第10話 幸福の終わり 2
時を同じくしてグリン邸。日ざしを避けるようにして作られた部屋に風が舞い込んでいた。その風に誘われるようにして、シュートがゆっくりと目を開けた。
シュートは部屋を見渡してすぐさまここがグリン邸であることに気がついた。質素ながら格式があるつくりで、どことなく間借りしていたシルクの家のたたずまいに似ている。
「リート・・・」
そしてすぐに思い出す。自分がリートによって受けた傷で倒れてしまったこと、街人を騙していたことがばれてしまったこと。そしてすぐに頭を回転させた。
―――ここにいてはいけない。
「!!」
階段を登る足音が耳に飛び込んできた。そして、その音はゆっくりとこの部屋に近づいてくる。それは死神の笑い声のようにかすかに、しかし背筋を凍らせるのに十分に強く聞こえてくる。街人を騙し続けた自分はよくても懲役刑、下手すれば死刑になりかねない。
シュートはベットから起き上がった。その両足は運動不足と恐怖とでがくがくと震えている。奮い立たせるように両足を叩くと、窓を大きく開けた。風は止み、汗ばむような陽気が全身を襲った。遠くに見える入道雲は、押しつぶされそうな圧迫感を放っていた。
「シュート!!待てっ!!」
その背後からの叫び声と同時に窓枠に足をかけた。そのまま振り向きもせずに跳び降りる。
着地の瞬間に辺りの芝がなびいた。2階から地面まで3~4メートル。下が芝生だったとはいえ、長い間動かさなかった両足は相当弱っていたらしく、衝撃がビリビリと伝わってきた。幸い足をくじくことはなかったので、足の痺れの回復を待たずに、転がるようにして屋敷の塀の方へと駆け出した。
その時、上から声が響いた。
「待つんじゃ、シュート!外は危険じゃ!ここを出たらお前をかくまってやることは出来ん!!」
シュートの足がぴたっと止まる。飛び降りた窓からは血相を変えたグリンが叫んでいた。シュートは体をグリンのほうへと向け、訊ねた。
「どういう・・・事ですか?」
右手は部屋の机の上においてあったホルスターを触れている。それを使わずに済むかもしれないというほんのわずかな希望の中、その手は震えていた。その様を見て、グリンは悲しそうに事の顛末を話した。
「・・・・・・と言うわけじゃ。おぬしを利用していた罪が私にもある。わしはこの罪を償いたいんじゃ」
じっと黙って聞いていたシュートは顔を上げ、グリンに言った。
「それでは、僕の罪はどうなると言うのです?あなたが僕をどう利用しようが僕はこの町の何万人もの人を騙した。それは疑いようのない事実です。それを償わず、このままのうのうと生きてゆけと?」
グリンは押し黙った。若いからいいじゃないか。そんな説得力の欠片もない言葉が脳裏によぎったが、口には出さなかった。シュートは悲しそうにグリンを見て、
「それでは」
と言って踵を返した。グリンは窓枠に手をかけ、身を乗り出して叫んだ。
「では、シルクのことはどうなる!?」
一歩を踏み出したシュートの足がピタッと止まる。
「シルクを騙したことは罪ではないのか!?それを償わずに死ぬのか!?」
シュートがもう一度グリンのほうに振り返った。
「あの魔物もそうじゃ!一緒にいると誓ったのではないのか?お前はそれを投げ出すと言うのか!?」
ゴホゴホと咳き込む。声を張り上げるのは老体には相当応えたようだ。
「シルクとリートは今どこに?」
間髪いれずシュートが尋ねた。
「シルクは今こちらに向かってきておる。あの魔物のほうは・・・・・・ロイと一緒に消えたまま、まだ行方が分からん」
シュートは足元の風になびく草を見つめた。少なくともグリンにはそのように見えた。突然顔を上げると、グリンに向かって叫んだ。
「分かりました。・・・でもけじめはつけたい。手錠をかけてください」
グリンは目を見開いた。しかし、シュートの目を見て、静かに頷いた。使用人の一人をシュートの下へ行かせ、手錠をかけさせた。
「本当にいいのか?」
シュートは先ほどまで眠っていた部屋に連れて行かれた。その部屋の中に居たグリンに問われ、静かに頷いた。
「シルクが先ほど到着した。応接間に行こう」
使用人の一人が扉を開けた。シュートは自分のほうに振り向いた妙齢の女性を見る。大きな窓から光が差し込み、さながら後光のようにその女性を神々しく見せていた。シルクはシュートを見て、その体の前でつながれた両腕に驚き、キッとグリンを睨んだ。グリンは首を振って言う。
「いやいや、わしの指示ではない。シュート自身の依頼でな」
そのやり取りをじっと聞いていたシュートの背中を使用人が押した。シュートはソファに誘われ、腰を下ろした。シルクはその向かい側に座る。グリンと使用人は部屋を後にする。閉じる扉の音がいやに重く響いた。
