第20話 レジスタンス 3
ロイは壁やら床やら天上やらがボロボロになっている場所で足を止めた。胸の痛みが唸るように増した。ロイは固く口を結び、再び走る。人の姿はない。階下から聞こえる騒音が人々の居場所を教えてくれる。もしかしたらロバートも一階に下り、ここにはいないんじゃないかと思ったが、4階に上がった時、階段を正面に見据える形で立っていた。
「・・・・・・よお」
ロイは声をかける。ロバートは無表情のままだった。何の感動も湛えていない目をロイに向ける。ロイはそれに対し、にやりと笑った。
「・・・なぜだ。我に敵うはずなどないというのに、なぜ貴様はここに立つ」
ロバートがおもむろに口を開く。だが、その問いには疑問や困惑は感じ取れなかった。
「・・・俺にだって大事なものはあるんだよ」
気のせいだろうか、ロバートの口元が釣りあがった気がした。
「あんたに邪魔はさせない。俺はあんたを倒して先に進む!」
ロイは踏み込んだ。ナイフは抜かない。獲物があればリーチが長い分、懐にどうしても隙ができる。目の前にいるのはその隙を見逃すような男ではない。
「・・・愚か」
拳が突き出される刹那、ロバートの身体が右に動いたのが見えた。それを見て、ロイは身体の動きを止め、右手をかざしてロバートの鞭のような蹴りを止めた。しかし、そのまま攻撃を展開せず、衝撃にあわせて3歩下がる。
今度はさっきよりもゆっくりと近づく。拳を突き出し、避けたのがわかってから防御に転ずる。カウンターを受け止め、下がる。
「・・・成程」
攻撃し、防御し、下がる。その動作を5回繰り返したとき、ロバートは声を発した。相変わらず感情の無い表情だ。
「切り替えされないような防御主体の攻撃。考えたものだ」
突然の褒め言葉に、ロイは少々照れた。
「ならば、それを崩してやろう」
ロバートの目つきが変わる。薄めるようにしていた目が開かれる。それはまるで吸い込まれそうな眼力だった。
ロバートが1歩足を出した。ロイは身構える。もう1歩、もう一歩とゆっくりと近づいてくる。ロイはこらえきれずに攻撃に転じた。もちろん防御主体。身体に当たるぎりぎりのところで止まるように拳を突き出し、カウンターを防ぐ。
しかし、ロバートは避けることをしなかった。ロイの拳は見えない壁に阻まれたように止まった。ロバートはあらがじめ拳が届かないことを分かっていたように防がなかった。
攻撃に転じてこないロバートを見て、ロイは更に攻撃を続ける。緩急をつけた拳を4回。体制が崩れるので蹴りは出さない。その4回のうち、3番目だけ当てるように突き出した。
それでもロバートは避けない。3番目だけ、身体を後ろにそらすようにしてかわした。それ以外はまったくの無視。まるでそんなものは攻撃ではないというように。
「・・・・・・っ!」
ロイは後ろに飛ぶ。その瞬間突き出された蹴りを腕を交差させて何とか防いだ。重さが腕に残る。今までと違い攻撃に体重を乗せる余裕と時間が十分にあったという事だろう。
「・・・あんた、化け物みたいなやつだな」
読心術。加えてスピード、パワー、ボディーバランス。およそ考えうる人間の完成系。ロイは純粋に、目の前の男を畏怖していた。
「下らん。どこの誰かも分からん者の助言に傾聴し、信じ込む。それに何の意味がある」
「・・・・・・んなあほな」
確かにこの戦法は老婆の助言によるものだ。こんなの心を読んでいるドコロじゃない。心を悟られているようだ。脳を鷲掴みされているような気味の悪い感覚。
「攻撃に転じず、一体どうする。時間がたとうが貴様の負けは変わらん」
淡々とした口調でロバートは続ける。
「1度目は見逃した。2度目はしくじった。3度目は・・・ない!」
ロバートの殺気が全身を襲う。けれどもロイは怖気づくことはせず、拳を下ろして口を開いた。
「あんたほどの男が何でこんな国のこんな王族の護衛をやっているんだ?」
殺気が澱む。けれども薄れることはない。小さな針が全身を刺しているようだった。
「笑止。所詮貴様には与り知れぬこと。我には我の使命がある」
そう言い放つロバートの目に動揺はない。ロイはその姿を複雑な気分で見たが、一つ息を吐いた。
