6. 幼少期のコンプレックス(ブルー視点)
昔から自分の好きなもの、自分のなりたいものが分からなかった。
「貴方はどう思うの?」
そう聞かれるのが苦痛だった。そんなことを言ったらおかしな子だと思われてしまうかもしれない。
だって他の子は子供ながらに自分の意見を持っていて、自分の意思があって、それをちゃんと主張することができたから。
でも私には難しかった。大人の言うことを聞いている方が楽だとさえ思った。
そう質問されると私はいつも黙り込んで、うつ向いて、相手が呆れて話題を変えてくれるのを待つ。その繰り返しだった。
「今回は自分の得意なことについて発表してみましょう」
幼稚園の時、そんなトピックで発表をさせられることになった。
他の子たちが自分の言いたいことを楽しそうに考えている中、私は身体を強張らせて息を殺していた。
どうしよう、どうしよう、と頭がぐるぐるする。
「エマ? …先生と一緒に考えましょうか」
様子がおかしい私に気づいて先生が声をかけてくれる。でも私はその優しい声に返事を返すことができなかった。
だって自分がなにかが得意なのか、本当に分からなかったから。
楽器は弾けないし、絵や歌だって普通。ダンス? まさか、できるわけない。
「エマ、難しく考えなくていいのよ。もっと気楽に…そうね。好きなこととかでいいわ。貴方はなにか好きなの? 先生に教えてくれる?」
優しい声。優しい口調。優しい問いかけ。
だけど、私には呪いみたいだった。
■
「お母さん」
結局、その日は幼稚園でなにもできずに、「家でゆっくり考えてきてね。大丈夫、発表は来週なんだから時間はたっぷりあるわ」と言われてしまった。
家に着いてキッチンで料理をしていた母に、今日あったことを告げる。
他の子は楽しそうにスピーチの準備をしているのに、自分はまったく進められない。なにも思いつかないし、発表だってできる自信がない。どうして自分はこんなんなんだろう。
そう心の内を打ち明ける私の話を、母はしっかりと目を見て、静かに聞いてくれた。
「まず、エマ。貴方の本音を話してくれてありがとう。お母さんのことを信頼してくれて嬉しいわ」
「…うん」
「もしエマがいいなら教えて欲しんだけど、『貴方はどう思う?』って聞かれた時にどんな気分になる?」
「…急かされているみたいなの。早く言わなくちゃ、って思っちゃって」
「そう、焦ってしまうのね。ゆっくりと考える時間があった上で、また同じ質問をされたらどう?」
「…どう答えるのが正しいのかが分からないから不安。だけど、なにかしらは言えると思う」
「そうなのね。もしかしたら、エマは物事を人よりも深く考えるタイプなのかしら」
母はじっくりと私に向き合ってくれて、根気強く私の得意なことを一緒に考えてくれた。
「貴方が得意なものはこれよ」と最初から正解を教えるわけじゃなくて、「普段はどういう時にワクワクする?」「誰かにどんなことを褒められたことがある?」と質問して、私自身が自分で答えを見つけるまで待ってくれた。
「…日本のことなら、他の子よりちょっと詳しいかも」
「いいわね。じゃあ、日本をテーマにしてみましょうか」
それからもっと話題を絞って、「日本料理を作ること」を自分の得意なものとして挙げることに決めた。
味噌汁とか、カボチャの煮物とか、そういう日本の家庭料理を母と一緒に作ったことがある。
私がやったとはただのお手伝い程度なものだけど、異国の料理を作った経験は珍しいはずだし、これなら他の子と被ることはないだろうと思ったのだ。
母も「エマの手際がとてもよくて、お母さん、大助かりだったんだから。貴方の立派な才能よ」と褒めてくれた。
そして迎えた発表日。あれだけお母さんにも手伝ってもらったのに、私は結局失敗してしまった。
私の前に発表した子たちは皆、生き生きとして自信に満ちているように見えた。そんな彼らのものと比べると、自分の料理の腕なんて大したことがないように感じてしまったのだ。
「…」
皆の前に立つと同時に、貝のように黙り込んでしまう私。
クラスの皆がどうしたのだろうと不思議がってこちらを見つめてくる。先生が心配げな表情を浮かべて見守っている。たくさんの目が、私を見ている。
「…ごめんなさい」
じっとりと汗ばんだ拳を握りしめながら、絞り出すようにそれだけを言った。
ごめんなさい。自分のことが分からなくて、皆みたいにできなくて、上手く話せなくて、こんなことに皆の時間を使ってしまって、本当に、本当に、ごめんなさい。
■
それから私は自分のことがもっと信じられなくなった。
小学校に入学して学校にはかろうじて行っていたけど、それ以外は部屋に引きこもりがちになって、両親にもたくさん心配をかけてしまった。
どうして自分はこんなにも駄目なんだろう。あの発表の失敗がずっと頭の中で繰り返されている。
後悔しても過去は変わらない。その経験からなにを学ぶかが大事。
心が強い人は皆そう言う。だけど、私はきっともう一度あの場に立ったとしても同じことをしてしまうだろう。
分からない。どうしたら皆みたいに自分の才能とかアイデンティティとかを認められるんだろう。どうしたら直せるんだろう。考えれば考えるほど分からなくなってくる。
そんな風に毎日を過ごしていると、ふと、母とした日本についての会話を思い出した。
