第13話 砂漠の少女 3
それから30分ほど経っただろうか。日は東に傾き始めた。まだ涼しいと言うには太陽の力は強すぎたが、先程よりはマシ、と言う感じだった。ロイは袋から水筒を取り出し、少し口に含んだ。エリナも自分の水筒から水を飲む。あからさまな困惑を面に出していないものの、状況の悪さを感じさせるような無表情だった。
暑さは次第に和らいでいたが、帰り道がわからず立ち往生しているのは変わっていない。
「さて、どうしたものか」
ロイが腰に手を当てて体を反らせながら言った。大した解決策は返ってこないと分かってはいたが、どうにも沈黙を続ける気に離れなかった。
「何かないのか?」
言いながら車の後部座席を探った。
「何にもないわよ」
と呆れた声が返ってきた。そこにあったのは先ほど持っていた大きな銃が一丁、ハンドガンが2丁と弾薬、そして何か筒状のものがあった。
「ん?なんだこれ?」
ロイは手に取ったものをエリナに見せた。その筒の端には紐が付いている。
「あっ、忘れてたっ!!」
エリナが身を乗り出して、それをロイから奪った。体が触れそうだったので、ロイはあわてて身を引いた。エリナはその筒が壊れてないかを注意深く確認しながら言う。
「信号弾よ。これを引くと赤い煙が上がるの。運がよければ助けが来るわ」
嬉々とした表情でガッツポーズを決めた。
「早く気づけ!!」
ロイが叫んだ。エリナはしょうがないでしょと言い放って車から降りた。
「結構面倒な事になるのよ。使い勝手が悪いから記憶から消去してたの!当たり前だけど、これは特定の人だけに見えるってもんじゃないんだから」
「?」
ロイが怪訝な表情で首をかしげたのを見て、エリナは言い放った。
「忘れたの?あたしたちは戦争をしているのよ!?敵が来るって事もありえる。五分五分といったところね」
ああ、と口の中で呟き、さっきの様子を思い出していた。仮に敵が信号に気づけば先ほどの機械がいくつも襲ってくるかもしれない。それに太刀打ちするような戦力はエリナにはないのだろう。そういうことだ。
「・・・ロイ、あなた腕はたつのよね?さっきのあれはまぐれじゃないわよね?」
心配そうにエリナが尋ねた。ロイは肩をすくめた。
「なんならこの車でも斬って見せようか?」
ふっとエリナが笑った。
「じゃあ、いくわよ!!」
車から離れると筒を上に向けて、紐を引いた。どういう原理なのかは知らないが、轟音と共に赤い煙が空高く打ちあがった。それは螺旋を描き、雲ひとつない空にまっすぐと上がっていった。
「へえ、すごいな」
ロイは感嘆を呟く。エリナがゴホゴホと咳き込みながら戻ってきた。フードの上に赤い粉がかかっている。
「良かった不発じゃなくて。不発だと今頃あたしはもっと赤い塊みたいになってたかしら。とにかく用心しておいてね。一応ここはドートリアの領地のはずだけど、敵が来るかもしれないから」
わかってる、と言って肩を回した。とは言ったものの、集団で攻められたらどうなるかはわからない。単体ならどうにかなるかもしれないけれど。さっきはかっこつけてみたが、もしかしたらまぐれだったかもしれない、と不安になった。
エリナは車に戻ると、布を脱いで少し払ってまた被り、運転席に座った。しばらく思案するようにして、ロイを見た。ロイは今度はどんな重要なことを言うのかと気構えをした。
「そういえば、ロイの出身はどこなの?」
雑談だった。
「・・・ケムトだ」
突然の質問に詰まったが、淡々と答えた。
「ふ~ん、そう」
エリナの相槌は思いの外素っ気無いものだった。砂漠を見渡し、それからロイを見た。その目はとても冷ややかだった。
「ひどい人ね」
そう冷淡に告げる。ロイにはわけがわからなかった。むしろロイ的にはかなり親切にしているつもりだ。
「わざわざ隠すこともないでしょう。そんなに親しくなるのが嫌かしら」
その表情は落ち込んでいるふうにも見える。なぜ嘘だとばれたのだろうか。ロイは焦りながら言った。
「いや、だからケムトだって。そこで育って、まだ二週間も経ってないかな、それくらい前に出て来たんだ」
ふ~~んと口を尖らせながら言う。
「ケムトのどこから海に出たんでしょうね?それともあなたはお父さんと釣りに行く夢でも見ていたのかしら?」
あっ、とロイは声を上げた。そして先ほど自分の小さい頃の話をした事を思い出した。
「・・・ああ、そういうことか」
目を逸らし、申し訳なさげにいった。
「それで、本当はどこなのかしら?」
語尾が必要以上に上がっているような印象を受けた。その口調は軽蔑のような冷ややかなものが含まれていて、責められている様な気分になる。いや、そこまで悪いことはしていないと思うのだけれど。
「ボンゴ・・・って言ってもわからないか。ケムトを更に南にいったところだ」
相槌はなかった。もしかしたらまだ疑っているのかもしれない。
「それで、何で旅をしてるの?」
「いや、それは・・・まあ、色々あってさ」
目を逸らし、砂漠を見る。夕暮れ、とは行かないまでも、太陽は既に西に沈みつつあった。信号はしだいに風になびき、東の方へと流れていた。この暗がりで信号は届くのだろうか。そして左側から冷たい視線を感じた。自然と背筋が伸びた。
