第5話 カルコン 2
「修業を始める前にひとつ聞きたい。お前は今の異変についてどう思う?」
唐突にカルコンが言った。ロイはその言葉の意図が全くわからなかったが、正直に答えた。
「俺は・・・・・・許せません。家族を、村を奪い去った魔物が許せない」
ロイの目は力強く、それと同様にその言葉も力強かった。
「そうか・・・わかった。では修業を始める」
質問の意図は最後までわからなかったが。今の言葉でロイの決心は固まった。
「お願いします、師匠」
昨晩、自分の事を『師匠』と呼べとカルコンは言った。
「まず、能力をいつでも引き出せるようになってもらう。金属のコップに水を入れてもってこい」
ロイは、コップに水を入れて持ってくるとカルコンに手渡した。
「“熱”の術の修業の初歩だ。水の温度を上げる」
そういうと、左手にコップを持った。しばらくすると、コップの水はゆっくりと沸騰を始めた。
「コツは、水を体の一部のように考えて、そこに神経を集中することだ。やってみろ」
突然言われてもまったくできる気がしないが、ロイは言われたとおり、コップを持ち、手に力を込め、水を凝視した。
「・・・・・・」
もちろん変化はない。
「では、コップを胸に抱えてやってみろ。“熱”の術の本質は代謝の操作だと俺はイメージしている。自分のエネルギーを無理やり消費して熱を生み出すのだとな。つまり、体幹に近いほうが自ずと能力は出やすい」
ロイは言われたとおりにコップを心臓の前で抱え、先ほどと同じように集中した。しかし、
「変化無いように見えるんですが・・・」
そもそもできるわけがないだろう。集中しつつも諦め半分でカルコンを見た。
「水に触ってみろ」
「?」
ロイは言われたとおり、指を水につけた。
「・・・暖かい!」
確かに水の温度は上がっていた。先ほどカルコンが温めた水は捨てて、新しい水に代えたので、これはロイの力によるものだろう。
「そうだ。使えないものが思うよりもずっと、術の発動は簡単だ。開眼には時間を要するがな」
自由に発動できるようになるまでが一番時間がかかるんじゃないかと思っていた。
「では、明日までに手を頭上で伸ばした状態でも水を沸騰できるくらいにはしておけ。俺はこれからやることがある」
そういうと、カルコンは山道の方へ歩いていった。ガイガンの死骸がある方だ。昨日妖怪に関して興味を示していたから、カルコンはそちらに向かったのだろう。
たとえ、手取り足取り教えてもらうことができなくとも、今まで地味な基礎トレーニングばかりやってきたロイにとって、この修業は刺激的だった。
「まだまだ時間はある」
ロイはそう呟くと、先ほどと同様にコップを抱えて、神経を集中させた。
「・・・・・・水も体の一部と考え、そこに神経を集中させる」
ロイは目を瞑って、胸の前の手の中に神経を集中した。
10秒ほどたって唐突に音が聞こえた。ハッとして水を見てみると、先ほどのカルコンのように沸騰していた。
「よしっ!!」
ロイは左手でぐっとガッツポーズをした。
「あっつ!!」
コップの水がこぼれた。沸騰しているのだから暑いのは当たり前だが。とりあえず次の段階に進むために新しい水を入れようと立ち上がった。
「なんだ!?」
眩暈がしたかと思うと、そのまま膝をついてしまった。少し息を整えてから立ち上がると、目の前にギンが立っていた。
「言い忘れてたけど、ロイ。精霊術は無限に生み出されるものじゃないんだ。使えば使うほど術者の体力を消耗していく。だから、一気に使うのは危険だ。はじめは慣れるまで時間を置いて訓練した方がいい。そうするうちに、消耗の抑え方もわかってくるし、体力も増えてくる。わかったね」
まだ少しくらくらしているロイは、返事をして、流しへと歩くと、バケツに水を汲んだ。休憩を挟まなければならないならば、水を汲みに行く時間も勿体ない。
日が暮れかかっていた。少し肌寒い山の中で、残り少ない日射しを争うように、木々が揺らめいている。夏は終わりを告げ、秋へとバトンを渡している。その中で、ロイは未だにコップを片手に立っていた。
「・・・・・・!」
わずかな音だったが、ロイの右手に高々とあげられたコップから音が聞こえた。途端にロイの曇っていた表情に満面の笑みが走った。
「できた」
小さく呟き、コップをギンが斬り倒した木の切り株に置くと、ガッツポーズをした。
水を捨て、コップを水がそこに少し残るバケツの中にいれて、切り株に腰掛けると、大きく息を吐いた。
何十回かこれをくり返しているので、どれくらい休めばいいのかは分かっている。ロイが立ち上がって、家に戻る頃には、鳥の鳴き声に変わってあたりは虫の鳴き声に包まれていた。
程なくしてカルコンが帰ってきたが、特になにを喋ったわけでもなく、ロイにも訓練が終わったかどうか聞くだけだった。ギンが言うには、昔から不愛想な男だったらしい。しかしギンみたいじゃなくともねぎらうくらいはしてくれてもいいのにな、とロイは思った。
翌日。
「昨日やった訓練は、能力を自在に操るためのものだ。しかし、実践で使うとなると、こ
れを応用しなくてはならない。今日は、熱を使って身体能力を上げる」
「?」
ロイは始め、カルコンの意味している事がさっぱりわからなかった。しかし、すぐに素振りの訓練を思い出した。あの時は熱の力で振っていたのだとギンが言っていた。
「熱によって筋力を活性化させる。ギンらの使っている風の力が、柔の力だとしたら、我々の使う熱は剛の力。純粋にぶつかり合ったら不利だ。それに・・・」
「柔の力と違って限界があるってことですか?」
「そうだ。その上この力は一時的に肉体を酷使する。人間に許された力の限界を超える諸刃の剣だ」
「なるほど・・・」
それじゃあ、この力では風には勝てないって事じゃないか。風の術者になりたかったとロイは落胆した。その表情からロイの心情を汲み取ったのか、カルコンが続ける。
「だが、それは長期戦の場合の話。もし熱を自在に操り、身体能力を爆発的に上昇させられれば、熱の術者に敵う者はいない」
一呼吸おいて、カルコンは言った。
「確かに、それでも肉は疲労し、骨は軋む。だがな、ロイ。完璧すぎる力は暴力しか生まない。人間としての本分を忘れないためのくさびだと俺は思っている。このくさびがあるからこそ、我々は体を鍛え、強くなろうとするのではないか、とな」
カルコンは自嘲気味に微笑み、ロイを見る。自嘲とはいえはカルコンが微笑んだのを始めてみた気がする。そして、その表情と同時にその言葉が心に深く刻み込まれた気がした。
「話は終わりだ、始めるぞ」
カルコンが立ち上がった。