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「一年前にも聖杖学園の生徒が、この駅のホームから転落してますなぁ」
そう、昼頃に戻った四係の刑事、尾上が桐生に報告した。
三十半ばと言うのに頭はとろろ昆布、又ずれでズボンが直ぐにダメになるのでジャケット&パンツが何時ものスタイル。
その頭髪とふくよかな体系で一見、風貌はお人よしに見えるが、中身は中々どうして獰猛なデカのそれ。
桐生は彼を見ると、娘が大好きなアニマル・プラネットで見たイタチの仲間のクズリとか言う猛獣を思い出す。
「署長、ご記憶はなかったんですか」
庄原が半ば問い詰めるような口調で言うと、彼はあらぬ方向を仰ぎ答えた。
「ああ、そういえば。まぁ、あれは事故として処理されましたんで記憶が無かったですね」
不審そうに署長をねめつけたあと桐生は尾上に問う。
「詳細は?」
「マル害は当時四年生やった里村静也、十歳。今回の現場と同じホームから転落、轢死してます。当時は当然所轄署のみで捜査して、複数の目撃証言から事故やと断定されてます」
桐生は、尾上が差し出したメモを受け取り目を通す。
「事故発生時刻、午後四時十五分」
この箇所で思わず視線が止まり、うなじが逆立つ感覚に襲われる。
仲田瑛児が転落した時間と同じだった。
「署長、当時の捜査記録、まだ有りますよね?」
内心の動揺を押し殺し桐生は言う。
「ええ、まぁ、一年前ですからまだ・・・・・・持ってこさせますか?」
「早急にお願いします」
しばらくして警務課の女性警官が持ってきたファイルを、桐生と庄原は食い入るように見つめることになる。
そこには目撃者として、仲田瑛児ほか数人の同級生の名があった。
「ご存知の通り、わが校の生徒のご父兄は、そこそこ社会的地位の有られる方ばかりですが、社会性を身につけさせる為に遠方の生徒には、公共交通機関による通学を奨励しております」
そして、聖杖学園長の大江はいかにも沈痛そうに眉をひそめ、視線を落とし続けた。
「しかし、それが裏目に出たのかもしれません・・・・・・学園長として責任を感じますね」
伝統ある私学の学園長室と言えば、木目も鮮やかな重厚な調度で統一されていると思っていたが、ここはまるで成功したベンチャー企業の社長室を思わせる風景だった。
金属や樹脂を多用し、モノトーンで統一された先進的なオフィス家具、巨大な液晶モニターを装備したパソコン、らしいものと言えば校旗と歴代学園長の肖像絵くらいなもの。
仕立ての良さそうな明るいベージュのスーツの上に乗っかる顔は、撫で付けられた黒髪、怜悧そうな一重まぶたの目、教育者と言うよりは経営者と言う言葉が似合う風貌だ。
「私共が調べた範囲では、ご指導の方法に問題点は見られません。むしろ徹底されているとも言えます。お気に病まれることは有りません」
そう、一度評価して見せて、桐生は確信に切り込む質問を投げる。
「目下、捜査本部が興味を持っておりますのは、生徒間のトラブルの方です。こちらの方をクリアにしませんと、目撃証言や物証の解釈が付きません」
途端に大江の態度が変わる。居住まいは正され 桐生を見る目つきは冷たさを帯びる。
「それを調べられると言う事は、生徒や父兄に話を聞かれると言うことでしょうか?」
「はい、すでに何人かお話を聞きたい方は居ます」
「今回の事故に関して、わが校生徒やそのご父兄にお話を聞かれるのは結構です。再発防止の観点からも私共もご協力させてもらいます。ただし、この件と関係ない事柄での面談は控えていただきたい。こんな事故が起きた直後です。いらん動揺を与えたくないですし、プライバシーの保護の観点からもね」
「出てきた証言が、今回の件に関係あるか無いかは、当方が決めます」
桐生の静かだが強く口調に大江の目は見開かれる。こめかみが痙攣し小鼻が膨らんだ。
「なるほど、解りました。ただし、明らかに行き過ぎがあると判断される場合は、抗議させて頂きますよ」
半ば投げつけるような物言いに対し、桐生は慇懃に頭を垂れてみせ退室した。
下校時間を過ぎ、誰も居ない学園の長い廊下を歩きながら、先ほどまで隣で座り一部始終を聞いていた庄原が言った。
「あからさまな拒絶反応ですな、アレは」
「伝統ある私立の学校やったら、風評を気にするのは当然でしょうけど、あの反応は露骨過ぎるわ」
「案外、一年前の転落事故を掘り返すのも悪無いかもしれませんなぁ」
庄原の言葉に桐生は立ち止まると振り返り彼を見据えた。
「その為には、マル害の真後ろに居った人間を特定せんと・・・・・・学園長の許可も一応もらった事やし、この子の事、聞きに行きましょ」
そう言って懐から、あの手を振っていた少年の写真を取り出した。
職員室も学園長室同様機能性一点張りのシンプルなレイアウトで、紙資料の類も見えない。すべてPCで処理している様だ。
そういえば、だれもジャージ姿のものは居ない。折り目の入ったパンツにワイシャツ。せいぜいニットのベストを着るものが数人居る程度。誰も教員に見えない。
シルバーフレームのメガネを掛けた、細面の神経質そうな教務主任に少年の写真を示す。
メガネを直しながら、桐生の顔と写真を何度も見比べる。
「彼が、何か?」
積極的に答えたくないのは学園長の方針に従っての事だろう。
「仲田瑛児君が転落したホームの真正面で列車を待っていた子です。ひょっとして、何か見ていないか思いまして、こちらの生徒さんですよね?」
一瞬、迷惑そうな顔をしたが、職員室内を見渡し、教師を一人手招きした。
「彼、君のところの生徒ちゃうか?」
呼ばれた教師は写真を見つめ「はい」と頷く
「間違いありません、茅野秋也、五年四組の生徒ですけど」