第18話 #3・・・・・・POISON! 3
「さあ、乗って」
「・・・ええ~~~」
車の運転席を陣取るエレナの姿を見て、ロイは早速帰りたくなった。熱せられた砂で火傷してもいいから裸足で帰りたい気分である。しかし、ロイたちが出発するのを見送っている千人近いみんなの手前、それは出来ない。ロイは覚悟を決め、助手席に乗り込むと、口を閉じた。喋れば間違いなく舌を噛むだろう。
発進と同時に車体は大きく揺れ、ロイは座席にしこたま後頭部を撃ち、車に頭突きした。確かに砂上じゃ上下に揺れるのは仕方無い。だが、この揺れはそれだけじゃないはずだ。
断言できる。運転は自分のほうが上手いと。
「そういえば、何でエリナなんだ?」
背後に人の群れがなくなった頃、ロイはエリナに問いかける。揺れに体がだいぶ慣れてきた。砂の形であらかじめゆれを予測しておけば、舌を噛むことだけは回避できそうだ。
「ん?ああ、とりあえずロイと親しい人間という事であたしかアレンになる訳だけど」
「まあ、そりゃそうだな。知らないやつとの2人旅はごめん被りたい」
だったらアレンでも・・・という言葉を飲み込む。エレナの機嫌を損ねたらなにが待っているかわからない。
「でもアレンは有能だからね。今のドートリアには絶対必要な人材なの。だからあたし」
「・・・なるほど、エレナは有能ではないから必要ないと判断された訳か」
急ブレーキ。前方に投げ出されようとする体を必死に押さえつけた。が、その後に訪れた危険を回避する事は敵わなかった。
エレナが右手でロイの頭を殴った。拳で。
「・・・冗談です」
エレナの射抜くような視線にロイは体を縮める。それこそ座席の下に入り込めそうなくらい小さく。どうやら結構気にしているようだからこの話題には触れないでおこう。車の後部座席にはドートリアから持ってきた武器累々が眠っている事だし、そのうち洒落にならなくなるかもしれない。
「あ、ごめん、ロイ」
突然の謝罪にロイは首をかしげた。今のどこにエレナが謝るポイントがあったのだろう。ロイは左側にいるエレナを見た。しかし、謝罪しているとは思えないほどの笑み。なんだかいやな予感がする。
「タイヤ埋まっちゃったみたい。何とかしてくれる?」
どうやら今後、旅に付き合う従者のようなポジションになりそうだ。ロイは苦笑いと共にそう思った。
辺りが薄暗くなって、エリナが車を止めた時、ロイはかなり汗だくだった。それは降りそそぐ太陽のせいだけでなく、隣にいる太陽を反射する金髪の持ち主のせいだ。そしてこの疲労感。今瞼を閉じたら瞬時に寝られる自信がある。
「はい、じゃああたしは向こうの岩の陰にテント張って寝るから。ロイはここで寝てね。緊急事態以外は近づかないこと。何か質問は・・・ないわね」
エリナはロイの人権を完全に損害して、エリナはそそくさと行ってしまった。ロイはエリナにもらった携帯食料をちぎって食べながら小さくくしゃみをした。砂漠の夜は本当に冷える。2人旅に期待していた訳ではないが、予想以上のエリナの淡白さが残念な気持ちを際立たせていた。
車が砂漠に終わりをもたらしたのはドートリアを出発してから3日目のことだった。エリナは砂漠以外の地面を見るのが初めてらしく、車を止めて大きく伸びをした。ロイも久しぶりに木陰に入り、目を閉じた。急にカリューの山が懐かしく感じられた。
「ま、そうはいってもしょうがないか」
ロイは立ち上がる。過去はすべて今に繋がっている。別れた人々も失った人々も今のロイに繋がっている。そして今は未来に繋がっている。
とりあえず、自殺行為を行おうとしている旅のお供を救おうとしよう。
「エリナ、沢の水を直接飲んじゃだめだ!きれいに見えても雑菌だらけだから地面舐めるようなもんだ」
ロイの言葉を聞いてエリナは両手の受け皿を壊した。水面に水が跳ね返る。ロイが溜息をつくと、エリナはエヘヘと笑った。
「だって綺麗だったんだもん」
「好奇心旺盛なのは結構。でもこんな所で食中毒とかはやめてくれ。生憎俺は腹痛で苦しんでいる運転手の車には乗ってやらねえぞ」
エリナはここ数日と同様にぶすっとした顔をした。しかし、すぐに笑顔に戻る。
「やっぱり変な感じだね、土の地面ってのは。こんな大きな木もはじめて見たし。やっぱり来てよかったな」
エリナは再び大きく伸びをした。
「機嫌は直ったのか?」
ロイはしゃがみ込んでいるエリナの背後に立ち、声をかける。ここ数日エリナの周囲にずっと張られていた威圧感は煙のように消え去っていた。
「あ、やっぱ分かった?」
「わからいでか」
ちなみにわからいでか、はガイの口癖だった。意味は「わからずにいられるか」ということらしいが、エリナには伝わらなかったらしく、きょとんとしている。
「う~ん、やっぱり悔しかったからね。それに、砂漠はあたしの家であると同時に戦場だから。あそこにいる間は、あたしはスタンフィーナ三等兵なんだよ」
ロイは頷いて見せたが、内心は理解できなかった。それは家を持つものと持たないものの差なのだろうか。
「今は違うのか?」
「うん。今はただのエリナリア=スタンフィーナ。それに夢がかなったからね。嬉しくって」
エリナは宝石のような笑顔を見せた。
「ずっと森が見てみたかったのよ。やっぱロイと一緒に来てよかった。今は心からそう思ってるわ」
「そうかい、それは良かった。まあ、俺としては最初からそう言ってくれるとここ数日びくびくしながら生きなくてもすんだんだけどな」
ロイは腰に手を当てて微笑む。少し歩いて木の幹によりかかり、腰を下ろすと、頭上で風をいっぱいに受ける葉を見上げた。不毛な大地を見続けていたせいか、その緑が眩しく見えた。
静けさの下でいろいろなことを思い出す。歩いてきた人のことを思い出す。ロイの人生を狂わせた男のことを思い出す。その思想に賛同するものたちを思い出す。
彼らは一同にロイを否定する。考えが定まっていない、ふらつくばかりだと嘲笑する。けれどもロイはそれでも構わないと思っている。ロイには世界がどうとか人間がどうとか魔族がどうとかなんて分からない。ただ、カルコンが世界の王になる事だけは許せなかった。それは怒りや恨みではなく、はたまた他のどんな感情でもなかった。
―――感情からではなく、考えた末にロイはそれに到った。だからきっとそれが今のロイの真実だ。
「おーい、エリナ、そろそろ行こうぜ」
ロイは腰を上げ、エリナに声をかける。もう一度顔を上げる。緑の葉々も太陽もよりいっそう近く感じた。