。いや、負わざる終えない気持ちだった。
刑事として、母親として、あんな悲痛な子供の声を聞かされて、動かぬ者がどこに居る?