「・・・・・・」
沈黙が流れる。シュートが申し訳無さそうにチラッとシルクの表情をうかがうと、今にも泣き出しそうな顔で俯いていた。
―――これが僕の罪なんだ。
シュートは思う。最初は彼女が富豪の娘であることを知ってついて来させた。シュートには出資者が必要だったからだ。だが、それもすぐに変わった。利害なんかじゃなく、純粋に一緒に居たかった。だが、その夢のような時間もこれで終わり。ここに来るまで、街から出ればそれで良いと思っていた。
しかし、この表情がシュートの罪を再認識させる。明るく、愛しい目の前の人。言葉に出来ないほど傷つき、シュートを怨んでいる。シュートは目をつぶった。
「シルク、お願いがある」
シルクが顔を上げた。その目には涙がたまっていたが、シュートはその顔を見つめている事がかなわなかった。つながれた両手でホルスターから銃を抜く。ハンマーを上げ、シルクに差し出した。
「これで僕を殺してほしい」
シルクが驚いたように目を見開いた。震える唇が『どうして』という形に動く。それは聞き取ることも出来ないほどにか細い声だった。シュートは一度大きく深呼吸をした。シルクの目を見るように自分に言い聞かせる。
「僕が罪人だからさ。罪の果てに待つのは罰。僕は罰を受けなければならない」
シルクの目を見ているものの、もはや焦点は定まっていなかった。ぼんやりと見える彼女の顔にはどんな色が浮かんでいるのだろうか。
「リートのことはあいつの勘違いだ。それにあいつはもう一人でも生きて行ける。そして街人たちは僕が死ねば納得するだろう。そして・・・」
シュートは一度言葉を切り、心を落ち着かせた。
「そして僕を最も怨む君に僕の命を捧げよう。さあ、僕を大罪から解放してくれ」
シュートの手からおもりがなくなった。シルクはシュートの銃を持ち、銃口をこちらに向けている。シュートは目を閉じ、銃口が眉間に当たるように頭を下げた。すぐに死ねるように全身の力を抜く。
パシン
火薬の爆発音はしなかった。その代わりに左頬に痛みが走る。シュートは驚いて顔を上げ、痛む頬に両手を当てた。シルクはボロボロと涙を流していた。
「許さないわよ!全部捨てて逃げるなんて絶対に許さない!!」
シュートは茫然とシルクを見る。その目から溢れる涙はとどまることを知らずに流れ続ける。
「死んで全部終わりにするなんて、ただ逃げてるだけじゃない!!そんなのは償いでもなんでもないわ!!」
シルクは嗚咽を漏らした。涙がぽたぽたと零れ落ちる。シュートは頬を押さえたまま言った。
「じゃあ、僕にどうしろっていうんだ?僕は・・・僕には・・・」
一瞬言葉を飲み込もうとしたが、顔を上げたシルクの目を見ると、その気は失せた。
「・・・・・・僕には君に怨まれてまで生きていく理由がない」
止まりかかっていたシルクの涙がまたしても溢れ出した。シュートが焦ってあたふたする。
「だからっ、その銃で僕を撃ち殺してくれ!!」
今度はその動きを目で捉えていた。左手が上がり、振り下ろされようとしている。長年の経験から、シュートの手が無意識に体を守ろうとしたが、シュートはそれを必死にこらえた。
パンッ
再び乾いた音が響く。自分では見えないが、両頬とも真っ赤に腫れている事だろう。
「どうしてあなたはそうやって、いつも一人で抱え込むの?どうしてあたしが怨んでるって思い込むの?」
「・・・・・・え?」
シュートの思考が止まった。顔を上げる。ただシルクの嗚咽だけがシュートの脳に響いている。
「だって、僕は・・・君を・・・」
「怒ってるわよ!!」
間髪いれずにシルクが叫んだ。その目にたまった涙が止め処なくあふれ出す。
「あたしはあなたに信頼されたかった。あたしにだけは本当の事を言って欲しかった。でも、怨んでなんかいないの。あなたはパパが死んで生きる希望をなくしていたあたしに光をくれた。あたしに生きる喜びを教えてくれた。だから、だから・・・」
いつのまにかシュートの目にも涙が滲んでいた。涙を通して見た目の前の女性はいっそう美しく見えた。
「どうすればいいんだって言ったわね。勿論絶対ってわけじゃないんだけど・・・」
シルクが頬を赤らめる。
「あたしと一緒に生きて欲しいの。あたしはあなたに恩を返したい。あなたはあたしに罪を償いたい。きっとあたしたちならお互い支え合っていけるはずだから」
シュートの頬に一筋の涙が流れる。シルクを見ると、微笑み、こちらを見ている。シュートは静かに口を開いた。
「―――約束する・・・・・・絶対に」




