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谷田署の強行犯捜査係の部屋にある応接に通されたのは、二十代前半のスーツ姿の女性だった。
良く手入れされた黒いセミロング、ナチュラル系のメイク、見慣れぬ世界を前に、好奇心一杯で世話しなく動く大きな目。
別段の不品行も行わず、今日まで概ね順当に世を渡り暮らしてきた女性。
つまり、目撃者としてはまず合格と言った感じの人物に見えた。
庄原が素早く手渡してきた資料に目を走らせる。
名前は薮内陽菜、去年デザイン専門学校を卒業し、今は北区の広告代理店に勤務中。
現住所は東淀川区の賃貸マンション。実家は兵庫県。基本、現場近辺は彼女の生活圏では無い。
ただ、彼女の勤め先が取引をしている健康食品の販売会社が谷田北駅近辺にある。
そこに原稿を取りに行き、会社に戻る途中で事件の現場に居合わせた。との事らしい。
手にしていた封筒はその健康食品販売会社の物だった。
ビニール・レザーのソファーの上に緊張して小さく座る彼女に、桐生は身分証明書を見せ名乗る。
「女性の方で、警視さん。カッコ良いですね」
べんちゃら、ごますり、嫌味、それらの一切無い感嘆。
自然に柔らかい表情が作れると感じた桐生は、手を振る茅野秋也を捉えた写真を彼女に示した。
「薮内さん、この男の子の隣に写っているのは、貴方で間違いないですね?」
「ハイ!」
やたらにハキハキした返答に、桐生は微笑んでみせ次の質問を投げる。
「この日は、なんでこの駅を利用したんですか?普段は使われない駅の様ですけど」
「うちの会社がお仕事いただいてる先がこの駅の近所に有るんですけど、この日急にお仕事のオファーがあってその原稿を取りにいったんです。でも私そこ行くの初めてで、途中で道に迷って・・・・・・それでこの時間に」
恥ずかしそうに答える彼女。確かに取引先の話によると予定より二十分遅れてやって来たらしい。まったくこの辺りに土地勘が無い証拠ともいえる。
「じゃぁ、事故の事って、覚えてますか?」
「はい、覚えてます。ビックリしました!・・・・・・向こうのホームで、制服来た男の子が線路めがけてよろめいて、あっアカンって思わず目、背けました」
眉をひそめ、苦しげに答える彼女。たしかに愉快な記憶ではないに違いない。
「ごめんなさいね、嫌な質問して、続けていいですか?」
「あ、大丈夫です、ゼンゼン平気です」
そう首を千切れんばかりに彼女は振る。桐生は更に質問を続けた。
「よかった。でも辛くなったら、何時でも言うてくださいね。じゃぁ、この写真、もう一度見てください。貴方は向こうホームの方を見てますね、何を見てたました?覚えてますか」
「あの時、目を背けたら、その先に男の子が居たんです。落ちた子と同じ制服着た、女の子みたいに可愛い子。その子、じっと前を見てるんで、『あっ、轢かれた所みてしもうたんや、可哀想に』って思うてたんですけど、その子、しばらくして急に手を上げて振り始めたんです。それで、誰に向かって手振ってるんか気になって、向いてる方向と同じ方、見てみました」
事の核心が近づいた。桐生はそう感じた。
「そこに、誰か居ましたか?」
「はい、大勢の大人の人にまぎれて、男の子、手ふってる子や落ちた子と同じ制服の」
「人相は覚えてますか?」
「はい」
「似顔絵の専門家を待機させてますけど、来てもらっていいですか?」
すこし彼女は言葉を切って、何か考えている様子だったが、やがて桐生の目を見つめ答えた。
「ゼンゼン大丈夫です。結構はっきり覚えてますから」
桐生は庄原に目配せを送り、彼はすぐさま応接を出た。捜査本部で待機する、府警本部鑑識課の似顔絵担当者を呼ぶために。
「お姉さん、べっぴんさんやなぁ、わし、アンタみたいなべっぴんさんの似顔絵やったら、何千枚でもエエから描きたいわ。悪党の面ばっかりかくのもう飽いた」
この道十数年、他府県警にも指導に赴き、警察庁主催の都道府県警対抗の似顔絵コンクールでも常にトップを争う似顔絵捜査のオーソリティは、常にこんなフランクな会話から仕事を始める。
目撃者の心の強張りを解し、冷静な記憶を呼び覚まさせる。これが彼のテクニックだった。
事実、薮内陽菜は涙を出して笑い転げ、すっかり彼と打ち解けて証言に望むことが出来き、緊張することなく自分の見た相手のディティールを語り、それを元に画用紙の上で様々な濃さの鉛筆が踊り、徐々に彼女の記憶が二次上で具象化される。
「よっしゃ、出来ましたで管理官」
そうして目の前に差し出された完成品。
桐生は今まで味わったことの無い戦慄を覚え、完全に言葉を失う。
庄原はその背後で「んなぁ、アホなぁ」と力なく呟いた。
詰め入りの制服に身を包み、優しく微笑む少年の顔は、里村静也、その物だった。