第31話 ジラークへ 2
ロイの突っ込みに返す言葉はなく、シルビアは行ってしまった。トイレに行きたくなったらどうすればいいのだろうか、とロイはぼーっと考える。
あの時、確かに自分は死んだはずだ。圧倒的な力を前にして。けれども生きている。それに、あの時感じた感覚。
「ガイガンを倒したのは君かもしれない」と、ギンはロイに言った。けれどもそんなことは不可能なはずだ。術の存在を知りもしなかったあの頃のロイに妖怪を倒せるのならば、こんな渾沌とした世の中にはなっていない。あの時保留にした「幸運」と向き合わなくてはいけない。だがしかし、答は絶対に出ないだろう。
「あっ、聞きそびれた。エリナとベルゼは生きてんのか?」
死んでいるはずがない、と自分に言い聞かせた。死んでいたらシルビアも何か言うはずだ。あの2人とは無関係だという訳じゃないのだから。
コンコン、と部屋の外でノックがした。ロイのほかに返事をする人がいないのをみると、どうやら個室でドアもついているようだ。セーフ。
「失礼」
と言った声は知らない声だった。いや、どこかで聞いたことがあるような気がする。
「ロイ=クレイス君。やっと会えた」
「?」
その男は身動きのとれないロイを慮ってのことだろう、ロイの顔を覗き込むようにした。
「覚えてないかな。君に助けられた者なんだけど」
思い出すこと数秒。ようやく思い当たる。
「ああ、盗賊の時の・・・」
男はニコリと微笑んだ。気付かなかったのも無理もないのかもしれない。あの時は暗かったし、表情が怯えを呈していた。そもそもロイは物覚えの良いほうではないのだ。
「一言礼を言おうと探していたのだが、運命というのは素晴らしいな。あの時は本当にありがとう。君のお陰で私たち一家は救われた」
ロイは思い返す。彼らとシルビアを助ける代わりに犠牲になった人がいる。その人たちを尊い犠牲と割り切れるほどロイは物分りはよくない。
先日の討伐にしたってそうだ。確かに魔物を討伐し、航路が開けた(本当に開けたのかロイは知らない)が、その代わりに何人も死んだ。バーカギルへ行く、あるいは戻ってくる人々はそれを知るのだろうか?知ったとして何かを感じるのだろうか。
もちろんロイだって「全部救う」なんてのが無理だとわかってる。ガルガイアでだってドートリアでだってジルコナでだって無理だった。ロイが救おうと手を伸ばしても届かない人がたくさんいた。その度に痛烈に思う。強くなりたいと。
「大丈夫かい?」
男は言う。その笑顔は着ている白衣同様まっさらで、表も裏も感じさせない。それが逆に痛かった。痛くて怖かった。この人は犠牲になった彼らは意味のない、あったとしても極々小さなものだと考えているのかもしれない。裏を見ようとしてしまう自分が目の前の男よりも怖かった。人間を嫌ってしまうのが恐ろしかった。
「ええ、なんとか。まだ身体が動かないようですけど」
ロイは表情のない声で答える。
「連れの二人の話を聞くと度々あることらしいね。しかし気をつけたほうがいい。若いうちからそんなに身体を酷使していると命に関わる」
エリナとベルゼは、生きているようだった。ロイはほっと息を吐く。
「ここの病院は私が経営しているものでね、用ならば何でも言ってくれ。せめてもの恩返しに治療費はいらないよ。それにバーカギルまで行くんだってね。その際の旅費も私が負担しよう。なに、気にする事はない、まだまだ足りないくらいの恩を私は君に受けている」
言って、男は身を引いた。そのまま別れの言葉を告げて部屋を出て行く。パタン、という音が胸に響いた。
「・・・ああ、眠い」
あるいは、そのまま眠ってしまっていたかったのかもしれない。けれど、やはりそれは違うのだろう。ロイが目覚めたのはロイが生きたかったからだ。そして生きているからには戦わなくてはならない。ロイの生きる道は獣道でも街道でもなく洞窟だ。ほんの少し先すらも見えないのに、道は一本しかない。いや、もしかしたら分かれ道があったのかもしれない。今いる道は間違った道かもしれない。しかし、行き止まりまで止まることはできない。深い洞。洞の虚。そう、まるで人の心の闇のような―――。
ロイは再び眠りに落ちた。
「うん、だからね、やっぱりあたしもおかしいと思うのよ。あたしは術のことをよく知らないけど、普通あんなことできないでしょ」
「まあ、そうかもしれないね。俺もあんな圧倒的な力は寡聞にして聞いたことがない。遠くから見ていても分かった、あれは異常だ。人間とか化け物とかそういうレベルじゃない。もしかしたら妖怪っていうのはああいう感じなのかもしれないね」
「でも、ロイは人間よ!」
「わかってるよ。わかってるから。・・・だけどわからない。分かっているのはロイが圧倒的な力でアクトヴァザードを倒したっていう事実だけだ」
2人の話し声がして、ロイはうっすらと目を開けた。
「あ、ロイ。生きてる?」
目覚めたロイに気付いてエリナがこちらを覗き込んだ。ロイは頷く。どうやら少しは身体が動くようになったみたいだ。
「エリナ、怪我してるみたいだな」
エリナの顔はガーゼが張ってあった。首を動かして見ると、腕も吊っていた。
じわりとエリナの目に涙が浮かんだ。
「バカ。自分の姿を見てからものを言いなさい」
「そうだな、気をつける」
ロイは笑い、エリナも微笑む。エリナは腰を落として椅子に腰掛けた。ロイはそちらに目を向ける。
「ベルゼも、元気そうだな」
「まあね」
ベルゼは微笑まなかった。じっと、ロイの目を見る。
「ロイ、一体あれはなんだったんだ?」
ロイは首をかしげる。今度は首をかしげることができた。
「アクトヴァザード―――あの蛸みたいな魔獣を倒した時よ」
ロイは眉根を顰めた。意味がわからない。ロイはあの時気を失って・・・
気を失って、どうした?気を失って、頭が真っ白になって、「何かが起こってロイが助かった」のではないのか?
