第8話 田舎者、都会を知る 1
「あ~・・・あち~!」
太陽が容赦なくロイを照り付けていて。ロイにとって熱を体外に逃がすことは造作もないが、それに使うエネルギーの消費は抑えられない。旅立ってわずか三日で、ロイはホームシックにかかりつつあった。ギンところへ戻ろうか。いや、こんなに早く戻ったらヘルゲン達に笑われる。ロイの中では葛藤が渦巻いていた。
ロイの脳裏では、冷たい飲み水が喉を潤す感覚が蜃気楼のように不安定に揺れていた。しかし、ここにあるのは太陽の熱にやられてぬるくなった水のみ。それもこの三日で雑菌が入り、飲むことは出来ないようになってしまった。しかし、煮沸すれば何とかなりそうなので、捨てることなく、とっておいてある。今は、樹になっている木の実や果物の水分で何とか渇きを潤していた。カリューの山道は広すぎるせいか人があまり通らないため、道は悪いが木の実は自然のままなっていた。
「くっそ~、疲れた~」
ロイは、側の石に腰掛けた。ちょうど木の陰になっていて、少し涼しい。ロイは布の袋から昨日採っておいた果物を取り出すと、ひとつを手に取り、かじった。拳大ほどの大きさで、少し酸っぱい。ロイはもうひとつ取りだして食べようとしたが、袋の中をちらと窺い、溜息を付いて果物を戻した。
小屋から持ってきた食べ物は昨日食べつくしてしまったので、もうそこらの物を採って食べるしかない。大体食べられるものは知っているが、見たことのないものは毒が怖いのでやめておいた。そうすると、中腹の小屋周辺と山頂近いここではなっている果物が違うのか、食べられるものが限られてくる。動物でも狩ろうかと思ったが、ここ2,3日の暑さではなかなか遭遇する事は出来なかった。虫はロイに吸い寄せられるようにいくらでも寄ってきているのだが、さすがに虫を食べようとは思わない。
ロイは膝に手を置き、前かがみになると、勢いよく立ち上がった。ここにいるといつまでも休んで居たくなる。それよりも早く歩かなくては。夜の森は危険だとガイに教わった事がある。危険な動物が徘徊していて、こちらと違って獣は夜目が効くから太刀打ちできないし、目標が分からなくなるから、同じところをぐるぐると廻ってしまうらしい。ロイはキョロキョロと周りを確認しながら歩き始めた。
太陽は西に傾き、暑さも和らいできた。ロイは、大きくなった袋を肩に担ぎながら坂を下っていた。顔もどことなくほころんでいる。ロイは西の夕日をちらと見ながら、暗くなる前に寝る場所を探すことにし、辺りを見回した。見ると、ちょうどよく平らな大きい石がある。ロイはそこに腰掛け、鼻歌を歌いながら袋の口をあけると、なんとそこには体長1メートルほどの蛇が入っていた。その鱗を持っていたナイフで剥ぐと、細かく切って皮をはいだ。ナイフについた血を木の葉で何度も拭いた。それから術を使って火をおこし、肉を焼く。しばらくすると異臭がロイの鼻を突いた。それは鼻を覆いたくなるような臭いだったが、空腹の今のロイは気にならなかった。次第に模様が分からなくなるほどに黒く焼けていき、ロイは肉を噛み千切るようにして食べ始めた。
小屋でもたまに蛇は出された。食糧不足のときの緊急だけで、はじめのうちはとても口に入れることなど出来なかったが、食べなければとられてしまうので仕方なく食べていた。確かに「美味い!」といえるほどでもなく、硬かったが、無いよりはましである。
全てすっかり食べ終わると、辺りの骨を森の中へと投げ捨てた。こうしておかないと、獣が狙って近づいてくるからだ。その後ロイは痛そうに顎をさすりながら横になり、眠ってしまった。
ザザザ、という葉と葉が擦れ合う音にロイは目覚めた。辺りは暗く、月だけがロイの表情を辛うじて映し出していた。風は全く吹いていないのに先ほどから続く物音に、ロイは自然と剣の鞘をつかんでいた。物音は複数のところから聞こえ、絶えず動いている。
「おい、こそこそしてないで出て来い!」
声を張り上げる。そのロイの言葉に動きがぴたりと止まった。つまり、周囲にいるのは動物ではなく、言葉を解する人間だという事だ。辺りを沈黙が包む。ロイの額から一筋の汗が流れた。その沈黙が20秒ほど続いた後、ロイは痺れを切らして行動を起こした。
「出て来ないならこっちから行くぞ!」
ロイは剣を抜くと、すばやく頭上の枝を切り落とした。それを左手でつかみ神経を集中させると、枝が発火した。それを誰かいるであろう草陰のひとつに投げ込んだ。その場所から自然と火が上がり、辺りを明るく照らす。その中に黒い影がうごめいた。ロイは草陰に飛び込むと、その影の襟の部分を掴み、グイと引っ張った。服に火が付いているその陰はあわてて火を消している。それが消えた時、その喉元にはロイの長剣が突きつけられていた。
