第5話 カルコン 1
靴が砂を踏みしめる音が響いた。それ以外の音は何もない。ロイは何も持っていない両腕を構え、ヘルゲンと対峙していた。アンゴラとオルソーは近くに座って眺めている。
ロイが砂を蹴り出し、5歩でヘルゲンの間合いに入り、右フックを繰り出した。身長差でそれはフックというよりもアッパーに近いものになる。ヘルゲンは少し口をほこばせながら、頭を少し後ろに下げ、それを避けると、腕を下げ、右アッパーを返した。
「・・・・・・っ!!」
豪快に音が鳴った。ロイはよけるために後ろに飛び、ほぼ元いた位置に戻った。
もう一度踏み出すと、ヘルゲンへ向かって突進する。ヘルゲンはそのタイミングを合わせて右ストレートを繰り出した。
「・・・・・・!?」
その右手は空を切った。刹那、ヘルゲンはロイの姿を見失う。沈み込んで拳を避けていたロイはその隙を逃さずヘルゲンに足払いをかけた。
「おわっ!」
ヘルゲンの体は前のめりに倒れそうになる。それをロイは支えると、倒れる勢いを使って背負い投げした。
ヘルゲンは地面に仰向けに倒れた。そのままの姿勢でロイを見た。
「ぶはははは、負けた」
「勝った!」
ロイは嬉しそうに顔を綻ばせている。ちなみに対戦成績はこれで1勝49敗である。
「随分いい動きになったじゃないか、ロイ」
突然出てきたギンはロイを称賛した。ちなみに昨日までは、「まだ、勝てないのかい?」とかロイを馬鹿にし続けていた男である。
「勝ったっスよ、お頭。これで剣術教えてくれるんスよね!?」
聞きしてロイが言うと、ギンは腰に手を当て、バキバキと鳴らした。雰囲気だけでなくしぐさまで年よりじみている。
「まあ、ぶっちゃけめんどくさいけど、約束だ、教えよう」
「ぶっちゃけすぎです」
「じゃ、昼飯の後にしよう。さあ、今日は何?」
ロイは、後ろの3人を見ると、一斉に「あいたたたた」と、それぞれ怪我していた箇所を押さえ出した。
「うそつけっ!さっき人殺しそうなパンチだったぞ!!」
「あれで肩いったんじゃねえか?アンゴラ、診ろよ」
「折れてる」
小芝居を始めた。
「・・・・・・」
ちなみにロイの料理の腕は他の誰よりも上がっていた。特技としては重宝することなのだが、何となく悲しくなってくる。
「まずひとつ言っておく、剣は何かを傷つけるためのものじゃない。自身を守るためのものだ。それだけは肝に銘じておきなさい」
ギンが真剣な表情で言った。
「はい」
ロイもそれに答える。
「実践剣術は、型がそう多くはない。達人になればなるほど勝負は一瞬でつく」
ゴクリとロイは唾を飲んだ。真剣な表情なだけに修業への期待が高まる。
「私は相手なんかしたくないから、この樹を斬りなさい」
ギンは相変わらずぶっちゃけながら家の近くの樹の幹を叩いた。
「はあ」
なんか自分ひとりでもできそうだ。とはいえ、結構太い樹だった。絶対無理である
「お頭、まず手本を見せてくださいよ」
ギンは心底嫌そうに剣をローブから出した。ロイのものよりずっと細身の剣だ。
その樹の前に立った。そして剣を抜いた―――
シュン
ギンが剣を納めると、その樹は切り株になっていた。あまりの早業に、ロイにはいつ斬ったのかすら見えなかった。
「・・・・・・」
「まあ、こんなところだ。とりあえずは一振りで切れるようにすることだね。実践剣術についてはカルコンが教えてくれるよ。頑張ってね。はっはっは」
ギンは笑いながら踵を返し、家の中へ入っていった。
「・・・・・・」
ロイは倒された木を見る。滑らかな切り口で、むしろもともとこんな形だったと言われた方がしっくりくる。だいたい手本にはなっていない。ロイにどうしろというのだろうか。
「はあ、はあ」
数時間後、ロイは自分の目の前にある大木を眺めた。何本も切れ込みが入っているが、どの太刀筋も4分の1もいかないところで途絶えている。
「無理だろ、これ」
どさっと音を立てて、ロイは芝生の上に仰向けに倒れた。全く斬れないので、ギンはトリックでも使ったんじゃないかといぶかしみ始めた。掌を見ると、また肉刺がはぜて、血まみれになっていた。
息を強く吐いて立ち上がり、地面に刺してあった剣をつかんだ。右から刃を入れると、案の定、刃はほんの少しで止まった。
「・・・駄目だな、それでは」
背後から声がした。低く腹の底に響くような声だ。ロイが後ろを振り返ると、背の高い男が立っていた。色も黒く、どことなくガイに似ている。ロイは目をこすった。しかし、やっぱり自分の父親とは違う。少なくともガイはもっと表情豊かだ。目の前の男は無表情で暗く濁った眼をしている。
「脇をしっかりと締め、下半身を安定させろ。そして・・・」
男は一回そこで区切った。
「剣を研げ」
その言葉にハッとして剣を見ると、刃がボロボロになっていた。恐らくもらった時から相当刃こぼれしていたであろうが、むやみやたらに叩きつけすぎたということだろう。
「・・・あっ!」
ロイはそこで始めて突然現れた男の正体に気が向いた。
「もしかして、カルコンさん・・・ですか?」
「そうだ。お前がロイか?」
「はい。えっと・・・」
ロイがカルコンの雰囲気に息苦しさを感じていると、家からギンが出てきた。
「やあ、カルコン。よく来てくれたね。ああ、その子がロイだよ」
堅苦しい雰囲気をぶち壊し、カルコンと挨拶を交わした。
「ギン。久しいな。魔獣退治の任務は終えたのか?」
任務。と言う言葉が気に掛かった。「ジエルトン協会」みたいなのがあって、任務が出されるのだろうか。
「ああ、妖怪が出てきてやばかったけどね」
ギンはまったくやばそうにもなく、肩をすくめて答える。それを聞いたカルコンは表情を変えずに眉を動かした。
「妖怪、だと?」
「ああ、なぜか知らないけど灰になってね。まあ、倒したんだろうね」
それを聞いて、カルコンがちらりとロイのほうを見やった。しかしロイには身に覚えのないことだ。未熟な自分がやったはずがない。いたたまれなさを感じて、目線を樹の方に戻した。
「どうかしたかい?」
「・・・いや、なんでもない。無事で何よりだ」
カルコンが少しだけ微笑んだ。旧友の無事を喜んでいるのだろうか。
「すまないが、用ができた。ここには半年ほどしかいられない」
それに関係あるのはロイだが、カルコンはギンに向かって言った。
「半年か・・・。厳しいな。修業は完成しないな。だが、基礎さえ積めばあとは独学でも何とかなるか。・・・いいね、ロイ」
ロイはギンの質問に頷いた。
3人とカルコンは既に見知っていたらしい。ロイはすぐさま3人に剣の研ぎ方を教わり、研いだ。その後、修業は明日からという事になり、ロイは6人分の夕飯を作るはめになった。カルコンは表情1つ動かさず、何の感想も言わずにロイの手料理を平らげた。
父親に似た無口無表情な男。それが師匠への第一印象だった。