第2話 ウラル=ジエルトン 1
「朝早いけど大丈夫か?」
そうヘルゲンが言った。よく喋るこの男が長男だそうだ。3つ子というのは説明を受けてもよくわからなかったが、要するになんやかんやで3人同時に生まれたらしい。
早起きは習慣だったので問題はなかった。ただし、夜まで起きているのはなかなかきつい。しかしこの3日で少しではあるが慣れてきたようだ。
仕事は薪割り、炊事、洗濯、木の実や山菜などの採集が主だ。標高のそれほど高くないカリューではボンゴの近くに自生している木の実や山菜とほぼ同じものが採れた。
雑用をしているのは基本的にロイ一人だ。3人はたまに出かけては獣を狩ってきたり、かと思えば何も狩らずに泥だけになって帰ってきたりする。ギンはといえば一日中机に座ってお茶をすすっていたり、たまにふらっと出かけたと思えばすぐ戻ってきたりと退屈そうな毎日を送っていた。
「おお、大変だな、ロイ。ご苦労ご苦労」
ロイがここに来て4日目。黄昏時になり、ランプに火がともされた。ロイは夕飯のために机を拭いていた。こんなところに置かれているからか、表面がざらざらしていて、それでいて汚いので面倒なことこの上ない。そんなロイにヘルゲンが声をかける。それをねぎらいの言葉ととれるものは相当の聖人であるか、正直者だろう。なんせ、ロイ以外の4人は椅子に座って何もせずにロイが働くのを見ているだけなのだから。
「まだ汚いよ、ロイ。ほらっ、もっと手を素早く動かして」
今日は結局その場所を一度も動かなかったギンがそう言ったとき、ロイの怒りがピークに達した。
「やってらんね~~!!」
ロイは布巾を床に叩きつけた。本当ならギンに投げつけたいところだった。そうしなかったのは助けてくれた最低限の恩義というやつだろう。
「何で俺がこんなことしなくちゃなんねえんだ、面倒くさっ!!3日も正直にやってた俺も馬鹿だけどっ!!」
地団駄を踏みながら叫んだ。
「あんた、暇なら手伝えよ!!」
力強くギンを指差す。それを受けて、それまでにやにやと笑っていたギンの金色の眉毛がピクリと動いた。
「ふぅ」
「ちょっと今ため息付いただろ!聞こえたぞ!!」
今のロイにとって自分の発言を妨げようとするものは全て敵であった。
「こんなことに何の意味があるんだよ!ていうかだいたい盗賊じゃねえじゃん!こんなところ誰も通らねえじゃん!なにも盗めねえじゃん!なにも盗まないおっさんたちを人は盗賊とは呼ばねえ、世捨て人と呼ぶんだよ!」
3日間たまりにたまった鬱憤。それが一気に噴き出した。
「あ~あ、せっかく頑張っているみたいだから剣の稽古でもつけてあげようかと思ったのに」
「は?何言ってんだよ。わいてんのか!?」
ロイの人差し指が自分の頭を指す。
要するに『頭大丈夫ですか?』のポーズ。そんなロイに対してギンは静かに目を細め、口を開いた。
「だって君はいつか自立するわけでしょ?魔物を見たんだろ?わかってる?復活した魔物はあれだけじゃないんだよ。何年も前から人間はもう既に襲われてる。そんな世界で君は本当に生き残れると思ってる?無理だよ、それは。私達だってどうなるかわからない世界だよ。ここを出たら君なんか1週間と持たないよ。野垂れ死んでカラスの餌がせいぜいだ」
まくし立てられた言葉にロイは一瞬にして口ごもった。それは確かにわかっているのだ。ボンゴ以外を何も知らないロイが1人で生きていけるはずもない。分かっていたからこそ3日間苛立ちを抑えながら黙って働いていた。しかし、ロイ自身ですら何も考えていなかったロイの将来をギンはすでに見ていたらしい。
「あの日のあの村が初めてじゃないんだよ。もう何年も前からザイガは魔物に犯され始めている。こんなに増えたのはほんの数年前からだけどね。だから君は決して特別じゃない」
「・・・・・・」
知らなかった。ボンゴは他との交流が全くなかったから仕方がないのかもしれないが。ずっと自分だけが不幸なのだと思っていた。自分だけがこんな目にあっているのだと。
ロイは俯き、自分への情けなさから溢れる涙を拭った。
「また泣くの?君はもう子供じゃないんだよ?この3人が僕との生活を始めたのだって君よりずっと小さい頃だったし、私が魔物に家族と故郷を滅ぼされ、血肉をすすり、人を見たらまず奪うような生活を始めたのは9歳の時だ。君はもう子どもじゃないんだ。泣いてる場合じゃないことぐらい察しなよ」
