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追い出された白猫姫は、王太子にお猫様として溺愛される  作者: 木風


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第九話 ミィ、と名づけられました

「名前をつけよう」


殿下が静かに言う。


「白くて、碧い目をしている。……言葉がわかるように鳴く。ミィはどうだ」

「ミャァ(ミィ……)」

「吉兆の白という意味だ。不吉なはずがない」


その言葉には、何か言外の意味が込められているように聞こえた。

猫は不吉だという、この国の言い伝えへの静かな反論。

誰かに聞かせるためではなく、自分の考えとしてそう言っている声だった。


「ニャア(いいと思います)」

「では、ミィだ」


名前をもらう、というのは不思議な気分だった。

本当はミレイユなのに、と思う。

でも、その名前を殿下がくれたことが、なぜだか少しうれしい。

猫として呼ばれているだけなのに、ここにいていいと許されたような気がした。


しばらくして、侍従が湯と布と食べ物を運んできた。

殿下は自らミレイユの体を温かい布で拭き始める。


(え、殿下が直接やるの?)


侍従が「お手伝いを」と申し出たが、殿下は「いい」と断った。


「猫は知らない人間に触られると警戒する。馴染むまでは私がやる」


そんな理由を口にしながら、殿下は本当に丁寧に白い毛を拭いてくれる。

力を入れすぎず、顔まわりは布の端でそっと、足先は嫌がらないよう短く。

猫の扱いを心得ているように見えた。

これは明らかに、猫好きな人の手つき。


ぬるま湯を含んだ布が、冷えていた毛並みに心地いい。

汚れが落ちるたび、毛がふわりと軽くなる。

思わず前足を踏ん張ってしまうと、「そこは苦手か」と小さく言って、すぐ別の場所から拭いてくれる。


(やさしい……)


だめだ、と思うそばから警戒心が薄れていく。

こんなふうに扱われたら、猫でなくても懐いてしまう。


「白い猫だったんだな。汚れていて気づかなかった」

「ニャァ(そうです、白猫です)」


拭き終わったあとは、食べ物が出された。

白身魚の切り身と、鶏肉の小片。

王宮の厨房から来た、ちゃんとした食事。


ここ数日の干し魚とパンとは比べものにならない。

湯気こそないが、匂いの時点で格が違う。

ミレイユは少し迷い、けれど空腹には勝てず、なるべく品位を保ちながら食べ始めた。

急いでがっつきたいのに、殿下が見ていると思うと、つい一口ごとに姿勢を整えてしまうあたり、我ながら変なところで令嬢だった。


殿下はそんな様子を黙って眺めていた。

その目は、面白がるでも呆れるでもなく、ただひどく安堵したようにやわらいでいた。

ちゃんと食べるのを見て、ようやく安心した——そんな眼差しだった。


食事が終わる頃には、どっと眠気が押し寄せてきた。

久しぶりにあたたかく、久しぶりにきちんと食べたのだ。

体が安心した途端、緊張の糸が一気にほどけたらしい。


ミレイユはソファの上へ戻ると、くるりと丸くなった。

まだ少しだけ湿り気の残る毛の先を、暖炉の熱がじんわり乾かしていく。

殿下は執務机に戻り、書類を読みながら、ときどきこちらを見ていた。


「くぁっ……(欠伸が出てしまう。寝てしまってもいいのかな……)」


気にしたところで、猫の体は正直だ。

蝋燭のやわらかな光の中、暖炉のぬくもりの中で、ミレイユはゆっくり目を閉じた。

紙をめくる小さな音だけが遠くで聞こえて、やがてそれさえも溶けていく。


(……不思議な人)


『謹厳な御方』という評判は、半分正しかった。

隙がなく、しっかりした人だ。言葉も態度もぶれない。

でも同時に、猫に名前をつけ、直接体を拭き、ちゃんと食べたのを見て安堵する人でもある。


(想像と、違った)

(どうせなら……殿下に、ちゃんと人間の姿で会いたかった)


そんなことを思いながら、ミレイユは眠りに落ちた。


翌朝、目を覚ますと、ふわふわでもこもこの毛布が体にかかっていた。

しかも、ただ乗っているのではなく、寝返りを打っても落ちないようにふんわり整えられている。

見回しても、殿下の姿はない。


早朝の公務に出てしまったのだろう。

窓から差し込む朝の光が、昨夜よりも明るく部屋を照らしていた。

屋根のある場所で、やわらかいものの上で、追い立てられる心配もなく眠れたのはいつぶりだろう。

一週間ぶりどころか、猫になってから初めて、まともに眠れた気がした。


追いかけられないこと。

雨風を気にしなくていいこと。

目を閉じても、次に目を開けたとき同じ場所にいられると思えること。


そんな当たり前が、今はひどくありがたかった。


(殿下……)


