第15話 やめた 1
ロイは砂を踏みしめ、前に進んでいた。ドートリアの北の方では既に砂埃が立ち始めていた。もうしばらくすれば、お互いの力と力が交錯し、黄色い砂は赤く染まる。尊いはずの命はボロくずのように引き裂かれる。その光景を見る事を避けるため、ロイは東側に足を進めていた。
太陽の位置は高く、燦々とロイを照りつけている。しかし、ロイはそんなことまったく気に留めていなかった。ずっとエリナが言った言葉を考えていた。
―――引きずっているのだろうか。
ボンゴを出てからいつのまにか一年が経った。ロイの人生の16分の1。間違っても短い期間とは言えない。それでも本当にあの怒りを、あの憎しみを忘れていないのか。本当にカルコンを憎んでいるのか。あの思いは風化していないのか。自分で自分が分からなくなる。魂だけが身体から抜け出て自分を上から見つめているようで、目的もなく歩いているその姿はひどく滑稽だった。
振り返れば、いつのまにかドートリアは小さくなっていた。そして、そのサイズに反比例するようにして、今戦っているだろう人々の存在はロイの中で大きくなっていた。あの砂埃の中にはエリナやアレンもいるのだろう。
ロイは立ち止まって目を瞑った。少し考えて足を踏み出そうとしたが、正面と背後のどちらに踏み出せばいいのか分からなくなってしまった。
「ロォォォイ=クレェェェェイス」
考え込んでいたロイは、その言葉が自分の名前をさしているものだと気付くのにしばらくの時間を労した。ロイは身構えたが、辺りには誰もいない。
「誰だ!出て来い!!」
背後で、かすかな音がして振り返った。誰もいない。あるのは当たり一面の砂のみ。
またもや背後で音がした。砂を蹴りつけるような音。何かがいるのは間違いない。しかし、その姿はどこにもなかった。
三度音がしたとき、ロイは高くバク宙した。空中で剣を抜き、着地と同時に音の方向に刃先を向けた。
「ヒヒッ、さすが。やるね」
ロイの剣の先にいる相手。砂の中から現れたその男はロイに背を向ける形になっている。真っ黒な布を全身にまとっていた。男は甲高い笑い声を上げた。
「・・・何者だ、お前?」
ロイは目を細める。砂の中から出てくるなんてとても人間業とは思えない。しかし、目の前にいる男には妖怪の特徴は1つもなかった。
「ヒヒッ・・・おいおい、勘繰るのはやめなよ。耳は尖ってないだろ」
ロイは驚いて1歩後ろに跳んだ。男はゆっくりと振り返る。黒い装束に覆われた細い身体が露になった。もっとも、全身黒ずくめなので、露も何もないのだが。
目の部分以外は手先足先さえも皮膚が露出している部分はない。ただし、砂漠の中ではその黒装束は隠密というには余りに目立ちすぎた。
しかし、何よりも、ロイの考えたことを察知した。人間業ではない。
「ヒヒヒッ、おいおい冗談だろ?そんな分かりやすい表情しといて・・・。人間業じゃない、とか考えてるんじゃないのか?」
ロイの表情が一段と険しくなった。
「ヒッ、図星だね。こんなの単純な読心術だろ?サトリのやつじゃなくてもこれくらいなら俺様でも分かる」
「・・・何者だ、お前?」
いっこうに変わらない相手ペースを打開しようとロイは警戒心を露にしたまま再度訊ねた。
「ヒヒッ、俺様かい?俺様はディアボロスの諜報部隊〈七聖〉が1人。#4スナグモ様だ」
ディアボロス、という言葉にロイがピクリと反応する。剣を構えなおし、少しスナグモに近づいた。
「何の用だ?」
「ヒッ、そんなに俺が不気味かい?・・・まあいいさ」
スナグモの装束は目しか露出させていないが、口元を大きくゆがめたのは容易に想像できた。
「ヒヒヒッ、お前に会えたのは偶然だが、ついでに一応挨拶はしておこうと思ってな。俺様は律儀なんだ。だからお前はおまけ。俺様の本当の目的はドートリアを陥落させること」
ロイは目を見開く。
「兵士が出払ってる間に俺様が水源に毒を仕込むって戦法だ。ヒヒッ」
「・・・カルコンめ」
そこまでやるのか。そんなことに一体何の意味がある。・・・しかし、この男は本当に諜報部隊なのだろうか。こんなにべらべらと任務を漏らして。
「ヒヒッ、何を言ってるんだお前。今ここにいるという事はドートリアを見捨ててきたんだろ?あの国はどの道戦争で滅びる。俺様はただ、それを速めてやるだけだ。つまり・・・」
スナグモは笑った。そんな気がした。
「・・・お前と同じさ。お前は見捨てることで消極的にドートリアを殺し、俺様は毒を仕込むことで積極的にドートリアを殺す。どちらも変わらない。ただ行動するかしないかだけだ」
ロイの両腕から力が抜けた。急に重くなったように構えていた剣が自然と下がった。
「さてと、俺様はもう行くぜ。ぐずぐずしてると・・・ヒヒッ、あの国が先に滅んじまう」
「待てっ」
スナグモはしゃがみ込んだ姿勢のまま、わずらわしそうにロイを見た。
「なんだよ、うっとうしい。うっとしいったらない。お前の話はレギュラスやリックから聞いてるがつくづく思うぜ」
スナグモは笑わない。笑わずにロイを指差し、内側から引き裂く言葉を投げかけた。
「お前は何がしたいんだ?」
ロイは口をつぐんだ。
「見苦しい。本当に見苦しい。お前はカルコン様を否定しているようだが、その思想に行動がまったく伴ってない。まるでガキだ。目の前の問題を全部感情で解決しようとして、ゆらゆらゆらゆら馬鹿かっての」
魔物は憎い。カルコンは憎い。しかし、エリナにはああ言ったものの、怨んでいるかと聞かれると本当のところは分からない。本当に怨んでいるのは自分。
いや、怨みとは少し違う。これは怒りだ。力が無い自分。カルコンを止められない自分。決意の一つすら持てない自分自身に対して強い憤りを感じていた―――。
「俺は・・・」
「自分の考えもなく相手を頭ごなしに否定するなんてクソだぜ。だから俺様はガキが死ぬほど嫌いだ」
「俺は・・・」
スナグモは溜息をつく。しゃがんだまま腕を振り上げた。
「じゃあ、もう行くぜ」
振り上げた手を砂の中に差し入れた。そのまま身体ごと砂の中に入り、消えていった。
「俺は・・・・・・・・・・・・」
広い砂漠の中にただ1人。剣はロイの手から落ち、ほんの少しだけ砂を舞い上げた。ロイは唇を噛み締める。そのまま後ろ向けに倒れて真上にある太陽を見上げた。
「なあ、あんたはどう思う?俺は間違ってると思うか?」
太陽は答えない。いや、答えるまでもないのかもしれない。ロイは目を覆う。瞼の中で、太陽の形が緑色に残っていた。