「・・・確かに、どれだけ時間がたっても俺はあんたには勝てない。あんたに心を読まれ・・・いや、悟られてる以上、俺の攻撃はあんたには当たらない。だから俺は攻撃しないことを選んだ。確かに愚かな策だな。俺もそう思う。だけど、今この状況ではそうじゃない」
階下から響く歓声。地面を揺らす轟音。予期せぬ事態にロバートは驚きをロイに分からない程度に呈した。
「俺は信じてる。この国の国民を?そうじゃない。愚かな君主は・・・力だけの統治は絶対に滅びるってことを」
恐らく城の前での抗争に決着がついたのだろう。そして、反乱軍が次々と城内に侵入しているはずだ。このまま膠着状態が続けばここにも続々と人が集まってくる。不利になるのはロバートの方だ。
「・・・小癪な」
ロバートが足を踏み出す。決着をつける気なのだ。使命というものがロバートを突き動かす。そして、一瞬にして間合いを詰め、ロイの身体を貫かんばかりに繰り出された拳の先に、ロイの姿はなかった。
「・・・なっ」
ここで初めて、ロバートの顔に驚愕の表情が点った。勢いのある拳を戻すのには時間がかかる。更に、ロバートの身体は前のめりになっていた。その状態で、横から胸倉をつかまれれば抵抗などできようはずもない。ロバートの身体は壁にうちつけられた。
反射的に、胸倉を掴むロイの脇腹を殴る。目の前から「がはっ」という声がした。
「待ってたぜ、この瞬間を」
骨折の完全に治っていないあばらが再び折れたかもしれない。ロイは口元に血を滴らせながらもしかし、にやりと笑った。
単純な話。もっとも相手に攻撃を与える可能性が増すのは相手が攻撃した瞬間。それは今までロバートがやっていたことで、ただその攻守が裏返っただけだ。
「うりゃああああ」
力任せにロバートを窓に打ち付ける。密着さえしてしまえば、熱の術者であるロイの方が力は勝るようだ。二人の体は窓を突き破り、勢いに任せて城の周りの塀を越えた。
外は雨が降っていた。バケツをひっくり返した、などという比喩は性格ではない。夜闇の中に槍でも降っているかのような痛みすら感じる豪雨である。
「ぐっ」
空中でもう一撃ロバートの拳をくらってロイは掴んでいた手を離した。
ロバートはまっさかさまに落ちながら、この闇の後どれくらい先に地面があるかを計算していた。伊達にこの城で暮らしている訳ではない。4階がどれくらいの高さなのかは分かっている。しかし、攻撃がかわされた―――いや、この戦い自体ロイの策略だったこと事態に動揺していた。
表情を変えたのはほんの一瞬だけ。しかし、彼の心中は穏やかではなかった。それ故に、彼は余裕をなくしていた。余裕の無いまま、計算どおりの時間で受身を取ることに成功した。だが、その余裕の無さが、次に攻撃があることを失念させた。
「うおおおおお!」
闇の中から声が聞こえた。月明かりのない夜の闇。唯一の明かりは壁の向こうの城内の蝋燭のみ。加えていきなり明るい所から暗い所に出れば、目が慣れていないのは当たり前。声は近くで聞こえるのに姿を見ることはかなわなかった。いや、それ以前に受身を取った直後の攻撃に反応する事はできなかった。
ロイの拳がロバートの頬を殴る。全身全霊をかけた攻撃に、ロバートの身体は宙に浮いた。雨の轟音の中、ロイの耳には水しぶきの音が確かに聞こえた。どうやら堀の中に落ちたようだ。見たところあの堀は深いようだったし、加えてこの雨だ、いかにロバートといえども這い上がることは難しいだろう。
ロイは天を仰いだ。槍のような雨粒が全身を打った。一度咳き込んで血を吐く。そして左手を目の前に掲げた。
ロイは受身を取らなかった。全身を使って衝撃を和らげていたのではとても次の攻撃に間に合わない。そう考えて、左手を犠牲にした。筋肉を活性化したものの、地面についた手首は毒々しいまでに青く晴れ上がっていた。
「よし!」
深い闇の中、ロイは一人呟き、喧騒の方向へ急いだ。
たどり着いた城の前は人でごった返していた。誰もが我先にと城の中へ入ろうとしている。それが雨から逃れるためなのか反乱の成功を見るためなのかは分からない。今のロイにとっては邪魔以外の何ものでもない。
ロイは焦る。一応反乱軍の一部はエリナの事を知っているが、紛れて殺されないことがないとも限らない。誰かが最上階に踏み込む前にたどり着かなくてはならない。ロイはだらりとぶら下がった左腕を見下ろし、目の前にそびえる城を見上げた。