「何の真似だ?」
ロイは目を細め、少し顎をひいて威圧感を出した。16歳のまだ幼さの残る少年の立ち振る舞いに驚いたようで、その男はぽかんと口を開けてロイを見上げていた。
ガサガサ、と言う葉がすれる音が増した。
「早く出て来い」
ようやく観念したのか、同じ格好をした6人の男が出てきた。真っ黒いその衣装は容易に闇に溶け込んでいた。気配は感じるが姿が見えなかったのは、その衣装のせいだったらしい。いまだロイに剣を突きつけられている男を含め、7人はじっと黙ってロイのほうを見ていた。ロイが睨み返すと、呟く声が聞こえてきた。
「おい、お前が言えよ」「ヤダよ、怖そうだしよ」「見たか?さっきの・・・。丸焼きにされちまうぞ」
ロイは白い額の眉間に皺を寄せ、左手で頭をかくと、一歩下がり、7人に剣を向ける。先ほどまでそれを喉元に突きつけられていた男は後ずさり、仲間の足元まで下がった。
「そこのお前、言え!どうして俺を狙った!?」
座り込んでいる男を剣で指し、威圧するようにそう言うと、男はどもりながら返した。
「えっ、えっと、俺達は、あの、その・・・と、盗賊です」
ロイの目つきが先ほどの数段悪くなった。とてもじゃないがこの軟弱そうな集団が盗賊には見えない。
「盗賊?カリューにいて何の仕事がある?」
カリューに人は通らない。果物の採集以外に人が入る理由はないからだ。
「そ、それは・・・。ちょっと前までお頭が麓の街ケムトに稼ぎに行ってたんですが・・・」
ここまで統率の取れていないのだから、その“お頭”とやらは今いないのだろう。その“お頭”はギンのように物静かな感じではなく、1人で盗みに行くような激しいタイプのようだ。ギンはものぐさなので自分で行動したりはしないだろう。
「それで、その“お頭”というのは?」
声を低くし、威圧感を出すのも慣れてきた。どうやら7人の盗賊に敵意は無さそうなので、というか戦意そのものがもうないようなので、ロイは剣を納める。それを見て安心したのか、6人の足元に座っていた男は立ち上がった。
「それが、1週間ほど前にケムトに行ったきり戻ってこなくて・・・」
先程よりスムーズに喋るようにはなったものの、頬を伝っている汗が男のひ弱さをかもし出している。
ロイが左拳を顎に近づけて目線を下げ、考えていると、7人のうちの一人が、前に出てきた。
「貴方はケムトを目指しているんですね?」
ロイは焦点を男に合わせた。スキンヘッドは威圧的だが、細いその目はいかにも温和そうに見える。やはりどこからどう見ても盗賊ではない。
「恐らくお頭は捕らえられています。是非、お助け願いたい。このままでは我々は飢え死にしてしまう」
7人が揃って頭を下げた。ロイの眉間の皺が増えた。
「ふざけるな。自分たちで何もしないで『助けてください』だと?それに俺に何のメリットがある?」
「しかし、我々にはそれだけの力量が・・・」
ロイは失望した。大の大人が7人揃って、一人の人間を助けに行く勇気すらないなんて。それとも、この世の中の人間は皆そうなのだろうか?確かにロイが今まで会ってきたのは世間から隔離された村人と、世界を救った人物が作った組織の者たちだ。ロイが今まで会ってきた者達が異常なのかもしれない。
「情けないな。それに気に食わない。もっと必死になってみろよ」
ロイは踵を返し、荷物を背負った。まだあたりは暗く、月の位置も先ほどとほとんど変わらない。ここは休んで明日の早朝に歩き始めるのが通常だろう。しかし、いつまでもここにいたら怒りを募らせそうなので歩くことにした。すると、7人が短剣を抜いた音がした。背後から襲う気だと推測したロイは、左手の親指で鍔を上げ、右手を柄にかけた。
「ああ、さようならお頭」
その言葉に驚き振り返ると、スキンヘッドの男をはじめ全員で喉元に剣をかけていた。
「おい、ちょっと、やめろ!」
ロイは7人の下に歩み寄り、必死に叫んだ。今しがた「必死になれよ」と言った自分が必死になっているようでは本当に恰好がつかない。
「しかし、お頭がいなくては我々に生きる道はありません。貴方様の言う通り、ここで必ず死ぬことにします」
スキンヘッドの男は糸の様に細い両目から涙を流し、ロイの方を見ていた。
「ぐ・・・分かった、分かったよ。街で“お頭”について聞いておくから」
「でも助け出してくれないんでしょう?それならばこの命など、必要もなく・・・」
「分かったってば、助け出す!助け出すよ!分かったから、剣をしまえ~~!!」
7人は剣を鞘に納めた。ロイははあ、はあと粗く呼吸をしている。一度に叫びすぎたせいだろう。スキンヘッドの男は涙を黒装束の袖で拭うとそれが嘘みたいにニッコリと笑っていった。
「では、よろしくお願いします。旅のお方。ああ、申し遅れました私の名前はリュウコウといいます」