ギンの言葉が強く心にグザグザと刺さっていく。ギンの顔を見て、3人の顔を見た。ロイよりもずっと小さいころに絶望を背負いながらも生きることを選択した男たちの顔を。
ロイは涙を残らず拭うと、大きく息を吸った。
「すいませんでした」
「謝る必要はないさ。何も考えずに言ったことなのだからそれは君の本心だ。それが間違っているわけじゃない。ただ私が言いたいのは考えもなしに動くのもいいがそればかりではいけないという事さ。さて、冷静になったかな?じゃあ少し考えてみようか。君はこの世界を生き延びなくてはならない。そのためには力がいる。どうだろう、君はそれはを望むかな?」
選択肢など始めからなかった。ロイは決して忘れていないのだ。あの日を思い出すたびに悲しみとともに湧き上がる激しい怒りを。
「・・・・・・はい」
思いを巡らせているうちに怒りの対象がギンから魔物へと変わっていた。拳に力を込めながらもロイはギンを見据えてそう言った。
「オーケイ。大事な話がある。そこに座りなさい」
ロイが丸太に腰をかけると、ギンが話し始めた。
「さっき君が言っていたが・・・そう、私たちは盗賊ではない」
「やっぱり・・・・・・」
ロイは呆れた顔でギンを見た。
「ま、私は物心ついたときから盗人をやっていたから似たようなものだけどね」
微笑みながらギンは話す。そんな辛く苦しい経験をそんな風に語れるのは時間が経験したからだろうか?それとも乗り越えたからだろうか?
「私とこの3人の関係は師弟だ。見えないだろうけど彼らは18歳、私は今年で24になる」
「ええっ!?」
どう見ても3人の方が老けて見える。ギンの見た目が非常に若々しいのもあるだろうが、3人が老けすぎだ。どう見ても実年齢の倍は生きているように見える。
「そして今、私たちはこの山に居座っている魔獣を追っている。ここに来る間に言った『牛みたいな生き物』と言うのがそれだ」
「魔獣?」
聞き慣れない言葉に聞き間違えたのかと耳を疑った。
「まあ、色々いるんだよ。そういうのは後で説明しようかな」
とにかく、カリューには何かがいる。ようやくこんな僻地に身を置く理由に納得がいった。
「でもなんであんた達なんだ・・・ですか?」
「私たち4人だけじゃない、既にザイガ中で同志が活動している」
ザイガは世界の中心にボンゴやカリューがあるタンタニア大陸がある。その北東にバーカギル、北西にロスターニャ、南東にジラビア、南西にクルシスそれぞれ大陸がある。中でもタンタニア大陸は巨大で、ほかの大陸全てを足しても半分ほどの面積もない。
「私たちの組織の創立者はカオスと共に戦ったものだ。カオスの予言を危惧し、この星に私たちを残した」
カオス。かつてこの星から暗黒の闇を取り払い、希望をもたらせし者。その伝説は小さいころから毎日の様に聞かされてきた。そのカオスと時を共に過ごしたという事は数百年前からある組織だということだ。
「まあ、割と名の通ってない組織ではあるんだけどね。私たちのような身寄りのないものも多い。むしろ魔物による遺児を積極的に集めている節がある」
ギンと3人、そしてロイの共通点。ロイの村を滅ぼしたのが魔物だったからこそ、ギンはこの話を切り出したのだろう。
「私たちの組織の名はジエルトンという。これは創始者、ウラル=ジエルトンの名前だ。そして・・・」
ギンは指を立てると「ちょっと待ってて」と言って立ち上がり、奥の部屋へと入っていった。数秒後、何か棒状の物と、小さな木箱を持って現れた。棒状の物は1メートル以上あり、布にくるまれている。
ギンが棒の布を取ると、中から出てきたのは一振りの剣だった。1メートルほどの大剣。鍔は左右に開き、恐らく剣と聞いて誰もがイメージするだろう形である。鞘は黒く、柄の部分は横縞の模様が彫ってある。
木箱は開けずに剣の横に置いた。
「話の途中だったね。この木箱の中に入っているものは唯一私たちの身分を証明するものだ」
そう言って木箱を開けた。中には銀色の指輪が入っていた。何も彫っていないシンプルなものだった。
「そしてこれは、君の誕生へのプレゼントだ」
そういって剣を鞘から抜いて見せた。刀身はロイの後ろにある窓から入り込む光を反射し、眩しい。
ギンは剣をもう一度机の上に置くと、ロイの目を見据えた。
「君には、今から私たちの同志になってもらう」
「はい」
ロイもギンの目を見据えながら答えた。
「よろしく、ロイ」
―――覚悟は既に出来ていた。力を蓄え、魔物を討つ。それが今のロイの生きる意味である。この日から、ロイは戦いの世界へと足を踏み入れたのだった。