洞悉
微エロな表現があります。人によっては不快になるかもしれません。
或る時「辞書」に就いて辞書を引こうと思った。そう思い立つと、私の手は棚に存在感を大きく示す其れを手に取っていた。机の上に置くと其れは堆い紙の山となり私の目前に聳立する。紙を木立とする山だ。私の指が紙に触れる。そして、辞書式に配列された字の内を手探りで模索する。その度、手の愛撫に因り紙が靡く。古ぼけた風が馥郁と薫る。そして、幾らかその動作を繰り返し目的の其れが目に留まる。辞書には斯う記されていた。
「[1] 多くの言葉や文字を一定の基準によって配列し、その表記法・発音・語源・意味・用法などを記した書物。国語辞書・漢和辞書・外国語辞書・百科辞書のほか、ある分野の語を集めた特殊辞書、ある専門分野の語を集めた専門辞書などの種類がある。辞典。辞彙(じい)。語彙。字書。字引。 」
私はこの堆い辞書を見ながら斯う思った。辞書は画龍である。その画から賁臨して天を貫く龍だ。多くの賢者に描かれた龍なのだ。賢者其々が客観性を求め、多くの熟考の結果に出来上がった思考の混淆である。そして、その龍に伏在する錯綜された思考は恰も人間の様に映りだす。そして、私の目前にある「辞書」という語はその龍の自らの認知である。そして、私の頭に「自分自身を知りうる書物とは乙なものだ。」という考えが過った。
また、私の中に一つの懐疑が生まれる。「辞書」を然様に認識しているのならば、彼は其れを構成する言句を如何認知しているのだろうか。机に置いてあった付箋を其の頁に張り付ける。私はそんなことを思うと頁を捲る手が止まらなくなった。「言葉」という字を引いた。彼は「言葉」という言葉を知っていた。併し、そこには「社会」、「思想」、「感情」、「表現」という語が現れた。彼が其れを知っているかは分からなかった。其れは彼のみが知ることである。私には其れは知り得ない。私は其の頁に赤の付箋を貼り、頁を捲る。私の目には紙が駸々と優雅に横切る姿が映った。其れは流星群であった。彼が社会に就いて語りだす。そこには「生活」、「影響」、「相互」、「人」という言葉が彼の口から出てきた。私は彼に「人」について発問する。彼は詳らかに語る。彼は滔々と「人」に就いて語る。そして、彼の口から「個人」、「ホモ-サピエンス」、「能力」、「人間」、「性質」、「人格」などという語が現れた。勿論、其れに就いて彼に尋ねた。彼は莞爾しながら悠然と語りだした。
幾らか辞書の前にいると或る事に気付いた。辞書というのは客観性を重要視して書くのだから、説明される語も或る程度定まった語でないとならないということだ。私の「辞書」から始めたこの行為は決して「辞書」という類別を超えることはできない。だから、私はその語を構成している語だけを調べるだけではなく、その語に四隣している語にも目を向けることにした。
抑々、私は彼の問答を目的としていたが、いつの間にかに彼自身の通暁が目的となっていた。彼を知りたかった。私は彼に恋をしたようだ。彼との対話を通し、私は次第に彼と親昵し、いつの間にかに其の親しみは愛へと遷移したようだ。彼の全てを、彼の知を詳らかに知りたかったのだ。また、彼の全てを知ることでこの世界の蒙昧に光が差すと考えた。これは私の世界への愛なのだろう。彼と話すたび私の世界は広がり、そして、世界というものに愛情が芽生えたのだ。
或る数学者が研究に就いて斯う語っていたことを思い出した。朝起きてから数学をするのではなく、数学をしている間にいつの間にかに寝、起きた刹那数学の世界に入ってないと数学はできない。私はこれを聞いた時「学問と同衾する」という言葉が思い浮かんだ。現在の私にはそれが漠然と理解できる。朝、目が覚めると真っ先に彼の下へ足を運ぶ。そして、彼と幾らか話し、朝食を作る。朝食を食べ終わり、机へ向かい彼と話す。部屋に鳴り響く頁を捲る音や紙の掠れるが彼の声の様に聞こえる。彼との談笑に夢中になり気がつけば日は暮れていた。勿論、彼との交歓の合間に食事を挟んでいる。そして、床へ就く。そんな生活を幾許も続けてきた。朝日が彼を照らし、月が彼を華やかせる光景を幾つも見てきた。そんな私は彼と同衾しているといえるだろう。
彼から教えてもらった語に「書淫」という言葉がある。本を読むことに耽る、という意味だ。私はその書という語と淫という語の混淆に妖艶を感じていた。書という知識の集合に淫行するという想像に私を駆り立てた。それこそ私と彼の同衾ではないだろうか。私と彼の距離は最早目睫の間である。彼の対話はいつの間にかに接吻へと変わり、私が頁を捲る音は彼の嬌声であった。それを彼に言うと、「囈語」と彼に返されてしまう。然様な諧謔を私は浮かべていた。
或る時、私は彼の言葉に新鮮味を感じなくなってしまった。私は驚き、辺りを見渡す。併し、どの言葉も全て諳んじたものであった。私は初めの頁から読み始める。どの言葉も見覚えがあった。私は焦り頁を捲る。どの言葉も目を通したことの在るものだ。私の頁を捲る手が早くなる。ついに捲る頁が無くなってしまった。そして、付箋だらけの巨大な本が私の前に在るだけであった。伏臥した辞書を目の前に私は呆然としていた。幾らか時間が経つと、私は月が辞書を煌々と照らすのを見て、何か思い出すかの様に外へ飛び出した。窓を開けると外の香りが私の鼻を擽った。そして、空に浮かぶ大きく真丸な月が美しかった。
私は塔を登っていた。多くのものが築き上げた高く高く聳立する塔だ。それを彼と共に登攀していた。塔の中には世界を明らめるような幾つもの財宝が在った。塔の中には多くの人が築き上げた物語が存在した。私は彼と共に其れを眺めながら塔を登っていた。塔を登り終わると、彼は私の前から忽然として消えてしまった。その塔を登り終えたからと云って世界の真理がわかった訳でもなかった。在るのは私が塔を渉猟したという事実と、私の目の前に遣って来た世界だけであった。開豁とした星空に、心地の好い風、夜から馥郁と薫る匂い、そして、大きな月が其処にあった。彼を照らし出していたあの月は燦然と輝いていた。
参考文献
・Yahoo!辞書 大辞林
http://dic.yahoo.co.jp/
・Suugaku ha tairyoku da!
