第13話 砂漠の少女 1
ロイがガルガイアを出てどれくらいの時間がたっただろうか。夜明け前に村を出て、何日か歩いた。その景色はとっくに砂漠へと移り変わっている。そして現在太陽は真上。布で頭を隠し、日射病を避けなければ直射日光で干物になってしまうだろう。しかし、その程度では避暑にすらならず、ロイは延々と続く砂漠の道を徘徊するかのように一定の調子で歩いている。
「・・・・・・」
既に暑いと言う独り言すら発することはなくなった。今までと違い、その暑さは生命を左右するもので、体力を消耗したくないという上に、風が強く、口を開けると砂が口の中へと投げ込まれていくからだ。そして何よりロイが落胆していたのは、雲ひとつない空と、砂しかない大地だった。たまに覗く枯れた草や石を見ると感動すら覚えるほどだ。もはや意識せずとも足は動き、目は砂の傾斜だけを追っていた。今、何を訊ねられても考えることは出来ないに違いない。目を瞑っていても砂はそこにあり、金色の光にもうんざりしていた。
前方に巻き上がる砂が見える。恐らく砂嵐だろう。砂嵐には既に2、3度襲われていた。この砂漠は風が強く、ひとたび突風が吹くと、つむじ風となって砂を巻き上げる。それはゆっくりとこちらに近づいていた。砂嵐に巻き込まれれば、うずくまって通り過ぎるのを待つ以外に方法はない。しかし、見えたもののまだ遠かったので、もう少し近づいたら対処しようと決め、ロイは再び歩き出した。
「・・・・・・!!」
十分ほど歩いたとき、ロイはその違和感に気が付いた。まき上がる砂から逃げるようにして、一台の車がこちらへ走ってくる。そして、車を追うように、巨大な鳥のようなものが見えた。
「・・・襲われてるのか?」
口を布で覆いながらロイは呟いた。その大きな鳥のようなものは黒い塊を車の上に落とそうとしているようだ。車の運転席にはフードをすっぽり被った人間が乗っていて、左手で運転しながら、体を後方にひねり、右手で器用に鳥に大きな銃を向けて発砲していた。ロイは近づこうと少し足を速めた。
「・・・なんだ、あれ?」
驚嘆の声を出すと同時に、口の中に砂が入った。それを少ない唾と同時に吐き出し、もう一度前方を見る。
それは鳥のようで、しかし明らかに違っていた。
エンジン音が乾いた空に響く。同時に銃声が轟いた。運転手は今度は足でハンドルを操作し、両手で大きな銃を構え、撃ち始めた。器用なことをするものだと感心した時、鳥のようなものは黒い塊を落とした。
ドスと言う思い音がして、塊は砂の上に落ちた。そうとうな質量の物体のようで、きめ細かい砂が高く舞い上がる。どうやら先ほど巻き上げられた砂は風によってではなく、あの塊のせいらしい。車は辛うじてそれを避けたものの、明らかにバランスを崩したようで、運転手は銃を後部座席に投げるように置き、前を向いて運転に専念した。
「・・・・・・!!」
前方にいるロイに気づいたのだろう事が、フードの上からでも見て取れた。
「――――――」
運転手は何かを叫んでいるふうだったが、エンジン音で聞こえない。エンジン音は車よりもむしろ鳥のほうから聞こえてくる。鳥のような物はよく見ると体が鉄でつくられていた。巨大な鷲の様であるが、その大きさは車をすっぽりと覆いかぶせるほどであったし、羽の部分は小さな鉄が何枚も張りあわされている。風を切ると言うよりも、大きく羽ばたくと言う感じだった。足はなく、腹部から、金属の球を落としている。
ロイは車に向かって駆け出した。もしあれに襲われているのなら、助けてやらねばなるまい。事実、運転手がもう一度銃を取り、撃とうとしたが、弾切れで断念していた。それからはとても焦ったようにひたすらアクセルを踏み込み、車を走らせていた。
足を一歩踏み出すごとに砂の中にめり込んでいくが、既に靴の中は砂だらけで、気にするほどのことでもなかった。ロイは剣を抜く。
「――――――」
