第8話 田舎者、都会を知る 2
ロイの眼に灰色の壁が映った頃には、キリクの言った通り日が沈みかけていた。ロイは肩に下げていた袋を持ち直し、壁に向かって足を進めた。途中からけもの道が均された道に変わった。道は西と東にも伸びている。ここを通って東西には行き来があるのだろう。
灰色の壁が見えてからその巨大さが理解できるようになるまでにさらに10分以上の時間を費やした。その壁は街を囲む防壁になっていた。近づくと、見上げた首が痛くなるくらい高かった。ちょうど道なりに来たロイの正面に鉄で造られた大きな扉があった。横幅は大人10人が両手を広げても端から端までは手が届かないであろうほどあって、もちろんいくら力をかけても開けられないだろう。扉の横には対比で相当小さく見える部屋があり、ロイが近づくとがっちりとした体格の男が出てきた。
「何か身分を示すものは持っているか?」
ロイはほとんど何も入っていない鞄をひっくり返し、身分など証明できないことを確認した。どうやら街というのは入るために手続きがいるらしい。背中に冷や汗が流れるのを感じた。門番は訝しげにロイの方を見ている。
門番がすっと近づいた。ロイはたたき出されるのかと思い、身構えたが、ロイの左手を見ると、口を開いた。
「その指輪を見せてみろ」
ロイは中指にはまっている指輪を外して門番に渡した。門番はそれとロイを交互に見つめると、無言で指輪をロイに返し、小さな部屋に戻っていった。
2分ほどして、門番が出てきた。手にはなにやら拳ほどの大きさの石が握られている。門番はもう一度ロイから指輪を受け取ると、その二つを近づけた。
「えっ!?」
音も無く、門番が持っていた石が光りだした。黄色い淡い光で、弱々しい。
「ジエルトンの方ですか。失礼しました。只今門を開けますので、しばらくお待ちください」
ロイには意味がわからない事ばかりであった。聞くのは恥かもしれないが、聞くしかないので門番に尋ねた。
「この指輪でどうして通れるんですか?」
門番は表情を崩さずに答えた。
「この石に反応する銀色の指輪を持つものは許可証が無くても街に入れると協定で決まっているのです。しかし、知っているのは国権の責任者や幹部、それと私のような門番だけです。一般人は知りません。盗まれたり、壊されたりされぬようご用心ください」
扉はからくりで開くようになっているらしい。ギイイィと言う重苦しい音をたてて扉が開いた。
「さあ、ケムトの街にお入りください」
そうロイを誘導し、ロイが中に入ると再び大きな音をたてて門が閉じた。
「すげえ・・・・・・」
夜の闇に包まれている街並みが広がっていた。中心にまっすぐに伸びる石畳の道路があり、その両脇にレンガ造りの家が建てられていた。話には聞いていたものの、ロイは木造以外の家を見たことがないので、その強固な建物に感動すら覚えた。少し歩くと左右に道が広がる。隙間無く道を形作っている家々と足元に広がる石畳はある種の芸術性さえ感じさせた。ロイは自分に芸術を感じる心など無いと思っていたが、どうやらそれは改めなければならないようだ。ずっと歩いてきて疲労はピークに達しているのだが、それすら忘れてきょろきょろと左右を見回しながら道を歩いていると、正面から黒い波が押し寄せてきた。
「なんだあれ?」
ロイは剣をつかみ、臨戦態勢を調えた。黒い波はドドドという地鳴りを続けながらロイの方へと近づいてくる。それが近づいてきて、人の波だと気付いた時にはロイはその波に巻き込まれていた。
「えっ!ちょ、ちょっと、何かあったんすか?」
その波に巻き込まれ、踏みつぶされないようにと100メートルぐらい走らされ、門が近づいてきたとき、ようやく隣で一緒に走っている男と話すことが出来た。
「なにかあったんですか?」
「モンスターだ!町の中央広場にモンスターが出たんだよ!!」
「モンスター?魔物か魔獣?」
男はコクリと頷き、スピードを落としたロイを引き離していった。
ロイは両足に熱を込め、後ろ方向に大きく跳んだ。木をのぼる技の応用で、家の屋根へと登る。黒い人間の頭髪が作っているその波はロイが今まで見たことが無いほど多くの人で構成されていてる。余りの人の多さにめまいさえ覚えた。とにかく、屋根伝いに波の進む逆方向へと走り始めた。その先には夜とは思えないほど明るく燃え盛る炎が見える。
「魔物か・・・?」
ようやく波が途切れ、地面へと降りると、目の前にある広場へと走った。
ゴオオオオ
燃え盛る炎が音をたててうなっていた。その広場の中心には噴水があり、炎の中にも関わらず蒸発することなく水を放射し続けていた。広場は円形になっている。度胸試しだろうか、ちらほら人の姿が見える。
