第15話 やめた 4
エリナを瞬時に肉塊に変えんばかりのその爪は、しかしエリナに届くことはなかった。エリナはゆっくりと目を開ける。
「えっ!?」
何が起こったのか把握するよりも先に身体を抱えあげられ、宙を飛んだ。魔獣から10メートルほど離れた所に下ろされる。
「ロイっ!!」
真白い肌と褐色の髪。時代錯誤な長い剣。ロイ=クレイスは不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「ほらっ」
ロイから何かが投げ渡された。
「戦士の一族秘伝の血止め塗り薬だ。左頬ザックリいってんぞ。痕になる前に塗っとけ」
痛みは既に麻痺していたが、出血はまだ止まっていなかった。エリナは大人しくそれを受け取り、塗った。確かに瞬時に血が止まった。
「・・・・・・・・・・・・ありがとう」
エリナは小声で言った。ロイは右手の剣を肩に乗せ、左手を腰に当てて、どうでも良さそうに答えた。
「何が?エリナを助けたのはついでだよ、ついで」
沈黙が2人の間に広がる。ロイの言葉を3回ほど噛み砕いたところでエリナが声を上げた。
「はあっ!?」
「・・・まったく、俺は何やってたんだろうな」
ロイの独り言とも取れるその言葉にエリナは怒りを保ちつつ困惑する。
「自分が大人とでも思ってたんだろうな。・・・なあ、エリナ。俺は大人に見えてたか?」
エリナは首を傾げつつも、かねてから思ってたことを告げる。
「・・・背伸びしてる、というか無理してるようには見えてたかも」
ロイは苦笑した。その顔が今までで1番人間らしい顔だとエリナは思った。人間に化けた魔物なんかにはできないであろう、ロイ=クレイスの表情だった。
「だよな・・・。だから、やめた」
「やめた?」
「ああ。自分を追いやって他人に答えを任すのはやめた。意思にそぐわないことをするのはやめた。・・・そしたらいつのまにか戻ってきてた」
幸せに満ちていて、生きることが楽しかった頃の自分のところに。そして今の生活を必死に守ろうとしている人たちの所に。
「ありがとう」
エリナは満面の笑みでそう言った。
「だから、俺はただついでに・・・」
「うん!戻ってきてくれてありがとう!」
ロイはエリナに背中を向けて赤面を隠した。太陽を見上げてみるがもちろん太陽は何も告げない。それでもいいと思った。
「立てるか?」
ようやく赤面が治まり、振り返ってエリナに手を差し出した。エリナはそれを掴み立ち上がる。
「もうすぐ団体さんがご到着だ。おてんば娘が迷惑掛けると悪いから少し下がっててくれ」
エリナは額の怒りマークをローキックに変換した。ロイは向う脛を押さえて悶絶する。
「・・・悪かった、言いなおす。危険ですから下がってて下さい、お姫様」
慇懃に膝を折り、礼をする。エリナは噴き出し、素直に下がった。なぜかわからないが今のロイなら信じられる気がした。機械化魔獣が来るというのに、まったく怖くない。
「さあて、と」
ロイは口元を吊り上げつつ剣を抜いた。振り返るとX-00GT3体と、空にはM-492Fが2体待機していた。もしかしたらロイを待っててくれたのかもしれない。考えてみたものの、そんなことはありえないと苦笑した。
「悪いな。お前達には恨みもないんだけど、あの国を襲うつもりなら容赦はしない」
グルルルル・・・ガアッ
飛び掛ってくるX-00GT。ロイはそれを左に避けた。太い腕が砂地にめり込み、ロイは剣でその腕を薙いだ。
「・・・・・・つう」
魔獣の装甲にかすり傷をつけただけだった。剣がはじかれ、ロイの手が痺れた。遠くでエリナが叫ぶ。
「ダメよ、ロイ!そいつの装甲はM-492F以上よ。鋼製性の剣じゃ太刀打ちできないわ」
魔獣は再度唸った。その瞬間、ロイの背後にもう一体が現れ、ロイめがけて爪を振り下ろした。ロイは瞬時に跳んでそれをかわしたが、着地点では既に2体がスタンバイしていた。
連携の取れた攻撃―――。どうやら見た目に反して知能は高いようだ。いや、機械化魔獣はレギュラスが操った魔獣を機械に改造しているだけだから、この知能はそのままレギュラスのものなのかもしれない。
「・・・参ったな、エリナの前では隠したかったんだけど」
ロイは空中で神経を集中させた。自分と剣が一体になったイメージ。剣の先の先まで神経を介在させているイメージ。
カルコンが恐れた天賦の才。それはここまでの多くの経験によって更なる進化を遂げていた。
ロイを貫こうとする爪に剣を当て、反動を利用して2体から離れる。着地後砂を蹴り、敵に向かって突きを繰り出した。
「おおおおっ!」
確かに鋼よりも硬く、融点が高い金属は溶かすことも切ることもできない。しかし、剣と違って複雑な動きをするならば、M-492Fと同様に関節がなければならない。ロイが狙うのはそこだ。
グガアァァ
丸太のように太い腕といえど剣が深々と刺されば稼動するはずもない。4足歩行のその魔獣はたやすく地に伏せた。苦しみの声を上げる魔獣の後頭部に向かって跳び、首の後ろに剣を突き刺す。しばらくすると、呻き声も悶絶も絶えた。
ロイが剣を引き抜くと血しぶきが上がりロイの白い頬に走った。しかしロイはまったく気にした様子を見せず、再び剣を構えなおす。
グルルルル
背後から襲いかかる爪を再び空中に飛んでかわした。