運転手はまた叫んだが、今度は黒い塊を落とす音にさえぎられた。続いてロイが叫んだ。
「止まれ!!」
ロイを轢く寸前だったからか、それとも声が聞こえたからか、車が急ブレーキをかけた。タイヤは砂の上ですべり、車体は90度右にきれた。ロイはそこまで駆けると、ボンネットを踏み台にして高く跳び上がった。
剣に熱を込める。機械は動力の中の燃料で動いているとグリンに教わったことがある。そしてそれは火に弱く、簡単に火がつくらしい。そのまま剣を振りかぶり、その機械の羽の付け根の鉄と鉄の間に差し込みんだ。肉を裂くような柔らかい感触が手に残った。それはつまり、鉄でつくられているのは外側だけで、内側は獣や魔物と同じだという事だろう。ロイは、そのまま十メートルほど落下したが、上手く足から砂の地面に着地した。
ドオオオオン
機械は空中で爆発した。炎上したままロイの頭の上に落下してくる。転がるようにして辛うじて逃げた。
「あっち!」
なんとか衝突は避けられたようだが、熱された金属片が手の甲に触れた。少し無茶が過ぎたようだ。
手の甲をさすりながら立ち上がると、振り返ってその機械を見た。燃え続けているそれは完全に沈黙し、ガラクタと成り果てていた。黒い異臭を放つ煙だけが、モクモクと立ち上がっていた。
「・・・・・・」
その光景を見て運転手はフードを取り、呆然としていた。
「女?」
そこには金色の髪を翻す少女の姿があった。少女は信じられないと言う表情で、機械とロイとを交互に見ている。
立ち込める黒い煙と陽炎のせいで、少女の姿は少し歪んで見えた。しかし、フードを取り、地面に落としたのは見て取れた。フードは薄手の布で、日射しから体を守るために全身を覆うものらしい。
その炎の激しさはとどまることを知らず、依然として燃え続けている。しかし、その鳥が完全に沈黙したことを確認すると、ロイは剣を納めた。そのとき、陽炎の向こうの影がふいに動いた。
「すっご~~~~い!!」
あまりにも感嘆したその声に驚き、身をすくませたロイを無視し、少女は跳びついて来た。間一髪のところで後ろに下がり、それを避けた。瞬間的に感じた恐怖に額には汗が滲む。それは照りつける太陽や、燃え続ける炎のせいだけではないだろう。人生経験の少ないロイにとって初対面の相手に飛び掛るようなテンションの高い人間に対しての抵抗力は皆無なのであった。
「すごい!!」
間髪入れず二撃目が来る。慣れない砂の足場に掬われ、今度は回避する事はかなわなかった。少女の手ががっちりとロイの手を上から掴む。恐らく人間同士の“手をつなぐ”という行為はこうではないはずだ。恐らく今の状況を見た人100人のうちのほとんどは“手を捕まえた”と表現するだろう。2,3人はボケたような表現の仕方をするかもしれないが・・・。
少女は感激のあまり手をガッチリと両手でつかみながらも、ロイのことを不審そうに見た。その表情を見てロイは納得する。確かに豪傑な男ならいざ知れず、ロイのような少年がこれだけの事をしたというのは信じられないことだのはずだ。とりあえず手を“握った”まま、先ほどとは違う警戒の目でロイをじろじろ見た。だんだんと手にこもる力が強くなる。
「・・・・・・」
ロイもロイで少女を警戒を込めた目で見る。自分が不審だという事は十分に自覚しているが、こんな砂漠で1人で戦っていた少女もかなり不審だ。じっと見つめると、少女はなかなか整った顔立ちをしていた。ちゃんとした格好をすれば、シルクと並んでいても違和感は無いだろう。ただし、今は女性のものとは思えない武骨な格好をしていた。金の髪は腰まで伸び、青い両眼はどこまでも深い。その少女は少女と言ってもロイより少し上、16,7歳くらいに見えた。
「・・・何?」
ロイの視線に気づき、少女が問う。それは突然手を“捕まえ”られて、じろじろ見られている俺のセリフだという大きなつっこみを心の中で盛大にしたあと、ロイは答えた。