「・・・助けてもらった恩もあるから仲良くしようと思っているのに・・・。そう、あなたは嫌なのね」
ちらっとエリナを見ると、冷淡な目がロイを責めている。その冷たさは恐怖すら感じるほどだ。
「ああ、もう!わかったよ!!」
ロイは半ばやけになり、頭をかいた。
「ボンゴは去年の夏に魔物に滅ぼされたんだよ。俺以外全員な!そんでもう村には居られないだろ!?だからこうして旅をしてるわけ!!オーケー?」
口早にそう言うと、エリナの動きも、冷ややかな目つきも止まった。様子をうかがうと、やや顔を赤く染め、恥じ入るように下を向いている。
「・・・ごめんなさい。そんなことだとは思わなくて・・・。えっと、その、無理に訊いたりして。最悪だよね、あたし・・・。ほんとにごめんなさい」
ロイはあたふたと手を振り、言った。
「いや、そんな気にしなくていいって。隠そうとしたのは俺の方なんだから」
でも、とエリナは言う。
「・・・隠したかったのは、思い出したくなかったからでしょ?」
そういった顔を上げた少女の目は申し訳無さそうにロイを見上げていた。少しだけドキッとした。
「いや、そうじゃなくて・・・まあそれもなくはないけどボンゴなんて誰も知らないだろ?ケムトでも『いやそんな村ないだろ』って何度も疑われたんだ。だから言っても意味ないかと思ってさ」
勿論ジエルトンのことは伏せておく。エリナは顔を上げると、ごめんねと呟いた。ロイは微笑み首を振った。
思い出して苦しくなっても、誰かに負い目を感じさせても失われたものは帰ってこない。ならば、エリナに負い目を与えたくなかった。何より、一方的に謝られるのは、気持ちのいいものでもない。
ブロロロロロ
その時、鳴り響くエンジン音がロイの耳に飛び込んできた。ハッとしてそちらを見ると、太陽の沈むのと反対方向から砂煙と共に一台の車が近づいてくるのが見えた。かなり距離が離れているが、それでも近くのように音が聞こえてくるのは強い向かい風が原因だろう。
「エリナ、どっちだ?」
ロイは神妙な面持ちでエリナに訊ねた。エリナは首を振り、わからないと答えた。車を降りると剣を抜いた。
(どうやら複数じゃないらしい。だったら先制すれば何とかなる)
ロイの二つの細めた目がその車に注がれる。もはや耳には風の音は聞こえず、舞う砂が皮膚に当たっても何も感じなかった。それくらい全神経を目に集中させていた。
「・・・・・・・・・エリナ」
警戒を少し解き、前を見すえたまま話しかけた。何?と返事が聞こえた。
「この車は軍用車か?」
「そうだけど・・・」
と後ろで声がする。その声は質問の糸がつかめず、困惑しているようだった。
「・・・これと同じ感じの車で、色は黒い。軍用車なら、ドートリア軍なのか?」
後ろで驚く声が聞こえた。エリナには砂埃をあげる点は機械の塊であるという事しかわからない。それほどに距離があった。音も聞こえない。実際、ロイに言われるまで気づくこともできなかった。後部座席をあさり、ようやく双眼鏡を取り出した。
一度集中を切らしたロイの「いや、さっさと取り出せよ」という突っ込みを無視して覗き込むと、狭い視野の中に車が映っている。乗っている人間は分からないが、間違いなくドートリア軍の車だ。
「間違いないわ。ドートリアのものよ」
ロイはこちらを向かずに頷いた。いや、そう見えただけかもしれない。今だ警戒を解かず、前を見すえている。
「ロイ!もう大丈夫だってば!助けが来たのよ!」
わかってる、とロイは短く言った。しかし、エリナの声は脳まで届いていないのだろうか、微動だにしなかった。
「・・・この見晴らしのよい場所でできるだまし討ちの方法は限られている。あれが敵ではないと言う確証はない」
なるほど、とエリナは呟いた。どうやらこの少年、自分が考えている以上に実戦経験がある、とエリナはロイを見ながら思った。
ロイは車から視線を逸らさない。今あの車からどんな攻撃をされても応対できるだろう。しかし、もし、エリナが奇襲をかけたら確実にやられる。そういった意味では危なくもあった。
エリナは考える。きっとロイは戦争を経験したことがないのだ。隣人でさえもスパイと疑い、証明する手順が必ず必要になる。先ほど会ったばかりの人間など簡単に信用していいものではない。現に、エリナはロイの全ての動作を疑い、気を払っていた・・・・・・多分。それなのにロイは完全にこちらに背を向け、全ての集中力を遠方に捧げている。この少年は人に騙されたことがないのだろうか。エリナはぼんやりとそう考えた。
「大丈夫だと思うけどね・・・」
エリナはそう言いながら双眼鏡を覗き込んだ。今やその車はエンジン音が聞こえるまでに近づいている。運転手が確認できるかもしれない。
「・・・お兄ちゃん!?」
ロイが改めてエリナの方を見た。エリナはもう一度確認する。乗っていたのは間違いなくエリナの兄であった。ほっと息をつき、双眼鏡から目を離した。
「大丈夫よ、ロイ。あたしの兄だわ」
そうか、とロイは呟き、剣を納めた。つかつかと車に戻り、助手席に座った。手を後ろで組み、後ろにもたれかかる。どこまでも青い空を見上げ、隣りのエリナに聞こえないように呟いた。
「やれやれ・・・危なかった」