「でかっ!!」
街を囲んでいる壁よりも遥かに高さのある大きな赤い竜が炎を吹き出していた。その炎は周囲の建物をにまでうつっている。首が長く、胴体はずっしりとしている。ロイの体はその竜の足の爪ほどしかない。それは近づいていくロイの姿に気がつくと、首をこちらに突き出した。
キシャアアアア
耳を劈く咆哮があたりに響いた。先ほど周りにいた人々も慌てて逃げ出し、ロイを含めて3人だけになった。
「いって~、くそっ」
ロイは耳を押さえながら剣を抜くと竜の体のほうへと走った。
「シルク!!」
突然叫び声が聞こえ、ロイの視界が黒くなった。そう思った途端、後ろへ突き飛ばされた。
「つう」
ロイは顔をしかめる。石畳に頭を強く打ちつけたらしく、後頭部ががんがんする。どうやら誰かに突き飛ばされたらしい。文句を言おうと顔を上げると、そこに立っていたのは長い黒髪の少女だった。ロイは立ち上がって服を払う。なんと怒鳴ってやろうかと口を開くと、それを遮るようにして少女が叫んだ。
「あなた、危ないじゃない!」
危ないのはお前だろうと言いたかったが、少女(と言ってもロイよりは幾分か年上のようだが)からしてみればロイを助けたつもりなのかもしれない。
「俺なら大丈夫だ。その魔物は俺が倒すから・・・どいてくれ」
ロイが深刻な面持ちで言うと、数秒間、静かな空気が流れた。
「ぷっ」
少女が吹きだした。
「何言ってんの?あんたみたいな子供が行ったって死ぬだけよ!モンスターのことならモンスターハンターのシュート様に任せなさい」
そう言い放って振り向いた。黒髪の少女の存在に呆気にとられて気がつかなかったが、そこには男が1人立っていた。男はちらとこちらに視線を向けた。
「ああ、その通りだ。シルク、そこの少年を連れて少し下がっていてくれたまえ」
「はい」
シルクと呼ばれた少女は嬉しそうに頬を赤らめて返事をすると、ロイのほうへと歩み寄ってロイの腕を掴み、引っ張った。
「ほら、ここにいるとシュート様の邪魔なのよ」
歩行に合わせて、波のように流れる黒髪を見て、手を引かれながらロイは考えていた。
「シルク・・・シルク、え~~と・・・・・・あっ、そうだ!」
ブツブツと独り言を言い、突然叫んだ。シルクはびくっとしてロイの方を見た。
「な、何?」
「アンタ、“お頭”だろ。リュウコウやキリクたちが心配してたぞ」
シルクはこれ以上に無いほどの驚いた顔をした。
「何であいつらのこと知ってんの?」
引きずる手は止まったものの腕は掴まれたままだ。その力は華奢な体つきにしては強かったが、ロイは何食わぬ顔で答えた。
「カリューの山で会ったんだよ。なんだ、あんた捕まってたわけじゃないのか。どうして戻らないんだ?」
突然ロイを掴んでいた腕がほどけた。ロイが掴まれていた手首を見ると痣になっていた。
「いてて・・・ん?」
シルクは唇を噛み、ロイをにらんだ。
「迷惑なのよ。勝手に婚約者になって、勝手にあたしについてきて・・・」
そう言うと、そっぽを向いた。ロイには小刻みに震える肩しかシルクの感情を表すものは見えなくなった。
「そういうつながりだったのか。じゃあ7人も婚約者を?」
「いいえ、キリクだけは親の代からあたしの家に仕えているの。後の6人はパパが勝手に決めたパパの跡継ぎ候補よ」
シルクの父親。既に他界しているとリュウコウは言っていた。大商人だということだが、そんな連中は結婚相手を親が決めるのだろうか。世間のことに疎いロイには分からない。
「それでさっきからアンタの首にかかっているのが父親の写真か?」
とりあえず確認のために言っておく。シルクがロイを睨んだ。ロイは体を起こして地面に座ると、再度ぶつけた頭をさすりながら言った。
「リュウコウが言っていたがかなり凄い商人だったらしいじゃないか」
シルクはロイを睨み続けたまま言い放った。
「そうよ、パパはこの2万人もの人が住んでるケムトの街を支えていたの。誰にでも優しい人だったわ。自分の事なんか後回しにしていつもいつも人のことばかり気にかけていたの。でも神様は残酷ね。そんなパパをケムトから奪い去ってしまったんだから」
シルクの目は潤んでいた。それは家々を燃やし続ける炎に照らされて宝石のように煌めいていた。ロイは俯き、呟いた。
「神様、か。そんなものがいたら俺からみんなを奪ったりしなかっただろうな」
シルクは驚き、視線をロイから外し、魔物によって燃やされ続けている家々を見た。その目はかすかに潤んでいる。
ギャオオオオン
