第12話 破滅の村 1
「エルノフ!エルノフ!!」「うわああああん」「スバル!!」
辺りは騒然としていた。魔物の撃退には成功したものの、それによる被害は計り知れない。屋内に避難していた子どもや女、老人達は家を飛び出して愛するものにすがり、悲しみに嘆いていた。
「・・・・・・」
ロイは呆然と突っ立っていた。ただじっと、グリンに読まされた物語の本の挿絵を見ているような、そんな気分になった。自分はよく戦ったとは思う。それでもこれだけの人が死に、または傷付いている。勝ったか負けたかでいえば確かに勝ったのだが、ロイの心の中には敗北感が満ちていた。
「ロイ」
リーエンがぽんとロイの背中を叩く。その表情は未だに緊張が解かれておらず、険しい顔をしていた。当然だ。ロイがボンゴの人々を失ったのと同様に、リーエンもたった今、親しい人を失くしたのだから。
「俺は同士の埋葬をしなければならない。お前は家に戻って着替えて来い。そのような返り血だらけの服ではいささか居心地も悪いだろう」
ロイは静かに首を振る。そのたびにガンガンと頭痛が走った。
「俺も・・・手伝うよ」
「・・・そうか」
リーエンは少し表情を緩ませた。すぐさま踵を返し、仲間の元へ向かった。ロイもその後に従う。仲間の亡骸の側で膝をつき、黙祷する。ロイも目を閉じたが、その途端に倒れてしまいそうだった。術の限界が近いのかもしれない。数十秒黙祷すると、その家族がすっと身を引いた。3人で頭、腰、足を持つと、墓地へと運んだ。
やけにに手際がいい、とロイは訝しんだ。
ボンゴで人が死ぬとき、こんなふうに静かではない。死体を埋める時でも遺族はすがり、泣き続ける。
この戦士の村ではさっきリーエンが言ったとおり、誰もが死を日常として受け入れているのだろう。
墓地は地面に穴を掘ってその上に木で作られた碑を立てる質素なものだった。老人や女性を中心にして、ロイたちが到着した時には既に人一人ぶんの穴がいくつも掘られていた。
3人ずつで協力して遺体を穴の中に横たえていく。もう一度全員で黙祷をして上から土をかぶせた。
「・・・・・・戻ろう」
リーエンは未だに険しい顔をしている。その表情はどこか泣いているようにも見えた。その顔を見て、村の惨状を眺め、ロイは尋ねた。
「なあ、リーエン。どうして戦わなくちゃいけないんだ?」
リーエンが振り返り、暗い目をしているロイを見た。
「戦わずに・・・どうして大切なものを守るんだ!?」
強く言い放ったその言葉は、怒っていると言うよりも自分に言い聞かせているようだった。
そのままリーエンは一言も言わずに家に向かった。ロイもその後を追ったが、眩暈がし、景色が歪んで見えた。
意識が朦朧とする。何も考えることが出来ず、ふらふらと糸に操られるマリオネットのようにリーエンの背中を追った。
突如視界が暗転し、ロイの意識はかなたに沈んだ。
ドサッ
リーエンが物音に驚き、振り返ると、ロイが地面に突っ伏していた。
「おい!どうした!」
肩をゆするが反応はない。
―――これは夢だ。
直感的にそう思った。真っ白な世界。地面も天も周囲も全てが白く、宙に浮いているような気さえする。天はどこまでも続く白い壁のようだ。影は一切なく、狂おしいほどに白い。
―――影・・・・・・?
目の前、その一転だけ黒い闇が広がっていた。始めは拳のように小さかった。しかし、しだいにロイの体ほどの大きさになり、そのまま膨張し続けていた。
―――・・・・・・っ!
足を絡め取ろうとする闇から一歩後ろに跳んで逃げた。この闇には触れてはいけない。そんな感覚が脳裏によぎったからだ。しかし、闇はロイの後を追い続ける。まるで影が体に戻ろうとしているかのように伸びている。
ロイは踵を返し、走った。正しいかも分からない自分の直感に従っていた。これまでにないくらい全力で走った。不思議と疲労感はない。体は羽のように軽かった。
チラッと後ろを見る。こんなに速く走っているにもかかわらず、影はロイと同等の、いやそれ以上のスピードで追いかけてきている。しかも、先程よりも大きくなっているようだ。
前を向き、更に加速しようとするロイの視界に影が映った。影は上から覆いかぶさるようにして、ロイの体を包んだ。
―――これは夢、夢だ!
影がロイの体に吸い込まれるようにして消えた時、全身の筋肉が突っ張るような感じがした。めまいがして、右手を顔に当てる。
―――なんだこれは!!
固い爪が顔に当たった。慌ててそれを見ると、長く尖った爪が生えている。驚いて顔をしかめ、歯を噛み締めた時、異物が当たった感触がした。触れると、鋭利な牙がそこにあった。
―――何だこれは!?まるで・・・妖怪みたいだ。
いつのまにか目の前に鏡がある。ロイは、恐る恐るそれを覗き込んだ。そこには・・・
―――うわああああああ!!
恐れ、驚く妖怪の姿。茶色い髪に白い肌。尖った耳と鋭い牙に、鋭利な爪が生えている。自分とは似ても似つかない姿。しかし、そこにいるのは紛れもない自分。
ロイはそこにうずくまり、両手に顔をうずめた。額に爪が刺さる。
―――嘘だ・・・嘘だ・・・。
そういってみた鏡の先にいるのはうずくまる自分の姿。その妖怪がこっちを見て見て笑った気がした。
―――うわああああああ!!
