第6話 ディアボロス 1
修業を始めてから3ヶ月。ロイは身長も伸び、日に日に身体も大きくなっていった。剣を重いと感じることもなくなったし、術を使わずに木を両断する事もできるようになった。
「ふっ!!」
地面を蹴ったロイは続いて梢の根元に足をかけ、更に上へと跳んだ。一蹴りで、数メートルは跳んでいる。
頂上まで来ると、木の頂点を左手で掴み、海の方を眺めた。15年間聞き続けた波と海鳥の音は聞こえない。既に遠くの憂愁になりつつあった。冷たい風が耳を切り裂くような音だけが耳に響く。それでもロイの覚悟は微塵も揺らいでいない。身の内に炊ける怒りはこの風程度では消えはしない。潮の香も波の音も聞こえなくても目を閉じればすべてがそこにある。ロイが失くした故郷とは自然のうねりを指すのではない。人々の笑い声そのものがロイの故郷だったのだ。
「よし、いいぞ、降りて来い」
樹の下でカルコンが言った。優に2,30メートルはあるだろうか。普通に飛び降りたら間違いなく両足が折れるだろう。受け身を取って衝撃を逃せばどうにかなるような高さではない。“熱”の術によっていくら筋力を上げても体の構造そのものが変わるわけではないのだから。
しかしロイは両足を空に出した。ロイの体が足から真っ逆さまに落ちる。3メートルほど落ちたところで樹の幹を右足で蹴った。空中で上手く体の向きを変えると続いて隣の樹を左足で蹴る。そのまま落下スピードを殺しながら地面へと着地する。地面にゴロゴロと転がり、衝撃を逃がすのも忘れない。
「うっしゃ!」
立ち上がり、ガッツポーズをした。体中についた砂を払いながら、今自分が下りてきた樹の天辺を眺めた。
カルコンはロイのもとへと歩み寄ると、表情をほとんど変えぬまま言い放った。
「まさか、三ヶ月ほどでここまで上達するとは・・・。俺ほどとはいかないが、なかなかの熱使いになった。さあ、もう今日は休め。明日から実践型の修業に移る」
ロイはまだいけますと言いたげな表情をしているが、早々と踵を返したカルコンを見てやめた。カルコンはどれほど言っても一日のメニューを変えたりしない。ロイは有り余った活力を開放するために、また樹の頂上へ跳ぶ。コツを掴めばそれほど難しくはない。神経を集中させ、足に血の全てを集める感覚。足が2倍にも3倍にも膨らむイメージ。あとは空へ向かって跳ぶだけだ。
翌日、ガイガンと闘った広場の近く。ロイの周りの木は、全て切り株と化していた。ロイは汗を流しながら、ひたすら一刀の下、木々を斬り倒していった。
「そうしたら、切った木を一箇所に集めろ」
隅のほうの切り株に座ってるカルコンが言うと、ロイは何も言わずに木を転がしたり引きずったりしながら切り株の広場の真ん中に積んだ。カルコンの指示通り円錐型に組み上げる。
「よし、それでは修業だ。その木を燃やせ」
「は?」
思わずロイの口から声がもれた。ロイの目の前には組み木がある。高さはロイの身長を2倍にしたくらい。外周に至ってはロイ10人が手をつないでようやく囲めるくらいだ。ロイは躊躇して、カルコンを見た。
「いや、流石にこれは無理じゃないですか?」
カリューの山の葉が全て落ちた頃から、ロイは木をひたすら切り、しばらく乾燥させてから燃やす特訓をしてきた。始めのうちはくすぶってしまったり、枝を燃やすだけでも2週間かかってしまったりと困難を極めたが、始めて2ヶ月で何とか燃やし尽くせるほどにはなった。一度火がつけば後は熱を広げていくだけだ。何もしなくても火は勝手に燃え広がっていくので、着火さえできればそんなに難しいことではなかった。