「手、痛いんだが・・・」
ああ、と少女は思い出したように手を離した。ロイの日に焼けてもまだ白い肌に、赤い手の痕がくっきりと残っている。ロイは両手を少し振って血行をよくする。
「あなた、何者なの?」
怪訝そうな目と警戒は全く解けていない、いやむしろ先程よりも増したようだ。
「・・・ロイ=クレイスだ」
その答えは質問の的を得ていないと自分の中では分かっていたが、そう答えた。少女がロイを警戒しているように、ロイもまた少女を警戒している。車を足で運転しつつ大きな銃を乱射している少女を普通だと形容できるほど、ロイは適当な人生を歩んでいないつもりだ。
「そう・・・あたしはエリナリア=スタンフィーナよ。エリナって呼んでね」
状況によっては友好関係が芽生えるようなセリフだが、剣呑な少女の声色はそれを許そうとしない。少女はロイと一歩の間隔を取ったまま、言った。
「・・・何をしたの?ただ斬ったわけじゃないんでしょう?あの機械は鋼でできていて、銃でさえほとんど効かないんだから」
ロイは肩をすくませ、少し微笑んで見せた。あえて言うなら斬ったのは鉄の部分ではなく肉体の部分で、倒したのは斬撃ではなく、燃料を爆発させることが偶然できたからなのだが。
「・・・企業秘密だ」
「・・・は?」
少女は面を食らったような顔をした。しかし、元の険しい表情に戻ると、いっそう敵愾心を募らせた。
「・・・そんなことより」
リーエンのような戦士ならともかく、ごく普通の一般人(とてもそうは見えないが、一応そういう事にしておこう)に術のことをばらすわけにもいかない。ロイはできるだけ自然に話をそらそうとした。ロイの拙いコミュニケーション能力では不自然極まりなかったのだが。
「さっきの布、羽織ってなくていいのか?火傷するぞ?」
「あなたはどうなの?」
「・・・・・・」
息もつかせないほど早く切り返してきた。確かに、先ほど走るときに邪魔になったので布は投げ捨てたから、そのセリフは自分自身にも言ってやらなければならない。だがあれは今頃砂の中に埋もれているだろう。とても探す気にはなれない。
「・・・ふぅ、まあ、いいわ」
少女は軽く息を吐き、警戒を解いた。
「助けてくれたんだから敵じゃあないんでしょう?一応信用するわ」
「敵?」
ロイのその反応を見て、少女は首を傾げた。
「ああ・・・あんた、ドートリアかカルタゴラの人間か!」
「ドートリアよ!カルタゴラなんかと一緒にしないで!」
少女はむきになって言った。よほど敵国と同一視されたくないらしい。ロイとしてはどちらも同じように感じられるのだが、それは伏せておこう。
「この砂漠を東へ歩いてたって事は、あなたもドートリアを目指しているんでしょう?送ってあげるわ。車に乗って」
一度断ろうとしたが、却下された。この少女、相当強引だ。シルクもこんな感じだったからこの年ごろの女性というものはこれが普通なのだろうか。残念ながらロイの少ない経験では断言できない。そう思いながら助手席に乗ると、少女はエンジンをかけた。必要以上に肩に力が入っている気がする。どうやら覚悟を決めておいた方がよさそうだ。
「わっ」
少女はいきなりアクセルを思いっきり踏んだ。後輪は砂を捕らえきれずしばらく空回りしていたが、やがて一気に走り出した。突然の勢いに首は後ろに引かれ、ガクンと言う音が脳に響いた。ムチ打ちになりそうだった。
「ああ、ごめんね。あたし運転はあんまり得意じゃないのよ」
そう言いながら少女はいきなりハンドルを右に切った。砂丘を回避するためなのだろうが、車体は右に傾き、左の車輪が少し浮いた。
「・・・先に言ってくれ」
ロイはそう呟いたが、その声は少女には届いていなかった。真剣な顔つきで前を見ている。ロイは大きく息を吐いた。すると少女が前を見たまま一言―――
「溜息をつくと、幸せが逃げるわよ」
もはやただただ苦笑いするしかなかった。