「ロイっ、ロイっ・・・しっかりしろ!!」
「ちょっと、病人なんだから静かになさいよ!!」
肩を大きく揺さぶる感触と、耳を劈く声でロイは目を覚ました。視界に二人の人間の顔が映っている。
「ロイ、大丈夫か?」
リーエンが叫ぶ。ロイは周囲を見渡して、何が起こったかを悟った。
「俺はどれくらい眠っていた?」
ロイの体はベットに横たわっていた。小窓からは見張り台が見える。
確か、リーエンの家に向かう途中で倒れて・・・そこから先は記憶にない。覚えているのは、自分にそっくりな妖怪の姿。
いや、あれは夢だとロイはかぶりを振った。
「あの日からまだ一日も経っていない。とはいえもう昼過ぎだがね」
リーエンの顔は気のせいか少しばかり嬉しそうに見えた。
「あなたの服は洗っておいたからね」
リーエンの後ろでアレルナが言った。見ると、ロイは別の服に着替えさせられていた。
「それで、ロイ。聞きたいことがある・・・」
リーエンの顔が険しくなった。すぐにアレルナが言う。
「ちょっと、リーエン。まだ熱は引かないんだから後で良いじゃない!」
「しかし・・・」
リーエンは振り返って困った顔をする。
「いや、良いよ。魔物の身体を炭にしたことだろう?」
リーエンの眉根がピクリと動いた。すぐにアレルナが口を出す。
「ちょっと、ロイも。あなたまだ結構な高熱なのよ?」
ロイは微笑んで見せた。ここでリーエンに世話になっている以上、隠しておくわけにもいかない。それに、精霊術がいかなるものか、もう一度思い出したかった。
「もう」
アレルナが溜息をつく。
「勝手にしてちょうだい。また倒れても知らないわよ」
そういうと、リーエンに小言をいいながら部屋を後にする。リーエンは扉が閉まるまでアレルナの背中を見つめ、振り返ると苦笑いを見せた。
「では、教えてくれ。あれがなんなのかを」
ロイが頷いた。
「・・・なるほど。私にもまだまだ知らないことが多いな」
ロイがすべてを話し終えた時、村は赤い光に包まれていた。その夕日の中に魔物の姿は見えない。が、窓から差し込む真っ赤な光は嫌が応にも昨日の事件を思い出させる。
リーエンは大きく息を吐き、首を振った。
「ひとつ聞いていいか。その術を得て、満足だと思っているか?」
ロイはリーエンの目をじっと見る。その細められた目は、睨んでいるようにも泣いているようにも見えた。ロイは目を閉じ、故郷を思い出す。そして、ゆっくりと首を振った。
「いや・・・俺はずっと家族と暮らしていきたかった。平和に・・・でも」
俯くように自分の掌を見つめていたリーエンが顔を上げた。
「ボンゴだけじゃない、今、ザイガの平和が奪われようとしている。そして俺には力がある。それなのに戦わずにそれを見ているなんて真似は出来ない。だから俺にはこの力が必要なんだ」
「・・・・・・」
リーエンは黙ってじっとロイを見ていた。その少年は小さい頃から戦士として鍛えられてきた自分と比べてなんと華奢な体つきなのだろう。
―――それなのに、この子は戦うことを選んだのだ。
「しかし、私にはカルコンというものが悪だとは思えない・・・」
ロイがこちらを睨んだ。その目は猛猛しい炎が宿っているように爛々と輝いている。それは、百戦錬磨のリーエンにすら恐れを抱かせる表情だった。
「落ち着け。・・・確かに今のカルコンは独りよがりな独裁者だ。自分の目的の為にボンゴを踏み台にした。しかし、しかしだ。もし、魔物を駆逐する事が出来れば、それは人間の平和を意味する。魔物と戦い続けた私達には、その考えが分かる気がする」
ロイは奥歯を噛み締めた。怒りがふつふつと湧き上がってきて、怒鳴り散らしてやりたかった。しかし、ある感情がそれを阻んだ。それは魔物への怒りと恐怖。その相反する想いが頭の中をぐるぐると駆け巡っている。
ロイは上半身を倒し、ベットに仰向けに倒れ込んだ。リーエンが驚き、腰を上げた。
「・・・ウッ・・・ウッ・・・」
嗚咽が静寂の中の部屋に響いた。ロイは右手で顔を覆っている。その目からあふれ出しているのは、旅立った日に捨ててきたはずの涙だった。
「じゃあ・・・俺はどうすればいいんだ・・・・・・?家族を奪われた怒りと寂しさを忘れられるほど、俺は大人じゃない」
ベットに横になり、涙を流すロイに、リーエンは微笑みかけた。
「怒りたければ怒ればいい。寂しければ泣けばいい、苦しければ叫べばいい・・・。何も我慢する必要なんてない。お前はまだ子供なのだから」
そう、なんてことのない普通の子供。それが突然戦いを余儀なくされた。リーエンと似た境遇ではあるが、ロイにとってそれはあまりにも突然で、その嘆きを口に出す暇もなかったのだろう。
リーエンはロイの胸にそっと手を置いた。
「お前はやはり、一度そのカルコンという男に会ったほうがいい。カルコンが魔物を駆逐すること、世界を掌握すること、お前の故郷を奪い去ったこと・・・。果たしてそれがザイガの為に良いことなのか。世界を見て廻ったお前の目で判断するべきだ」
顔を覆ったまま、ロイは頷いた。リーエンは立ち上がり、ドアに向かった。
「腹が減ったな、飯を持ってきてやるからここで待っておけ」
そう言ってドアを開いたリーエンに、背後からロイが声をかけた。
「ありがとう、リーエン」
リーエンはふっと笑って部屋を出た。