魔物の大きな怒声が轟く。ロイとシルクはその声の方をするほうをはっと見た。その大きな魔物に比べて小指の爪ほどに見える人間、シュートは筒状の物を手にし、魔物に向けていた。ロイは勢いよく立ち上がると、剣を握りしめた。するとえり首が勢い良く引かれ、、ロイの尻は吸い寄せられたように地面に密着する。
「いってぇ・・・なにすんだよ」
ロイの頭を掴み、体を地面に押し付けているシルクを睨みつけた。見かけによらずなかなか力がある。だてに元盗賊団の頭目だったわけじゃないというわけらしい。シルクはロイを解放すると、両手を腰に当て、言い放った。
「それはあたしのセリフよ。素人が手を出すものじゃないわ。シュート様はプロのモンスターハンターなのよ!あなたが行っても邪魔になるだけよ!」
「ふざけんな。あんな棒で何しようってんだよ!!」
シルクは信じられないという顔でロイを見た。
「あなた、もしかして銃を知らないの?」
「ジュウ?」
シルクの顔が「信じられない」という表情になった。
「呆れた。どんな田舎の村から来たの?」
「―――ボンゴだよ」
ロイはぼそっと言い放った。田舎といわれていい気はしないが、ど田舎であることは否定できない。シルクは首をかしげている。
「・・・知らないわ。そんなところ本当にあるの?」
そう言われたロイのほうが信じられなかった。
「おいおい、そりゃあアンタの知識が足りないだけじゃないのか?」
「そんなはずはないわ。あたしはパパにタンタニア大陸の全ての街と国と集落を覚えさせられたもの」
ようやくロイは合点がいった。
「ああ、ボンゴはここ200年ほど外との交流がほとんどなかったから、記録にはないのかもな」
シルクはため息をついた。
「あっきれた。そんなことにも気付かないなんてよっぽどのど田舎ね」
むっとしたロイは口を尖らせていった。
「うるさいな。それでその“ジュウ”ってのは何なんだよ」
思い出したようにシルクが答える。
「銃ってのは、あの筒の中に入っている金属の弾を火薬で打ち出すものよ。人の体も貫通するほど強力なの。あれが開発されてからは商人の護身具から剣がほとんど消え去ったのよ。つまりあなたが手に持っているのは前時代的時代遅れな武器ってわけ」
「ぐっ・・・」
「し・か・も!シュート様の銃は改良型で、圧縮した空気で相手を吹き飛ばすのよ。見てなさい!」
そういって目をやったシュートは銃を魔物のほうに構えている。
「魔物よ、もと来た場所。冥界の彼方へ還るがいい!!」
ズドン
耳を劈く音が空気を震えさせる。銃身から出た空気は巨大な魔物の腹の部分に当たり、魔物は後方に吹き飛ばされた。
「すげっ・・・!」
ギンでもあれくらいのことが果たしてできるのだろうか。ロイは今まで最強だと思っていた精霊術が突然脆弱なものになってしまったかのように感じた。
ギャオオオオオオ
魔物は切り裂くような悲鳴をあげた。大地が、空気がビリビリと震える、体を貫くような咆哮。その長い慟哭が静まった時、魔物の姿は霧のように消え去っていた。周りを見ると、激しかった炎もすっかり消えていて跡形もない。焼けた痕跡もどこにもなく、全て消え去っていた。そこにはホルスターに銃をしまうシュートの姿だけが残っていた。
コツ、コツ、コツ・・・
シュートがこちらに近づいてくる。その整った顔は無表情で、しかし誇りと勇気に満ちていた。
―――夜が明ける。
「大丈夫か、少年」
にこっと笑いロイの方を見たシュートはロイに手を差し出した。その笑みはギンのそれとは違い、どこか裏のありそうな感じだった。
「ああ」
なんとなく気に食わなかったので、ロイはその手を借りずに自分で立ち上がった。
「シュート様!!カッコよかったです!」
「ああ、ありがとう、シルク」
先ほどの高飛車な物腰とは打って変わって一人の乙女の顔となったシルクは、シュートに近づいた。その姿は朝焼けに映し出されて、きらきらと光っていた。
「君の名前は?」
「ロイ」
ロイは短くぼそっと呟いた。
「ロイ、か。僕はシュートだ。君は剣の心得が多少あるだろうけど、はっきりいって魔物と戦うのは危険だからね、やめたほうがいい」
ロイはむっとし、言い返そうとした。が、言い返す事はかなわなかった。
グギュルルルル
腹の虫が限界を訴えていたからだ。シュートは再びくすっと笑う。シルクは呆れた顔をして首をすくめていた。
「いいよ、僕も一仕事して腹が減ったし、ついでに朝食をおごってあげよう」
踵を返すと、商店街の方へと歩いていった。シルク、そしてロイもそれに続く。
夜が明けて、白んだ空にはうすい雲がいくつか浮いていた。