http://www.math.tsukuba.ac.jp/~kazunari/Kimurata/kimurata.html
作中に在る或る数学者の言葉は此処の「5.数学研究の心構え」に記述されてある佐藤幹夫先生の言葉を参考にさせて頂きました。
・哲学辞典(平凡社)
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・あとがき。
あーつかれたー 久々に本気で文章書いたわー
本気で書いたからあとがきも長いよ! 適度に流してね。
どうも、作者です。読了有難うございます。
自分は辞書を読むのが好きなんで辞書に就いて何か書いてみたいな、と思っていました。
おそらくこの物語の原点は三木清先生の「辞書の客観性」でしょう。
この文章を読んでから、この物語みたいに辞書を読む物語を書こうと決めました。
或る時平凡社の哲学辞典の一番初めにある「愛」の項をみて「これだ!」と思いました。
初めのプロットは主人公が哲学辞典を読み世界を洞悉しようとするんだけど、ある言葉が蟠りになっていて、その言葉を探す。
で、最後の最後に見つけた「愛」という言葉を読みこの言葉だったんだな、と氷解し辞書を閉じ物語の幕は閉じられる
て、内容だったんだけど、俺哲学分からないから書くのを見送りました。
そして、「哲学辞書じゃなくて、普通の辞書でもいいよなー」とか思って、なんやかんやで骨格が出来上がりました。
或る時平凡社の哲学辞書で自我に就いて調べた際、ソクラテスの名前が載ってあったので辞書に問答法をするという訳のわからない発想が思い浮かびましたw
これが始まりの「辞書に就いて辞書を引く」~「辞書はそれを知っているのだろうか」というのに起因しています。
しかし、まだまだ書くには心細いと思っていました。
そんなとき出会ったが三木清先生の「哲学入門」の
「哲学者は全知者と無知者との中間者である、とプラトンはいった。全く知らない者は哲学しないであろう、全く知っている者も哲学しないであろう、哲学は無知と全知との中間であり、無知から知への運動である。不完全性から完全性へのこの運動は愛と呼ばれた。哲学は、それにあたるギリシア語の「フィロソフィア」という言葉が意味するように、知識の愛である。」
という文です。
これを読み今のこの物語を思いつきました。
辞書に恋をしよう、辞書を読み終わったらさみしい感じにしよう、と思いました。
これがこの物語完成の流れです。
いやあ本当にこれは書いてて楽しかった。
如何に辞書を美しくするかとか考えながら書きました。
あまり自分は文章書かないので、短くしようとして、短い中でどの様に辞書らしさ、辞書を読んでいる雰囲気を描写しようか悩みました。
それが「書淫」だったり、「藝語」だったりするわけです。
ああそれと、如何して最後の燦然にルビが振ってあるかと云うと・・・
それは「さんぜん」で辞書を引いてくださいw
あと、主人公の性について言及しておきます。恋愛っぽいところも書いたので。
主人公は文章上の次元に立っているので其処に性は存在いたしません。また、辞書の性は俺が男性なので彼にしてます。それはつまり有性という意味をもちます。つまり、有性と無性の恋愛というわけです。
さすがにこれは苦しいか・・・
不満な点。
独白調なので、主人公を作者が演じ切らねばならない。つまり、辞書を読破した主人公にならないといけない。
俺は勿論大辞林を読破してないので演じきるのは不可能。しかも、即興で何とかできないので今の自分の辞書に対する愛を語るしかない。
そこら辺が表現不足だと思う。
辞書を長年読むのだが、それを描写せねばならない。つまり、最後に描かれる塔の部分を詳らかにせねばならない。それは「書淫」とかで補ったけど、やはり寂しい。しかし、辞書には莫大な語が在って其処から選び出すのは厳しい。だから、省略。多分気が向いたらちょくちょくそこら辺は訂正するかも。ブログに投稿したりして。