母はハーフで、高校生までは日本で暮らしていたらしい。思春期ではそのことでたくさん悩んだこともあると教えてくれた。でも、今は日本人としての自分も、アメリカ人としての自分も、両方とも自分にとっては大切な心の一部なのだと言っていた。
私には母ほど日本に深いルーツがあるわけではないけれど、日本のことをもっと知れたら、少しは自分のことが分かるようになるかもしれない。そう思って、日本の文化を調べ始めたのがきっかけだった。
「キラキラしてる…」
そして私はアニメに出会った。
それまで私はアニメは子供向けなものだけで、話もストーリーも単純なものなのだと考えていた。
だけど日本のアニメは、私が想像していたものよりも、ずっと絵が綺麗で、物語も設定も複雑で、登場するキャラクターたち全員が魅力的だった。
人の心を持ったアンドロイド、大魔法使い、忍者、人魚、音楽が好きな女子高校生、スポーツに熱中する中学生、人の言葉を話すモンスター…。
中には私と同じように、人前で話すことが苦手で内気な女の子のキャラクターだっていた。だけど、その子たちは他のキャラクターたちと負けず劣らず、個性的で、キラキラと光輝いて見えた。
こんなにも素晴らしいものがあるんだ。世界ってアニメにすると、こんなにも面白くて素敵なものになるんだ。
たくさんのアニメを見ている内に、特に大好きだと思えるキャラクターたちができた。日本語で言う「推し」というものらしい。
「こんな風になりたいな…」
画面の向こうの強い女の子たちに憧れた。自分も彼女たちのようになれたらと思った。
楽器に興味を持ってギターを弾くようになったし、日本語を勉強して、絵も練習してSNSに上げたりなんかして。
普段の生活でも、推しを意識して話したらちょっとは人前で話せるようになったし、少ないけれど日本文化の繋がりで気の合う友人もできた。
ちょっとずつ「好きなこと」や「できたこと」が増えていって、人から「なんだか明るくなったね」と褒めてもらえることが増えた。
アニメは、日本という国は、私の人生を変えてくれた。だからいつしか、私は「日本に行きたい」と強く思うようになっていった。
■
「エマ・スミスです! よろしくお願いシマス!」
パチパチと拍手が聞こえてほっとする。
よかった。言えた。日本語の自己紹介なんてできるか不安だったけど、何度も家で練習した甲斐があった。
ずっと夢見ていた日本での高校生活。頑張るぞ、と気合いを入れたのだけど…。
「スミスさんってどうして日本語喋れるの?!」
「アメリカのどこら辺に住んでた?」
「なんで日本に来ようと思ったの?」
「やっぱり物価って高いの?」
「あっちの学校は日本と違う?」
外国からの転校生。そんな存在は珍しいのか、休み時間になるや否や、クラスの子たちに質問攻めにあってしまう。
アニメをたくさん観たからリスニング力には自信があるけど、それは相手が一人の時の話。
大勢の人に一気に詰め寄られると、脳がパンクしてしまって、「ええっと…」としどろもどろになってしまう。
「皆、ストップ! ストップ! スミスさんが困ってしまうじゃない」
困り果てているとその中の一人の子が皆をなだめてくれた。
その子を見て私は「Oh…」と口に手を当てる。
「貴方…ヤマトサクラコさんデスネ?」
「いいえ?! まったくの人違いよ?!」
「?」
「宮本雪菜! 私の名前よ。その大和桜子さんという方ではないわ」
「ですが…日本ビューティー、ええっと、日本美人! そう言うって聞きマシタ!」
「ああ、大和撫子のことね。なんだか自分で言うのは恥ずかしいけれど…ふふ、ありがとう。嬉しいわ」
そのままの流れで宮本さんたちと昼食をとることになった。
「スミスさんはなにが好きなの?」
「アニメデス! 日本のアニメは素晴らしいのデス!」
「アニメかぁ…私、実はあんまり詳しくないんだよね。おすすめのものとか教えてくれる?」
まず初めに驚いたのが、これだけ漫画やアニメ文化が豊かなのに、そういうものに疎い日本人が意外に多いということ。
「日本に来たらたくさん推しの話ができる!」と思っていた私にとっては、少し拍子抜けだった。
「ね、エマちゃんって呼んでいい?」
「はい! 私も雪菜ちゃんって呼んでいい、デスカ?」
「ええ、もちろん!」
でも皆、優しい人たちで、特に雪菜ちゃんは完璧な日本語を話せない私のことをよくサポートしてくれた。
勉強も運動もできて、友達だって多いクラスの人気者。
すごく素敵な子だなと思うと同時に、私とは真逆だなとも思った。
転校生という物珍しさがあるから、こうして積極的に絡んでくれるけど、でもオタク気質の私とは話の好みが違うことも多いし、もしかしたら数か月後には飽きられてしまうかもしれない。
慣れない土地での生活というのもあってか、そんなネガティブ思考が生まれてしまう。
もちろん彼女がそんな子ではないことはこの短い時間でも分かったけれど、やっぱり元々の自信のなさから、私とこの子は釣り合っていないんじゃないかと考えてしまうのだ。
日本に来てもやっぱり私は変われないんだろうか。卑屈でコンプレックスのある弱い人間のまま…。
日本に来て一週間が経ち、そんな薄暗い気持ちを抱えていたある日。
「田中さん!」
可憐で、強くて、素敵な女の子。まるで私が憧れた推しのような女の子に偶然出会った。




