第20話 レジスタンス 4
「やあ、エリナ」
城の最上階。数時間後に迫った結婚式を前にウェディングドレス姿のエリナの元をジルコナ王子、ボルノーニが訪れた。よほど待ちきれなかったのか、挙式は夜明けと同時と決まっていた。
「まだそんな落ち込んだ顔をしているのかい?大丈夫だよ。反乱もじきに治まる。そうだ、いいことを教えてあげよう」
天蓋つきベッドの中で、エリナは俯いたまま顔を上げようともしない。この3週間というもの、食事がほとんど喉を通っていなかった。髪などは整えられているので滑らかだが、それだけに目の虚ろさが際立っていた。
「・・・あの少年。生きてたってさ」
「ロイっ!!」
一瞬、エリナの目に生気が宿る。王子は複雑な顔をしたが、しかし意地の悪そうににやりと笑った。
「しかし反乱に紛れてまた忍び込んでね。4階でロバートと交戦中らしいよ」
エリナはまた顔を伏せる。その頭に肥えた手が載せられた。その不愉快な手を振りほどく気力は今のエリナには無かった。
「ふふ。ロバートさえいれば反乱なんてすぐ治まる。何も変わらない。まあ、罰として税をもっときつくさせてもらうけどね。安心していいよ。あと少ししたら、僕たちは夫婦だ」
じゃあね、と言い残して王子は部屋を出て行く。エリナは顔をベッドの枕にうずめ、泣いた。どれくらいの涙が出たのだろうか。毎朝寝具は取り替えられていたが、どれも涙で濡れていた。
コンコン
どこからか何かを叩く音がした。エリナは顔をあげ、音のした方向を見る。
コンコン
それが窓の方からしたのだと気づき、息を吐いた。これだけ雨が強ければ当たり前だろう。大雨が降って、結婚式が延びることを期待したが、それも潰えた。そして逃げ出す気力も残っていない。エリナは窓のカーテンを閉めようと腰を上げた。ウェディングドレスは思っていたよりも重くて、邪魔だった。
「きゃっ」
雷が轟いて、思わず目を背けた。随分近かったらしく、一瞬視界が真っ白になった。そして、何か冷たいものが顔を打ち付けるのを感じた。窓ガラスが割れたのかしら、とエリナは目を向けた。
「・・・・・・えっ?」
窓は大きく開け放たれていた。エリナが感じた雨は外から吹き込んでいるもの。強い風が吹いて部屋の明かりが消えた。そして、エリナの前に立つ一人の少年―――。
「待たせたな、エリナ」
「ロイっ!」
エリナはロイに抱きついた。ウェディングドレスを着た少女とボロボロの格好の少年、絵にならないことはなはだしいが、そんなことは関係が無かった。
「ロイ、ロイ、ロイ!」
目から涙が自然に零れ落ちた。3週間泣き続けたが、枯れることはなかった。そして、3週間分の喜びはとどまるところを知らなかった。エリナは力強く全身でロイを抱きしめる。
「・・・い」
ロイの口からもれた声にエリナは顔を上げる。
「いってぇぇぇ!いてえよ、エリナ!!」
ロイはエリナを強く押し、二人は離れた。脚の力が抜けたエリナは床に尻餅をついた。
「なによ・・・心配、したんだから」
顔を伏せる。顔を上げ、ロイを見れば涙が溢れてしまいそうだった。
「だからってバカ力で抱きつくなっ!」
感動も何もあったもんじゃないロイの言いように、エリナは顔を上げた。
「バカ力って言うなっ!何よ、心配させといて!!」
「心配?心配しすぎてそんな格好になっちゃったのか?似合わねえよ」
その言葉で、エリナの理性は音を立てて切れた。ぶち、という音はロイにも聞こえただろうか。エリナは立ち上がり、叫ぶ。
「こっちだって大変だったのよ!こんなところに幽閉されるしさあ」
「ふーん、幽閉されて安穏と暮らしてたんだろ?こっちは3回も死にかけたんだけどな」
「あーあー、死んじゃえ死んじゃえ。そしたらあたしはこの国で王妃として生きてやるんだから」
「ふーん、やっぱりそんなふうに考えてたのか」
「・・・・・・っ!!」
ついにエリナの手が出た。平手がロイの左頬を打つ。ロイは折れかかっている左手を押さえながらエリナを見た。
「本当に・・・心配したんだから・・・」
ボロボロと、エリナは泣いていた。それを見て、ロイは微笑み、そして膝の力が抜けるのを感じた。身体の底から熱いものがせり上がってきた。前のめりになり、エリナに寄りかかる。
「ちょっと・・・ロイ・・・?」
「がはっ」
返事の代わりに血を吐いた。ちょうどエリナの右肩に顎が乗る形になっている。ロイは動く方の右手でエリナの左頬を撫でた。
「心配かけてゴメンな、エリナ」
ロイの背中に両手がかかり、ぎゅっと身体が密着する。エリナが耳元で囁いた。
「ううん。ありがとう、ロイ」
エリナが窓を閉め、壁の蝋燭に火をともすと、部屋が明るくなった。ロイをベッドに寝かせようとしたが、ロイは「大丈夫だ」と言って床に腰掛けただけだった。呼吸も出来ているし、出血も少ないから大丈夫かもしれないが、ほっておくと怪我が悪化する事もある。ここから出て治療をしたほうが良いのだが、反乱を潜り抜けていくことはできないだろう。まだここのほうが安全なはずだ。
「大丈夫だって、治りきってない傷を小突かれただけだから。それよりも手首だな」
ロイは膨れている手首をだらんとエリナに見せた。
