第9話 Doubt! 2
「はあ、はあ、はあ」
山の斜面を息を弾ませながらシュートは走っている。握られた手にはその運動に由来しない汗が握られており、耳には先ほどの悲鳴がこだましている。
「・・・無事でいてくれよ、リート」
その背後、シュートが無我夢中でなかったら確実に気づかれるような位置にロイはいた。そのまま声をかけようかとも思ったが、ロイの悪い予感がそれを妨げていた。倒木をシュートと同じように跳び越え、一定の距離をとりながら涼しげな顔で走っている。
山頂に達し、視界が開けた。しかし、シュートの視線は風景ではなく、うずくまっている魔物に注がれていた。
「大丈夫か、リート!」
シュートは駆け寄り、魔物を抱き寄せる。ロイはその光景を唖然とした顔で見ていた。もちろん、気付かれないように木の陰に隠れている。その魔物は大きさは人間と同程度で、その姿は熊の様である。ただ、それが熊でないとわかるのは、手足があまりにも細長いからであろう。
ピクリとその魔物が体を動かす。
「リート、気がついたか・・・。よかったぁ。ゴメンな、怪我させて」
見るとその魔物の肩に傷があり、血が流れていた。先ほどロイに斬られた傷だ。
「シュートっ!!」
我慢の限界を感じたロイはシュートの名を叫んだ。シュートが緊張した面持ちで振り返る。
「ロイ・・・。どうしてここへ・・・?」
シュートはぐうの音も出ないような表情でロイを見る。ロイは肩を震わせて叫んだ。
「お前、街の人達を騙してたのか・・・。その魔物を利用して、街のヒーローにでもなりたかったのか!?」
シュートは真剣な眼差しに戻り、魔物を抱きよせながら答えた。
「否定はしない。こうでもしなければリートは生きていけないからな。リートはその未熟さゆえに親に捨てられた魔物だ。それを僕が拾って小さい頃からこっそりと世話をしている。ここが人に見つかれば討伐と称して殺されてしまうだろう」
シュートは街の人々にこの山こそが魔物の住処なのだと説いてきた。そのかいがあって、この数ヶ月間、この山に近付いた人間はいない。
全く悪びれた様子もない返答にロイはシュートを指差して言う。
「お前のしでかしたことを町の人達に暴露する」
怒りをたたえたロイの発言にシュートはピクリと眉を動かす。
「それは結構だが徒労に終わるだろうよ、ロイ。この数か月間街を守り続けてきた僕と、故郷も定かでなく、浮浪者のようにこの街に来た君、どちらの言葉が信じられるとおもう?」
ロイは奥歯をかみしめた。罵声を浴びせてやりたい衝動に駆られたが、シュートの言葉には一理ある。言いふらしたところで誰も信じやしないだろう。ロイは少しの間だけ目を閉じ、ゆっくりと剣を抜いた。
「斬る」
その瞬間、シュートの顔色が真っ青になった。ロイの前に両手を広げ、魔物をかばう。
「やめろ!!こいつは俺の大切な友達なんだ。お前は魔物だという事だけで命を斬り捨てるのか!?」
ロイは躊躇なく剣を抜き、振り上げる。
「いっそ哀れだな、シュート。魔物が友達だなんて笑えもしない。俺の友達は全員魔物に奪われた。友達だけじゃない。家族もだ。俺が見知っていた人全ては一夜で滅ぼされた」
魔物は憎い。『魔物から人々を救う』なんて目標を立てても、あの惨劇から一年が経過した今でもその怒りは収まるものではない。
高く構えた剣を振り下ろす。シュートは魔物を抱きかかえるようにして庇った。
「シュー・・ト・・・ダイ・・ジョ・ウ・・ブ・・?」
その時、魔物が小さく声を上げ、剣を振り下ろすロイの動きが止まった。
「喋った・・・!」
驚くロイにシュートは言い放った。
「魔物は賢い。言葉を教えれば話すし、字を教えれば書く。それぞれに意思を持った命なんだ」
ロイはシュートと魔物を見比べた。何か考えるように目を閉じると、溜息をつき、剣を納めた。踵を返し、街の方へと足を進める。
「ロイ・・・・・・」
「・・・気が変わった。魔物ってだけで全て殺そうとする・・・。これじゃああいつと同じなんだよな」
ぶつぶつと呟き、もう一度シュートと魔物の方を見た。
「・・・・・・でも、その魔物が人を襲うようなことがあったときは容赦しないぜ」
ロイは山道を下ってゆく。その様をシュートは何をするのも忘れて見ていた。
その昼、ロイが立ち去った後、リートの手当てを終えたシュートは言った。
「しばらく街に近づかないほうがいい。それと僕もしばらく来れそうにない。飯は自分で取れるだろ?」
「ウン・・・デモ、ヒトリハヤダヨ・・・イッショニイテ?」
シュートは首を横に振った。リートは絶望する。シュートはきっと自分のことを見限ったのだろう。シュートの「オシゴト」を失敗してしまったのだから。
「ツギハ、ツギハチャントヤルカラ・・・」
またしてもシュートや首を横に振る。そしてリートに微笑むと言った。
「そうじゃないさ。ただ、今はまだ危険かもしれない。しばらくしたら戻ってくるから・・・な?」
シュートは立ち上がり、山道を下っていく。背後からリートの叫び声がする。
「ヤダ!シュート!イッショニイテヨ!!」
しかし、シュートは振り向くことなく下り続けた。その背中に突き刺さった言葉はシュートの心を縛りつけるように痛めたが、その痛みがリートに伝わることはなかった。
その夜、リートは山頂でうずくまっていた。その目から涙がとめどなくあふれ出している。
「シュート、シュート・・・・・・イッショニイテクレルッテ、ヒトリニシナイッテ・・・イッタノニ!」
その時、リートの体中の毛がなびいた。巻き起こった風は木々を揺らし、葉はかなたへと舞って行った。目を向けるとそしてそこには一人の人間が立っていた。
風が止むまで、リートは身動きひとつ取れなかった。その視線はその人間へと注がれていて、目をそらすこともかなわなかった。青い髪、そして見たこともないような薄い絹を身にまとっている。髪も絹も風そのもののようになびいている。その姿は神々しく、月光が後光のように射していた。なぜかよくわからないが、その人間の左胸に無性に手を伸ばしたくなった。
その人間はゆっくりと滑るようにリートに近づき、リートの額に手を置いてその唇を開いた。
「哀れなるドビルジャベリンの子よ。痛みを怨め、憎しみを怨め、苦しみを怨め・・・・・・」
徐々に意識が遠のいていく。
「―――魂を、解き放て」
リートは自分の頭に何かが刺さったような気がした。思いの一切が憎しみに溶け込むような恍惚とした気分が全身を駆け巡る。目の前の人間は少しだけ微笑み、リートの顔を覗き込んでいる。頭の中で声が響いている。「ウラメ、ウラメ」と・・・。
「ウラメ・・・」
リートがその言葉を発した時、すべてが消えた気がした。