第7話 旅立ち 1
あの事件から2週間が経過した。あれからしばらくの間、ロイは歩くこともままならないほどの疲労に見舞われたが、それもすっかり癒え、普段通りの生活をしている。しかし、ギンはいまだに昏睡状態が続いていた。
「お頭・・・大丈夫かなあ」
「俺達は、どうなるんだろうな」
オルソーの呟きに対してヘルゲンも呟いた。完全なる師弟制度の下に成り立っているジエルトンでは、師匠が死んでしまった場合、弟子は新たな師につくか、独学で訓練し、試験に合格して弟子を持つ資格を得るのが通例らしい。しかし昏睡ではどうすればいいのか判断もつかない。
ロイは、眠っているギンのそばの椅子に腰掛けている。顔の前で指を組み、何かを考えている。そして時折拳を強く握り、何かを思い出すように呟いた。
「カルコン・・・」
その様子をドアの外で見ていたヘルゲンは、二人の元に戻った。
「ロイのやつ、日に日にやつれてやがる」
「師の裏切りだ。心の傷は大きい」
「・・・・・・」
「だが、このままってわけにもいかねえよな・・・」
3人は、目線を合わせると、急に立ち上がった。そのまま、ギンの部屋へと歩いてゆく。
「おい、ロイ」
ヘルゲンがギンに配慮をした小さな声でロイを呼ぶ。
「なんスか」
ロイは感情のないくらい目でそれに応えた。
「行くぞ」
「どこへ?・・・って、ちょっと!」
ロイの体はいとも容易くヘルゲンに持ち上げられ、抱えられて外へと運び出された。
「やるぞ」
ヘルゲンはロイが素振りをするのに使っていた野原でロイをおろすと、肉弾戦用の薄いグローブをはめた。アンゴラはいつもロイが座っている外の丸太の椅子に腰掛けている。
「いやっス」
「あ?」
「だから、イヤです。何でそんなことしなくちゃならないんですか?めんどくさい」
ロイはそれだけ言うと、家のほうへ行こうとヘルゲンに背を向けた。
ロイの襟首を掴まれ、足が宙に浮き、3メートルほど後ろに投げ飛ばされた。
ズザアアアと言う擦れる音が耳を叩き、頬にやすりがけされたような痛みが走った。
「いってぇ、何するんスか」
ロイが生気のまったく感じられない目をヘルゲンへと向ける。ヘルゲンの怒りはピークに達し、拳を振り上げた。
ロイは反射的に後転し、ヘルゲンの拳を交わした。先ほどまでロイの体が横たわっていた地面には、小さな穴が空いていた。手加減など一切ない、殺すつもりの拳だった。
「ああ、もう!何がしたいんスか!そんなに殴りたきゃ勝手に殴ればいいでしょ」
ロイは服についた砂埃を払いながら立ち上がった。
ゴッ
ロイの体が、右側へ飛んで行った。ドシャアアと言う派手な音を立てて、ロイの体が地面を転げる。ヘルゲンは、ロイの頬を殴った右手を、握ったり開いたりをくり返している。
ロイは上半身を起こすと、赤くはれた左頬を手で押さえた。頬骨が砕けんばかりの鉄拳だった。幸い折れてはいないものの、ロイの顔面は明らかな左右不対称を作り上げていた。ロイはヘルゲンを睨みつける。太陽を背にしているヘルゲンが叫んだ。
「ダセえんだよ、お前!」
その声に、ロイがびくっと肩を震わせた。
「悔しいのはわかる。そりゃあそうだろうよ!だけど今お前がするべきことは引きこもってうだうだやることじゃあねえだろうが!」
ロイが頬を押さえながらうつむいた。
「確かに家族も知り合いも親しい人みんな吹き飛ばされて、その上師匠には裏切られりゃあ落ち込むもだろうよ。だがな、そんなふうに塞ぎこんでて何かが変わるのか?変わりゃしねえだろうが!」
ロイがうつむいたまま叫んだ。
「あんた達に何が分かるんだよ。ただ、魔物に人生を壊された“だけ”のあんた達に何が分かるんだよ!」
顔を上げ、ヘルゲンを睨んだロイの目には涙がたまっていた。それが自然と流れ出て、平らな右の頬と、山をつくっている左の頬に等しい量が流れる。ヘルゲンも、椅子に腰掛けていたアンゴラも暗い表情をしていた。
