第2話 ウラル=ジエルトン 2
「まずはここで剣を振りなさい」
剣を渡されてすぐにロイはそれを言われた。場所はというと小屋のすぐ目の前の野原だ。3人も3人で修業というものがあるらしいが、それは全く別の場所だ。ギンはというといつも通り椅子に座ってにやにやと笑いながらお茶をすすっていた。その様子に少しだけいら立ちながらロイは言われるがままに剣を振った。小さいころから木刀を振らされているのでこれくらいなら余裕だ。そんな風にたかをくくっていたのだが・・・・・・。
「ゼェ、ゼェ」
まだ始まってから30分も経っていないのに、ロイの額には汗が止め処なく流れ続けていた。息が荒くなり、ペースはどんどん落ちている。真剣がこれほどまでに重いとは思わなかった。鋼剣は見た目よりも軽いものの1,5㎏ほどある。それに加えロイの体にはあまりに長すぎるその刃にかかるモーメントがロイへの負担を何倍にも増幅していた。
「ここまでか」
ロイをずっと観察していたギンが目を細めた。
剣を振り上げた時に止まることができずに後ろにひっくり返って尻もちをついてしまった。
「・・・っつう」
ロイの右手は痙攣し、親指と人差し指の間はこの短い時間の間に肉刺ができ、つぶれて血だらけになっていた。ロイは剣を地面に置くと、激しく息をしながら。ギンの方へと目を向けた。
「20分くらいかな。まあ、いい方だ」
ギンは立ち上がってロイに近づいた。まじめな顔をしている。
「あと一ヶ月で2時間、今のペースで振り続けるようになってもらう。もし、誰か、もしくは何かと対峙することになったとき、技術よりもまず体力がものを言う。体力の限界=死だ」
「精進します・・・お頭」
ロイの掠れながらも力強い声とその言葉を聞いてギンは肩をすくめた。
「わざわざヘルゲン達と同じ呼び方にしなくても」
いつのまにか微笑が戻っている。
「いや、兄弟弟子だからそっちのほうがいいと思ってるんスけどね」
「ま、いいや。じゃあ、がんばってね」
ギンは家の中へと入っていった。その姿を確認した後、ロイはゆっくりと立ち上がり、森の中へと消えていった。
「あれ?お頭、ロイはどこですかい?」
自分たちの修業から帰って来たヘルゲンが尋ねた。日はもう暮れかかっていて、山は赤く染められていた。
「あいつ今日の飯当番なんスけど・・・」
もっとも、昨日も今日も明日も明後日も当番はずっとロイのまま変わらないのだが。
「ロイなら表でちゃんと・・・」
ばててるよ。と言おうとしたが、その言葉はさえぎられた。
「いません」
先ほどまでロイを探していた三男のアンゴラが椅子に座るなり言った。
「え?」
目を向けるとそこには鞘に収まった剣が置かれていただけだった。ロイが剣になってしまったのではない限り、そこにはロイがいないことになる。
「逃げた・・・わけじゃない筈だけどな」
立ち上がって剣を拾う。柄の血は既に乾いていた。帰ってきたら手入れの仕方を教えてやらなければならない。帰ってくれば、の話だが。
その時、赤から黒に変わっていく道を走ってくる人影があった。
「すいません!手首が動かなくなったので、足腰だけでも鍛えようかと思ったんスけど、思いの外遠くまで行きすぎて帰ってくるのに時間が掛かりました」
ロイだった。汗だくになって、肩で息をしながらギンのもとへと駆け寄ってきた。その顔を見て、ギンはすぐに悟った。
「ロイ、ボンゴを見てきたかったんだね」
ロイは頷いた。
「もうあそこには戻れないし、ここにくる時は突然だったから、どうしても見ておきたくて・・・」
「それで、もういいんだね?」
「はい・・・じゃあ、飯作ります」
そういってロイは厨房の奥へと入って行った。
握られたこぶしに力が入る。ギンたちとは比べ物にならないほどの小さなこぶし。それでも―――
「強く、なるんだ」
ギンとその横にいた三人は椅子に腰掛けた。ヘルゲンが尋ねる。
「ほんとにあいつも連れて行くんですかい?」
ギンは答えなかった。難しい顔をしたまま目を閉じた。
それから数日間、ロイは剣の振ることのできる時間を着々と伸ばし、体も一回り大きくなったようだ。そして素振りを始めて3週間後―――
「ハッ、ハッ」
やはり剣を振っていた。しかしほぼ三週間前と比べて振り下ろしから振り上げまでが格段に早くなり、形もより美しく洗練されつつあった。既にロイが剣を降り始めてから1時間が経過していた。
「少し暑いな」
毎日のように座ってロイを眺めているギンが呟いた。いつもはほとんど汗をかかないギンが、日陰に座っていても暑く感じ、まるで汗を大量に流していた。
「異常気象かな?」
ギンは立ち上がり、屋根から出て太陽を仰いだ。しかし、太陽からはその暑さの原因は感じ取れない。むしろ正面から熱風が漂っている。そこにはロイがいた。
「暑くないかい?」
集中しているロイは反応しない。ギンはロイのほうへとまた一歩近づいた。すると、まるで炎の前に立っているような熱を感じた。
「これは・・・・・・」
その熱はロイの体から発せられていた。しかし、ロイはいつもと同じようなシャツ一枚の体からいつもと同じように汗を流しているだけで、いつもと同じように剣を振っていた。だからそれに気付いたのはギンだけだ。
ギンは何か思いついたように目を見開くと、大きく頷いて息を吐き、小屋の椅子(ヘルゲンが言うにはお頭ポジション)へと戻り、お茶をすすりながらロイを眺めた。
「ロイ、2時間が経った」
「・・・・・・・・・・・・えっ?」
ロイは言われたことが理解できなかった。脳の大半はまだ剣を振ることへと注がれていた。
「ロイ!終わりだよ」
言われたロイはようやく剣の動きを止めた。剣を地面に刺すと、その場に座り込んだ。周囲の空気はいつのまにか涼しい風へと変わっていた。
「まさか3週間でこなせるとは思ってもみなかったよ」
ギンはにこりと笑い、ロイはそれに笑い返した。
「楽勝っス・・・・・・よ・・・・・・」
ロイは疲労からか、その場に倒れこんでしまった。ギンはロイのもとへ行くと、剣を拾った。まだかすかに熱が残っている。
「こんなに早いとは思わなかったな」
ギンは複雑そうな顔をする。そして自分の足元に倒れているロイを担ぎ、中に入っていった。