まったく予想していなかった人物に、助けられた。

しかも、ただ気まぐれに拾われたというより、本気で保護するつもりらしい。

この人は、相当猫が好きなのだろう。


『猫は不吉』とされているのに。


(そういう人なんだ)


そのとき、扉が開いて、見知らぬ侍従が入ってきた。

手には食事のトレイがある。


「殿下より、お猫様のお食事をお持ちするよう仰せつかりました」


『お猫様』


その呼び方に、ミレイユは思わず目を丸くした。

耳までぴくりと動いた気がする。


「ミャ……?(……お猫様?私のこと?)」

「お猫様、朝のお食事でございます」


侍従は若干困惑した様子のまま、トレイをソファの前に置いた。

魚のほぐしたものと、ミルクの入った小皿。

昨日の夜と同じく、猫にしてはかなり丁重な扱いである。


「ニャ……(とりあえず……食べます)」


ミルクを舐めながら、ミレイユは考えた。

『お猫様』と呼ばれた。

殿下の命令で世話をしに来た。

どうやら本当に、ここで保護されることになったらしい。


しかも、殿下一人の思いつきではなさそうだ。

侍従は戸惑っていたが、拒む様子はなかった。

猫を部屋に置くこと自体が、王宮の中で絶対的な禁忌ではないのだろう。


(これは……チャンスかもしれない)


王宮の中にいれば、魔女の動向をもっと近くで観察できる。

本が読めれば、この猫になる魔法を解く方法が見つかるかもしれない。

殿下の信頼を得られれば、何か手が打てるかもしれない。


いまは猫だ。

でも、猫だからこそ入れる場所もある。

そう考えると、少しだけ道が見えた気がした。


(大丈夫。きっと、なんとかなる)


ミレイユはそう自分に言い聞かせ、ミルクの残りをぺろぺろと飲み干した。

最後の一滴まできれいに舐めてしまってから、はっとする。

令嬢としてどうなの、と思ったが、もう遅い。


その日の昼過ぎ、殿下が執務室に戻ってきた。

ミレイユは本棚の下段に並んだ本の背表紙を読んでいた。


(本、取り出せない……)


前足をかけて引っ張ろうとしても、本棚をカリカリと引っ掻くだけ。

これでは完全に爪とぎである。

読める文字があるだけ、多少の慰めにはなったけれど、肝心の中身にたどりつけないのでは話にならない。


ただ、その背表紙を眺めるだけでも収穫はあった。

魔術に関する本が何冊か混じっている。

歴代王家の記録らしき本もある。

いつか役立つかもしれない。

せめて、殿下が読んでいるのを横からでも覗ければいいのに、とミレイユは本気で思った。


「起きていたか、ミィ」


殿下が上着を脱ぎながら言う。

ミレイユは本棚から飛び降り、殿下のほうへ歩み寄った。

足音がほとんどしないのも、猫の便利なところだ。


「お腹は空いているか」

「ニャア(少し)」

「そうか。なぜだろう、おまえの言うことがわかる気がする」

(私はもちろんわかるけど、殿下もわかってる?本当に?)


ミレイユがぴんと耳を立てると、殿下がわずかに苦笑した。


「気のせいかもしれないが。……よく、こういう目をする人間がいる。表情が豊かというか」

「ミャア(猫ですが)」

「猫なのに」


言いたいことを先に言われた。

しかも声音に、ほんの少し笑いが混じっている。

昨日までの硬い印象からすると、それだけでだいぶ珍しい気がした。


殿下がミレイユを抱き上げる。

昨日と同じ、安定した抱き方だった。

胸に収まると、不思議なくらい落ち着く。

高いところが怖いはずなのに、この腕の中だけは別だった。


「しばらくここにいなさい」

「ミャ(……はい)」


ミレイユは殿下の腕の中で、ゆっくりまばたきをした。

断る理由なんて、どこにもない。


こうして、ミレイユ・ド・ブランシュフォールの『お猫様』生活が始まった。


彼女はまだ知らなかった。

アドリアン・ド・ヴェルモン王太子が、実は筋金入りの猫好きであることを。

というより、王族全体がだいたい猫に甘い、ということを。


世間では『猫は不吉』という言い伝えが広まっている。

だがその由来は、数代前の王が愛猫を亡くし、落ち込みのあまり政務を滞らせ、やがてその後を追うように亡くなった——という、たいへん人聞きの悪い逸話だった。

それがいつの間にか尾ひれをつけ、『猫を飼うと国が傾く』だの『白猫は特に不吉』だのと広まってしまったらしい。

王族の間では、あれはただの風説だというのが共通認識である。


そして殿下が、この白猫に並々ならぬ関心を持ち始めていることも。

ミレイユはまだ知らない。


ただ、殿下の腕が温かいことだけは知っている。


(早く人間に戻らないと)


そう思いながらも、夕暮れの窓辺で殿下の隣に座って外を眺めるのは、まあ悪くないとも思っていた。

少しだけ。

本当に少しだけ、正直に言えば。

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よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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