「・・・わかんねえよ。なんせ俺達は親の顔すら知らねえんだからなあ」
ロイから見て、ヘルゲンは逆光で、その表情が分からなかった。しかし、怒っているんでも悲しんでいるんでも無く、ただ懐かしんでいるようにも見えた。
―――魔物に親を殺された俺達は、孤児院で育てられた。まあ、実際牢獄みたいなところだったよ。軍隊のような管理、豚の飯のようなまずい飯。確かに100人近い子ども達を10人程度の大人で管理するのだから仕方がないんだろう。だが、あそこには同じように辛い境遇を共にする仲間がいた。毎日一緒に生きる仲間達がいたから俺達は笑って生きていくことができたんだ。
だが、俺達が12歳の時のある日―――
「昼飯の時間だ。全員自分の食器を持って一列に並べ」
大人の一人が叫んだ。無駄口を叩けば飯抜きになる事を知っていた空腹の子ども達は皿を片手に一列に並んでいた。そんな中、
「痛いよ~、ヘルゲン、アンゴラ~」
オルソーは臭いトイレの個室の中でおなかを抱え、うずくまっていた。そのドアの外で、ヘルゲンとアンゴラが待っている。
「だたら拾い食いなんてやめろって言ったんだよ。早くしろよ、オルソー。俺たちまで飯抜きにされちまうぞ」
「待ってくれよ」
「分かってるって」
30分ほど過ぎて、腹を持ち直したオルソー、そしてヘルゲンとアンゴラは急ぎ足で食事の配られる集会場へ行った。
そこには、まさに地獄の光景が広がっていた―――
口から泡の混じった血を流し、白目のまま痙攣する子ども達。あーあーと言う小さな呻き声が部屋中にこだまし、真っ赤に染め上げられた床は足を進めるたびにピチャピチャと音がする。まだ生きているその子供たちを大人たちは一人ずつ―――1個ずつ麻袋に詰めていく。
「かはっ、がっ・・・おえっ」
「・・・っ!!」
アンゴラが嘔吐する音で、大人たちはこちらを振り向いた。口を動かしながら、ピチャピチャと音を立てながらこちらに近づいてくる。その時、突風が吹き荒れた。
大人たちが目を閉じ、次に開いたときには3人の子供たちの姿は消えていた。
「戦争による疲弊で、これ以上食料を調達できなくなっていたらしい」
声が震えている。目を閉じ、一人ひとりの顔を思い出すようにヘルゲンは語った。
「身寄りのない俺たち3人は死のうがどうしようが誰も困らない。いや、あの状況では死んだ方が国のためにはよかったのかもしれない。だがな、お頭は俺達を生かしてくれた。俺たちを生かし、俺達に人を守る義務を作ってくれたんだ」
ヘルゲンは一度言葉を区切った。自然とロイの顔が上がる。
「だから俺たちは強くなって、弱さにあえぐ人々を救う。・・・お前の目的はなんだ!?復讐か?逃避か?それはお前が決めるんだ!」
初めてギンにつれられてきた時、無性に嬉しかった。死が迫っていたときにギンが救ってくれた。ロイの目的。それはきっと復讐なんかじゃなく・・・。ロイは涙を拭った。
「俺は、お頭や・・・カルコンに強くしてもらったんだ。だから、この力で魔物に脅える人々を助けたい」
ヘルゲンが嬉しそうに叫んだ。
「そうだ!俺達には無限の空が広がっている。お頭が風を与えてくれた空だ」
ロイは立ち上がった。大地を踏みしめ、拳を握り締めると、神経を集中させた。
「一発は一発だからな!」
「ふっふっふ。よし、来い!」
ヘルゲンが構えると、足元に風が巻き起こった。
「行くぞ!!」
周囲の熱が上がっていく―――
はあ、はあ、はあ
ロイとヘルゲンは野原に仰向けになると青空を見上げていた。2人とも顔はもうぼこぼこで、一回りも二回りも大きい。
アルゴンとオルソーが二人の顔を覗き込み、呆れた顔をした。二人はにやっと笑う。二人は抱え上げられ、家の中へと引きずられていった。
―――家の中のギンの部屋。昏睡状態のギンは確かに微笑んでいた。