第十二話 王様もやっぱり猫好きでした
王妃が来た翌日。
ミレイユが窓辺でひなたぼっこをしていると、殿下の執務室に珍しい来客があった。
「アドリアン、少しよいか」
低い声。年配の男性だ。
執務室に入ってきた人物を見て、ミレイユはぴくりと耳を動かした。
年齢は四十代後半ほど。
王妃とよく似た落ち着いた雰囲気を持つが、こちらはより重厚な印象だった。
銀灰色の髪に、深い灰緑の瞳。背筋は真っ直ぐで、立っているだけで部屋の空気が少し引き締まる。
「父上」
「ミャッ(父上……では、王様!?)」
ミレイユは思わず、ぴんと毛を逆立てた。
いや、逆立てたのは驚いたからであって、威嚇ではない。
でも立ってしまったものは仕方ない。
(落ち着け。猫に礼儀はあるの?猫が国王に対して取るべき態度って何?そもそも猫に礼儀を求める国王はいるの?)
「噂の白猫はこれか」
王様がミレイユを見る。
その視線は鷹のように鋭く、何もかも見通してしまいそうな眼差しだった。
ミレイユは思わず姿勢を正した。猫なので『正す』とは、背筋を伸ばして座ることだが。
猫背なので、正しきれているかどうかは怪しい。
「……ふむ」
王様がじっと見ている。
(見られてる……まずい?逃げた方がいい?)
ミレイユは動かなかった。
動けなかった、というより、動かない方がよい気がした。
逃げれば追いかけられる。こういうときは、たぶん堂々としていた方がいい。
堂々と。
堂々と、と思っているのに、たぶん見た目は白いぬいぐるみがちんまり座っているだけである。
しばらくの沈黙のあと、王様が静かに言った。
「来なさい」
殿下が少し驚いた顔をした。
王様が手を差し出している。
「ミャゥ?(殿下と同じ動作だ……)」
ミレイユは一呼吸置いて、窓辺から降りた。
そろそろと王様に近づき、差し出された手の前で止まる。
王様の手は殿下より少し大きく、節が目立っていた。
長年、執務と統治に使ってきた手なのだろう。
ミレイユはその手の匂いをそっと嗅いだ。
墨と紙と、外気の混じった落ち着いた匂いがする。
嫌な感じはしない。
次の瞬間、王様の手がゆっくり動いた。
頭の上をひと撫でし、そのまま背中へ。
強すぎず、弱すぎず、毛並みに沿った無駄のない撫で方だった。
「……賢い猫だ」
王様が言う。
先ほどより、声に少し温度が戻っていた。
「ピンクのリボンをつけているのか」
「私がつけました」
「アドリアン」
「はい」
「猫というのは、昔は王宮にいた。知っているか」
「はい」
「三代前、四代前……もっと前になる。王宮には常に猫がいた。鼠を防ぎ、書庫を守り、王族に寄り添っていた。不吉などというのは根も葉もない話で、数代前の王がたまたまそういう時期に猫を亡くしただけのことだ」
王様が続ける。
その声は静かだが、どこか懐かしむような響きがあった。
「私が幼い頃には、まだそれなりに猫がいた。宮廷で嫌がられるようになってから、いつの間にかいなくなってしまった。それが……残念だったな」
(残念だった)
ミレイユは王様の手の下で、じっとしていた。
王様はそのまま背中を何度か撫でる。
その手つきは、実はかなり上手だった。
強すぎず、弱すぎず、毛の流れに沿っていて、無駄がない。
(この人も……猫好きだ)
「アドリアンよ」
「はい」
「この猫は、しばらくここに置いておけ」
「はい」
その返答は短かったが、殿下の声にはほんの少しだけ安堵が滲んだ気がした。
気のせいかもしれない。けれど、気のせいではない気もする。
王様が今度は、ミレイユの顎の下を指先でそっと撫でた。
そこは少しずるい場所だった。
喉の奥が勝手に震えて、音が漏れる。
「ミィ、と言うそうだな」
「ミャァ(はい)」
「いい名だ」
その言い方は、ただ相槌を打ったのではなく、本当にそう思ってくれているように聞こえた。
王様はやがて立ち上がり、執務室を出ていった。
扉が閉まると、さっきまで張っていた空気がふっとほどける。
殿下がミレイユを見た。
ミレイユも、伸びをしながら殿下を見上げる。前足を伸ばして背を反らすと、リボンが少し揺れた。
「……ミィ。気に入られたようだ」
殿下が言った。
声は静かだったが、目元には何かやわらかいものがあった。
少なくとも、悪い結果ではなかったらしい。
(王様も猫好きだったとは……)
ミレイユは喉をごろごろと鳴らしながら、思った。
(この王宮、猫好きの巣窟だったんだ)
そう思うと、ちょっとだけおかしい。
猫は不吉だと言いながら、王妃も、王様も、そして殿下も、結局みんな猫に甘い。
むしろ王宮の奥の方ほど、猫への態度がやさしいのではないだろうか。
これは思っていた以上に、潜伏先として当たりかもしれない。
いや、猫として馴染みすぎるのも問題なのだけれど。
ミレイユはそう考えながら、もう一度だけ喉を鳴らした。
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