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「で、その薮内陽菜ていう女性、背後はちゃんと洗ったのか」
大阪府警本部、刑事部捜査一課、課長室。
課長のデスクの前に立つ桐生に向かい、眉間に皺を寄せた理事官が詰問する。
「洗いました、徹底的に。結果、茅野秋也や里村静也はおろか、聖杖学園関係者との接点は微塵も確認できませんでした」
「それならなぜ彼女はあんな似顔絵を描かせた?」
苛立ちに語気を荒げる理事官を他所に、桐生の目の前で座る一課長、畑健二は問題の似顔絵を、ただ黙って見つめていた。
その彼の姿を眺めながら桐生は答える。
「自分が見たものを、そのまま証言し、その結果できた似顔絵としか言い様がありません」
「馬鹿なことを言うな!」
その押し殺した怒声は、しかし何処か力が抜けていた。
「それなら何かね?彼女は亡霊を目撃したとでも?その亡霊が恨みを晴らすため仲田瑛児をホームから突き落としたとでも言いたいのか?」
似顔絵をデスクに置き、畑は理事官に言った。
「君、それを言うたらアカン。ここにこの三人が集まってるのは、そういう結論を出さんようにするためや、ちゃうか?」
畑の言葉に理事官は沈黙し、桐生は目を閉じてため息を付く。
「ランドセルの指紋と掌紋、あれも厄介やなぁ、まさか全校生徒の指紋を取るわけにも行かんし・・・・・・」
そんな畑の呟きに即座に理事官が答えた。
「当然です。ただでさえ学園側は非協力的なのに、そんな事したら人権問題への発展は必至です」
「なら、里村静也の指紋と照合してみますか?彼の遺族に依頼すれば、何か見つかる筈ですが」
桐生の挑戦的なセリフに、反応しようとした理事官より先に、畑は、
「・・・・・・もし、合致したら、わが大阪府警が犯罪史上初めて幽霊の指紋を採取した警察機関。いうことになるなぁ」
呟き、意地悪げに笑って見せた。
「捜査は、中止ですな」
理事官の放った言葉に桐生は即座に反応した。
「ホシは上がらないあがらないかもしれません、けど、事件の背景にある物は見過ごすわけには行きません。いじめの事実を放置し、その結果引きこされた事件までも権力をふるって隠蔽、またもや生徒の命に関わる事態を覆い隠そうとするあの学校の体質は看過できません」
「君は警察幹部だろう!新米みたいなことを言うんじゃない!!」
たまりかねたと言わんばかりに吐き捨てる理事官を、桐生はあえて見ようとしなかった。
見つめれば、その視線は必ず剣呑な物に成っていた筈だ。
「今の段階で捜査の中止はないな」
畑の言葉に理事官は目を剥き、桐生も少し驚いて彼を注視した。
「この似顔絵は別として、掌紋に複数の目撃証言、こんだけ事件性を示す材料があって、まだ第一期(一ヶ月)も経ってないのに帳場は畳めんわ、ただし、規模は縮小せなあかんやろな」
そこまで言うと、畑は桐生を見つめ返し続ける。
「特に、君、君はこっち戻って来い」
何か言いかけた彼女を畑は掌で留める。
「君みたいな優秀な人材を、実りの無いヤマに貼り付けるのは資源の浪費や、四係の連中も然り、こっちへ戻って、生きてる本物のワルと戦え」
胸を撫で下ろした風の理事官は、畑の言葉に被せるようにして言った。
「本来なら、帳場を立ち上げた君の判断の甘さも指弾されるべきだが、一課長も君のキャリアを思って言っておられる。指示に従いたまえ」
奥歯が音を立てて噛み締められ、握りこぶしが蒼白になる。
冷静さを呼び戻すため腹に空気を送り込み、小さく素早く吐き出す。
興奮は幾分か収まったが、心に居座ったやるせなさは出て行きそうにも無い。
「この仕事してたら、腹に収まらん不条理を何べんも食らうことになる。君も此処まで来るまでに無数の不条理を味わったやろうけど、今回は一味違うた様やな。これもキャリアの一つと思うて、乗り越えや」
その桐生の気持ちを察したような畑の言葉。
沈黙したままの彼女は一例した後、課長室を辞そうと踵を返した。
その背中に、畑は声を掛けた。
「ま、そもそもが、このヤマ自体、わしら人間が扱うべきや無かったいうことかも知れんなぁ」
再び桐生は畑に対して向き直る。
しばらく互いに見つめあい、ややあって彼女は深々と腰を折り、二度目の最敬礼を残して部屋を出た。