【論文】国家社会主義運動の目的
はじめまして、ネット政党富国日本党党首の舘東徹と申します。
ここでは、富国日本党とは関係なく、私個人として、国家社会主義運動の目的について話したいと思います。
まずはっきりさせておきたいのは、私は、小泉構造改革に代表されるような、日本の新自由主義運動、アメリカナイズに反対です。行き過ぎた資本主義は、もともと格差の少ない日本に格差と行き過ぎた競争、弱肉強食社会をもたらし、結果的に人身を荒廃させ、民力は疲弊します。適度な競争は社会を活気付けるものですが、それがゆきすぎれば国民は疲弊します。
そして社会に残るのは80%の下流と20%の上流です。庶民は消え、上流はいい教育を受けてその子供は上流になり、下流が上流に這い上がるチャンスすらもいずれ失われます。階級が固定され、いずれは擬似貴族制度のような状態になるのです。
今日本に必要なのは、そんな社会を実現させないために、下流、貧困層の人々にチャンスを与え、何度でもトライできる支援制度を実現させることです。
現在ある支援制度、生活保護のような現物支給型支援制度も必要ですが、生活保護を受けている人がそれに甘んじて、どんどん国の「お荷物」になっている感が否めません。生活保護がその人のチャンスになっているとは到底思えません。
トライ可能な社会の一つのモデルとして、私は江戸時代の人足寄せ場を提示したいと思います。
人足寄せ場とは江戸時代の、犯罪人や浮浪者を収容し、職業訓練を行ったところです。国家が定職についていないものを収容し、職業訓練を行います。それには賃金も支払われ、職業が身について社会に定着可能とみなされたら出ることが出来ました。
これは江戸時代の人返しと連動して行われた人民管理のための施策の一つですが、これは現代にも応用可能ではないかと思います。すなわち無職者をどこかひとつの場所に収容し、職を身につけさせるという事です。生活保護よりも長期的には多大な効果があり、失業問題は解決、トライ可能な社会の実現にぴったりではないでしょうか。
現在の支援制度は、ただ金を渡すだけ、背中を押すということを考えておらず、見方次第ではとても無責任だと言えます。
そして、そういった、国家が国民に対して責任をもって世話をするという制度の実現を目指す運動こそが、国家社会主義運動なのです。資本主義の社会の中で発生する様々な問題を、国家が責任をもって解決する社会を目指しているのです。
国家社会主義運動で、日本にトライ可能な社会を実現させる…これが私の夢です。
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