「このナイフで固定するとして、何か縛るものを持ってないか?」
エリナは「ちょっと待って」と言い置いて、ドレスの裾を破った。細長くしてひも状にする。
「おっ、そっちのほうが似合うって」
「うっさい」
「いやいや悪い意味じゃなくてさ。そういうラフな感じのほうがエリナらしいかなって」
「ふん。言われなくてもわかってるわよ。でも心配よね、結婚するときにウェディングドレスが似合わないなんてやだわ」
「なんだよ、結婚する予定あんのか?」
「それはないけど・・・。そうね、どうしても見つからなかったら、ロイで我慢してあげても良いわ」
「なんだよ、それ」
ロイは苦笑する。
ナイフで固定し、ぐるぐるに巻いて動かないようにする。折れてはいないようだからこれくらいで大丈夫だろう。しかし、手首の関節は複雑なので注意が必要だ。
「あばらの方は大丈夫?」
「ああ、もうだいぶ慣れた。動かなきゃそこまで痛くないしな。動くとめちゃくちゃ痛いけど」
「あっきれた。よくそんな身体でここまで這い登って来れたわね」
そう、ロイは反乱軍よりも早くここに到達するために城を這い上がってきたのだ。
「人間必死になれば何でもやれるもんだよな。流石に暗くなかったらビビッて無理だっただろうけど」
「ビビり~」
「ビビりもするさ、人間だもの」
「あはははは」
エリナが笑い、ロイもにやりと笑う。
窓の外に目を向けると、雨が収まりつつあった。夜が明けてきたらしく、徐々に空の端が白んできている。うっすらと窓に映るドアが突然開いた。
「エリナ、エリナ、助けて!!」
飛び込んできたのは肥えた男。ボルノーニは血相を抱えてエリナにすがりついた。
「父上が、父上が・・・」
嗚咽を漏らしながらうわごとのように呟く。
「ここに君の荷物がある。これを持って一緒に逃げよう」
エリナはそれを受け取り、王子の肩に手を乗せた。王子がすがるような目でエリナを見た。
「いいえ、あたしはあなたとは行かない」
王子の目が絶望色に染まった。エリナはすがりつかれた手を退けた。受け取った荷物の中から、服を取り出す。洗濯してあったらしく、きれいにたたまれている。
「・・・参ったわね、どこで着替えようかしら」
エリナの興味は既に王子には向いていない。王子は俯き、呟く。
「どうして、どうして。僕ちゃんは何も悪いことしてないのに・・・」
「ロイ、ちょっと向こうを向いててくれる?着替えたいから」
ロイは唖然とした。
「しょうがないでしょ!ほかに場所がないんだもの。ほら、ぐずぐずしてたら人が来るわ。早く早く」
「なぜ俺の考えを・・・。まさか、読心術っ!?」
その言葉を無視して早く向こうを向け、と睨んだ。ロイは肩をすくめ、右手で体を引きずるようにして
ベッドの向こう側へ回った。
エリナは王子にどくようには言わない。どうやら王子のことは本当に眼中に無いらしい。
「あなたが王子と呼ばれて贅沢をしてきたのはあなたの父親が王様だから。人々が税金を納めていたのは国を良くするため。あなたたちを肥やすためじゃないわ。崇められれいたのならそれに応じる責任があるのよ。あなたたちはそれを知るべきだった。あなたたちはただの人なんだから」
衣擦れの音がやんだ。
「ロイ、もう良いわよ」
ロイがエリナの視界に再び現れるのに2分要した。エリナは怪訝そうな目を向けたが、ロイはなんでもない、と言った。
「いや、エリナは強いな、って思ってさ」
「弱くちゃ軍人は務まらないのよ」
エリナはロイに目を合わせない。壁に点った蝋燭の火を見ていた。その静かな目が何を考えているか、ロイには分からない。問いかけることもしなかった。
「王子はここか!!」
ボルノーニの肩がびくっと震えた。続々と集まってくる人々をロイとエリナは無言で見ていた。真っ青になっている王子はもはや言葉を言う事すらできなかった。
「おお、あんたのお陰で助かったぜ」
投げかけられた言葉にロイは無表情のまま返事をした。
「じゃあ、俺たちはもう行く。正直これ以上の足踏みはごめんだ」
ロイはゆっくりと立ち上がった。着替え終わったエリナがするりとロイの横に突き、その体を支えた。
「ああ、ありがとな」
男に頷いてロイとエリナは足を踏み出した。エリナが王子の横で足を止めたので、ロイも足を止めた。エリナは縛り上げている人々を無視して王子に声をかける。
「ありがとう、ボルノーニ。あなたは、優しかったわ」
そのとき王子がどんな顔をしたのかはロイには分からなかった。ロイとエリナは部屋を出る、その背後で叫ぶ声が聞こえた。
「そうだ。これからこの国をどうするか考えなくちゃならない」
炊きつけるような言葉。上がった炎は一気に燃え広がった。
「俺だ、俺が次の王になろう。親父が学者だったから政治に詳しい」
「いや、俺だ。俺は商人だから、金に関しては俺の右に出るものはいない」
「ちょっと待ちなさいよ。私は護衛を一人倒したのよ」
そして上がる、悲鳴、怒号、叫び声。
「・・・・・・」
その群れを、二人は静かに見ていた。
「・・・もう、行こうか」
「・・・ええ、そうね」
そのまま2人は一言も喋ることなく、城を後にした。