序
冬の夕暮れ、暗い朱を交えた空に、甲高く、しかし重々しいブレーキ音は響いた。
駅のホームを根城にする鳩どもは肝を潰して舞い上がり、汚らしい羽毛を散らし、人々は外気以外から遣って来た戦慄で身を凍えさせた。
決して人が立ち入っては成らぬ線路と言う異界に、その小さな肉体は踊り出し。膨大な質量と途方も無い力を秘めた鋼鉄の箱たる列車は、一片の慈悲も無く、肉も骨も内臓も魂も、四部五列に引き裂いてゆく。
空走した準急列車は、ホームの端に後部車両を少し残す形で停車し、顔面蒼白な車掌が飛び出し線路に飛び降りると、何とか人とわかる程度の小さな肉隗を発見し、更に顔面の蒼さを深める。
その、人だったモノの傍らには、持ち主同様引き裂かれたランドセルが、転がっていた。
大阪府警刑事部捜査一課の管理官、桐生真琴がその報に接したのは、他県警との捜査技術向上を目指す交流事業の打ち合わせを終え、自分のデスクに戻った時だった。
捜査一課が置かれている部屋の天井から吊るされた、警察無線の音声を流すスピーカーが、実に無機質な声で一つの小さな命の終わりを淡々と告げる。
端整な眉を一つ潜ませ、部下が入れてくれたコーヒーを啜る。
カップは、この春六年生に上がった娘が絵付けしたマグカップ。一瞬、無線の声が脳裏まで届く。
『なお、マル害(被害者)にあっては、近隣の聖杖小学校に通う生徒と思われる・・・・・・』
小学生?何年生くらいか?
同級生とじゃれ合ってその末転落したのか?
ひょっとして混雑するホームで人に押されて落ちたのか?
業務上過失致死で捜査もありうるのか?
そうなれば所轄のみの捜査で足りるのか?
自殺の線は無いのか?
もしそうならばいじめが原因か?DVか?
刑事の職を拝命して十数年、完全に脳細胞の配列がデカのそれになっている事を改めて自覚する。
一人の子を持つ親として、なぜ真っ先に憐憫の情が湧かないのか?
なるべく周囲に悟られないように苦笑していると、彼女を呼ぶ声が聞こえた。上司である理事官だ。困ったような表情を見せ、手招きしている。
半ば反射的に立ち上がり、早足で彼のデスクの前に立つ。
「桐生君、直ぐに谷田署へ行ってくれるか?」
「谷田署ですか、まさか小学生のホーム転落の件で」
怪訝な顔の桐生にさらに彼の口元がゆがむ。
「現着した機捜(機動捜査隊)が、マル害が誰かに突き飛ばされた様に見えたいう目撃者を見つけてきたらしい。悪いが在庁の四係を連れて帳場(捜査本部)を立てる必要が有るかどうか見極めてくれ」
ふと振り返ると、彼女の背後では四係の面々が臨場の支度を始めていた。
係長の庄原康隆が、その五部刈り頭を一撫でして、ネコの死体のようにくたびれた書類鞄を机の下から引き出している。
「桐生管理官、何時でも行けます」
彼の言葉に頷き、桐生は理事官に言う。
「では、行ってまいります」
一礼し、自分のデスクに戻ると、コートハンガーから黒いアクアスキュータムのショートトレンチを引っつかむ。
四係の面々を引き連れ、部屋を出つつ、何時、娘や府内の所轄署で警務課長を務める夫に、どのタイミングで「本日より帳場入り」の連絡を入れるかを考えていた。