「・・・ははっ、当たんねえぞ」
1体を倒し、見せた余裕。しかし、これがあだとなった。
「うわっ!」
速度はそれほど速くないものの、自由に空を舞うM-492Fはまだ2体も残っているのだ。そのうち襲い掛かってきた1体を腰を捻って何とかかわした・・・つもりだったが、左肩に鋼鉄の羽の先が当たり、裂傷が走った。
「・・・・・・っ!」
そして、着地を待たずに3体目のX-00GTが爪を振りかざしていた。
血が吹き出る。肘から先の皮膚が裂け、皮膚の隙間から肉が見えた。
「・・・・・・くそっ」
応急処置。熱を加え、血だけを乾かす。傷口自体を焼くと、一生消えない痕になるし、痛みも尋常じゃない。とても戦闘中に出来るとは思えなかった。
俺は馬鹿か、とロイはひとりごちた。
「ロイッ!!」
エリナが叫び、こちらに駆け寄ってくる。そして、その丸腰のエリナにX-00GTが襲い掛かった。
「エリナッ!!」
ロイは再びやめた。また1つのことを諦めた。また1つ捨てることにした。
「うおおおおお」
全身の筋肉を限界まで活性化させる。セーブすることなく術を使うというのはギンのように命を危険にさらす行動だ。しかしロイはそんな事には一切構わなかった。
「きゃっ!」
魔獣よりも速くエリナの肩を突き飛ばした。出来るだけ圧力は弱めたつもりだったが、勢いがそのまま左手に乗り、エリナは予想以上に遠くに飛んでゆく。そして、ロイの左手からは再び血が噴き出した。
魔獣は攻撃対象をエリナからロイに変えた。鋭く大きな爪がロイに向けられ、振り下ろされた。
「うおおおおおおおおおっ!!」
ロイの剣が魔獣の爪と交錯する。信じられないことに、こらえきれずに魔獣の方がひっくり返った。ロイは露わになった喉を剣で一気に突いた。魔獣は数秒間びくびくともがき、やがて動かなくなった。
グルルルル
最後のX-00GTが背後から襲いかかる。ロイは振り返らずに喉から抜いたその剣を後頭部を守るようにかざすことで、繰り出された爪を後ろ手で受け止めた。そのまま左足を軸にして半回転し、腕を両断する。
「はっ!!」
ロイは跳び上がり、、バランスを崩したその巨体の脳天に剣を振り下ろした。
魔獣の頭は半分に裂かれた。動物としての、生命としての証である頭部の中身が露になった。しかし、その代償も決して安くはなかったようだ。
「剣が・・・!」
ロイの剣の刀身の長さが半分ほどになっていた。折れた先のほうは死んだその巨体の頭部に刺さったままだ。
「・・・・・・っ!!」
M-492Fの腹部の装着された機関銃がロイに向けて連射される。転がってそれを避けようとするものの、2発ほど右脚を掠めた。
X-00GTの死骸を踏み台にして左足で飛び上がった。敵は第二撃のために低空飛行をしており、うまくその背に乗ることができた。巨大なコンドルのような魔獣はスピードはあまり速くない。しかしロイを振り落とそうと、上下に滑空した。ロイは羽の付け根にしがみつき、刀身が半分になった剣を刺した。二日前斬って爆発したことから、どうやらX-00GTとは違い、燃料で動いているらしい。つまり、M-492Fは装甲だけではなく、内部まで改造されているということだ。
「うおっ!」
ロイの身体が360度回転する。出血したままの左手が離れ、右手だけで宙ぶらりんになった。左手には折れた剣を掴みつつ、右手で何とか羽にしがみつき、落下を阻止している。
ロイはもはや十全には動かない左手に力を込めた。しだいに剣の柄が真っ赤に染まっていった。右手で懸垂をして身体を魔獣の身体に引き寄せ、左手の剣を依然と同じ部位に突き刺した。続いて剣に熱を込める。熱によってその体内の燃料が発火し、魔獣の身体は空中で爆発した。
ロイは熱によるダメージを最大限に減らしたものの、爆風を避けることはかなわず、M-492Fの身体とともに吹き飛ばされた。
「ロイ~~!!」
エリナが駆け寄ったが、ロイは砂の上に倒れ込むことなく、空中で回転しながら両足で見事に着地した。
「え、え・・・!?」
ロイのあまりにも人間離れした身体能力に言葉を失うエリナを一瞥もする事なく、最後の一体に目をやる。残った一体のM-492Fはロイから逃げるように北の空へと去って行く。
「待てっ!」
ロイは1歩踏み出した・・・はずだったが、膝が意思に反して曲がった。膝だけではなく、全身に力が入らない。
「ちょっと、ロイ!」
エリナの声が遠く聞こえた。砂がこちらに向かってゆっくりと迫ってくるのが見えた。手を出して身体が衝突するのを避けようとするが、その両腕も上がらない。そして極めつけに腹の底から熱い液体が込み上げ、目の前の砂が赤く染まった。
―――あ、やばいかも。
もはや自分の意識があるのかないのかもわからない。今目の前にあるビジョンが現実なのか夢なのか、それすら判断がつかない。それなのにロイはなぜか冷静だった。自分のしたいことを完遂した。そこに後悔がなかったからかもしれない。
人間の限界を超えた術の使用。ギンのような必要な場面ではなく、避けられた限界。今まで自分を大人に見せようとしていたロイだが、改めて自分の愚かさを自覚した。
―――ま、いっか。
ドシャ
ロイの身体が砂に埋まる。しかし、その頃には既にロイの意識はなかった。