「わからない・・・・・・」
「・・・・・・」
ロイは繰り返す。ベルゼとエリナは目を見合わせた。
「あの時、君はあの魔獣を凍らせて殺した。俺たちは目を疑ったよ。本当に圧倒的だった。神話に登場するような化け物が一瞬にして氷のオブジェになったんだからね。あれほどの巨体だから死んでいるかどうかわからないけど、知性が少しでもあるならあの航路には近づかないだろうってキリシエさんが言ってたよ」
ロイは耳を疑った。そして、その感情にデジャヴを覚える。そう、ガイガンと戦った後にギンから話を聞かされた時と同じだった。
「覚えていないのか・・・。では無意識に行ったと仮定して、一瞬にして相手を凍らせることは可能か?」
「・・・・・・無理だ」
熱の術のイメージは盆に浸した水だ。それを手で掻き集めれば、波が起こり、1ヵ所に水を集めることができる。それが高熱の作り方だ。しかし、どんなに頑張っても水のない場所は作れない。できてもほんの少し水が薄いところだけだ。そうやって熱を逃がしたり熱から身を守ったりしているが、それにも限度がある。試したことはないが、水を少し凍らせるくらいはできるかもしれない。けれど一瞬で敵を凍らせるなんてことは絶対にできないだろう。
「そうか、じゃああれはなんだったんだろうな」
ベルゼは天井を見上げた。寝ていたロイは時間を知る術を知らないが、既に外は暗く、室内では複数のランプが灯されていた。
「俺さ、南でまだ修業してたころ、同じような事があったんだ」
2人の目がロイを見ている。ゆらゆらと、ランプの明かりが輝いていた。
「相手は妖怪だった」
「妖怪!?」
エリナの驚きにロイは頷く。ガイガンの圧倒的な力と機知を思い出しながら。
「目の前で先生の腹に風穴を開けられてさ。先生は倒れて、そしてやつは俺を食おうと大口開けた。忘れもしない。・・・怖かった」
ガイと別れたあの時の次に、という言葉は口にしなかった。
「それで今回みたいに目の前が真っ白になって、気付いたらベッドの上。あの時は誰も見ちゃいなかったけど、無傷な俺が倒したっていう話になった。ただ、今回は証人がいっぱいいるからな」
無意識、という言葉で片付けるにはあまりにも都合がよすぎる。何かが起きているのだ。
そう考えていると、エリナがパン、と目の前で手を叩いた。
「まあ、それもジラークへ行けば何か分かるんじゃない?」
「ああ、そうかもね。確かにここで考えても答えが出るわけじゃないか。調査とかがあるらしくて航路の復興は10日後だから、そうしたらすぐに行こう。旅費も院長先生が出してくれるみたいだし」
ロイは頷いた。なるほど、確かにここで悩んでいてもしょうがない。ただ、その考え方は今までのロイになかったものなので、若干戸惑った。やはりエリナのおおらかさには感心させられる。
「そういえば、ディアボロスの連中はその後どうしたんだ?」
船は大破していたし、もともと討伐をした後、船はジラークに行く予定だったはずだ。
「救護船が来たのよ」
エリナは言い放った。なんだか少し怒っているような口調だった。
「もともと無事に済むとは思ってなかったみたい。で、私たちはその船に乗り込んで、ベルゼがロイを引き上げて、ティグレーに戻ってきたわけ」
用意周到なことだ。キリシエらしいと言えるだろう。ロイはベルゼに礼を言ったが、ベルゼは肩をすくめただけだった。
「港について、キリシエさん達はすぐに帰ったわ。怪我人の治療もそこそこにね」
エリナは非難がましく言って、立ち上がった。どうやら怒っている理由はそこらしい。家族の様に結束の固いドートリア軍にいたエリナには信じられないような光景だったのだろう。
「じゃあ、俺は明日も早いから」
怒りの再燃したエリナをなだめながらベルゼが言った。エリナはというとすぐにふっ切れたようだった。
「あ、ロイ。店長が『一日も早く治してさっさと働きに来い』だって」
ロイは苦笑する。
「へいへい、せいぜい頑張らせていただきますよ」
ドアを閉める音がやけに大きく響いた。ロイは天井を見上げた。わずかなしみ以外何もない。天に召されようが地に落ちようがそんなところには結局何もないのかもしれない。悲しみも苦しみもあるのはここだけだ。しかしここには喜びも楽しみもある。生きててよかったと心から思った。
「ああ・・・、寒いな」
北にあるバーカギルはもっと寒いだろう。そんなことを考えながら、ロイは再び眠りに落ちた。