しかし、この量は不可能だ。そんなロイの抗議にも耳を貸さず、カルコンはじっとロイのほうを見ていた。その目には確信と冷静さが宿っている。ロイはその目を見て、カルコンが自分を信頼しているのだと読み取り、頷くと組み木へと歩み寄った。
目を閉じ、両の掌を組み木のうちの一本にゆっくりと乗せた。春が近づいているとはいえ、木の幹は冷たい。ロイは目を閉じる。
「術者といっても所詮人間だ。自らの出した火に身を焼かれてしまう。だから、常に術を使って自分を守るようにしろ」
ロイは今までの修業とカルコンの言葉の一つ一つを思い出していた。
「物質の燃える温度にはそれぞれ法則がある。まずそれを理解し、術は効率よく使え。前にも言ったが、限界を超えるとその術は文字通り己の身を焼く」
ぱちぱちと弾ける音がして、ロイの掌の先の樹が黒くなった。その範囲が徐々に広がってゆく。ロイが勢いよく目をあけ、全ての意識を掌のさらに先、組み木の内部の方へと注いだ。
火はロイの両手が接している部分よりも奥から出ていた。その火は十分な熱のある方へと四方八方上下に広がってゆく。
「ロイ!」
カルコンは切り株から突然立ち上がり叫んだ。その頬には今の季節にそぐわない汗が流れていた。ロイはカルコンの方を見ない。一瞬でも集中を切らせば火はすぐに消えてしまうだろう。
「上の方から燃えるように操作しろ!」
再びカルコンが叫んだ。ロイは灯っている火を凝視し、手を前に差し出す。水をすくい上げるように両手を上に掲げた。熱を上へと伝えてゆくイメージ。
火はロイの意志にしたがって、徐々に上の方へ昇っていく。カルコンは再度叫んだ。
「下にある火を弱められるか!?」
ロイは地表付近で燃え続けている炎を目を凝らして見る。熱を自在に操るということ。それは物質の温度を上げるだけではない。温度を下げることも可能という事だ。目を閉じ、先ほどの感覚を思い出す。左手を炎の方へと向け、握りこぶしをつくる。そしてその手を勢いよく手前へ引いた。
カルコンが驚愕の表情をたたえた。作り出した地表付近の炎はほんの少しではあるが弱くなった。頂上付近の猛る炎だけが激しく燃え盛っている。その火も次第に燃えるものを求めて、地面へと近づいていく。バランスを崩した組み木が崩れた。
ロイの玉の汗が冷たい風に乾かされた頃、その火はくすぶり、消えた。積まれていた木々はロイの腰ほどまで高さを減らし、黒い炭と煤に成り果てた。
ロイはその場に仰向けに倒れた。カルコンが倒れたロイへと歩み寄る。しかし、視線は意識を失っている弟子ではなく、ロイが燃やした炭に注がれていた。
ゆっくりと口を小さく開いた。
「ばかな・・・・・・」
頬には一筋の汗が流れている。
「・・・・・・とはいえ、やはり限界だったか」
首を動かさずに、目線だけで睨むようにロイを見下ろした。そこには弟子に対する称賛も、心配する感情も何もない。いつも通りの感情のない視線だった。
「カルコン!」
聞き覚えのある声がした。ギンが3人を従え駆けてくる。ロイが熾した炎を見て駆けつけてきたのだろう。必死な形相をしている。
「何があったんだ?ロイは無事か?」
ギンはロイのそばにしゃがみこみ、カルコンを一瞥して問いかけた。カルコンは肩をすくめ、静かに答える。
「ああ・・・。だが、術の使いすぎだろうな。この通りだ」
それを聞いたギンは先ほどからの厳しい表情を崩すことなく、カルコンを睨んだまま後ろの3人に言った。
「ロイを連れて行って休ませてやってくれ」
3人は同時に頷くと、ヘルゲンがロイを背負い、3人で来た道を戻っていった。