この態度の変わりようは・・・。
「あんたら、盗賊団と言うより詐欺師団だな。で、何で盗賊なんてやってるんだ」
流行の後ろにいる6人も嬉々とした顔をしているから立派な詐欺だ、これは。
「ええ、我々は、まあ言うならば恋敵でしてね」
リュウコウが照れくさそうに言った。
「はあ?」
「ですから、お頭に惚れて集まった連中なんです」
「お頭って、女なのか?」
だとしたら随分と平和ボケした話だ。
「ええ、そうですよ。黒くて長い髪が似合う素敵な方でしてね。その彼女が『あたしと結婚したければ部下になれ』なんて言ったものですから」
ボケはボケでも完全な色ボケって事か、とロイは呆れた。
「この魔物が出始めているっていう時に」
頬を赤らめていたリュウコウが怪訝な顔をして首をかしげた。
「貴方がどこからいらしたのかは存知ませんけど、この辺り・・・というかそもそも私は魔物に襲われたと言う話を聞いたことがありませんよ。魔物は生きているという噂は立っていますが、しかし根拠はありません。まあ、その噂の影響でケムトの警備が強化されましてね、お頭の捕まったのはそのせいだと思います」
ギンは『結構襲われている』と言ったが、大きな町は襲われていないから語られていないのか。それともギンが間違っているのか。前者ならカルコンが狙って襲わせているのかもしれないし、あるいは魔物自体に知恵があるのかもしれない。
「で・・・その“お頭”の特徴は?」
それを聴いた瞬間、7人の目つきが変わった。髪の立っている男がロイの肩をぐっと掴み、叫んだ。
「お前、そんなこと聞いてお頭に手を出すつもりだろう!?クソ~、またライバルが増えるのか!」
そういうと、膝立ちになり、両手で顔を覆って仰け反り、苦悩のポーズを取った。
「・・・・・・」
まったく、返す言葉もない。どこまでもその“お頭”にぞっこんらしい。
「違う。何か特徴が分からないと見つけようが無いだろう?」
「それは確かにごもっともです」
そういって答えたのはさっきロイに剣を突きつけられたひ弱そうな男だった。
「お頭は美しく、強くて厳しいところもあるけれど、その中に優しさを見せる例えるならバラのような方なのです!!」
どもらなかった。この男、こんなにスラスラ喋れたのかとロイは感心してしまった。
「いや、だからそんな主観的な特徴じゃなくて・・・」
この7人と話しているとおかしくてふきだしてしまいそうだが、日が明けるどころかもう一度暮れてしまう。一番話が伝わりそうなリュウコウにもう一度訊ねた。
「ですから、バラのように美しく―――」
「それはもういい」
思わず溜息をついてしまった。人間関係って大変だ。これからこんな様なことが続くのだろうか。
「まあ、背は貴方より少し低いくらいです。年齢は今年で19です。ちなみに私と知り合ったのは12の時ですよ。先ほども申したように黒くて長い美しい髪もしています。ちなみにその美しさだけを目に焼き付けるために私は髪を剃ったのです。これぞ・・・愛!」
なんだかな、と思いつつ、ロイは苦笑いをして頭をかいた。もはや何が正しくて、何が誇張した表現なのか分からない。
「俺より背が少し低くて、長い黒髪なんだな?ほかには・・・例えば好んでつけているアクセサリーとか・・・・・・」
「そういえば、亡くなられたお父上の写真をロケットに入れていつも下げていましたよ。そのお父上と言うのはケムトでは立派な商人でしてね、お頭は小さい頃から遊んでもらえはしなかったものの、大事に育てられたのだと笑って言っていました。またその笑顔が素敵で、素敵で・・・」
成る程、ロケットか。ロイは自分の首にかかっているネックレスをちらと見た。
「ああ、そういえば忘れていた。その“お頭”の名前は?」
「お前はどんだけ探りを入れるつもりだ~~~」
「・・・・・・」
凄まじい苦悩っぷりを発揮した髪の立っている男が復活した。ロイの体をがくがくと揺さぶる。相手にしていると話が進まないので、完全に無視してリュウコウの方を見た。
「シルク、といいます。美しくて清らかないい名前でしょう?」
ロイは忘れないように頭の中で連呼した。シルクね、シルク。
「僕は、キリクっていいます。あなたの名前を教えてください」
ひ弱そうな男はロイのほうに顔を向けた。朝焼けに照らされたその顔はどこと無く爽やかな感じがするのだから不思議なものだ。
「ロイ=クレイスだ」
「ロイさん、お頭を―――シルク様をよろしく頼みます」
ロイはわかったと返事をすると、踵を返し、右頬に太陽のぬくもりを受けながら歩き始めた。
「このまままっすぐ行けば道があります。その道に沿っていけば夜にはケムトに着くでしょう!!」
キリクの叫ぶ声が聞こえた。ロイは振り返らず、左手を挙げて答えた。