2. 藤原マリアとしての生活
ピピッと音がしてベッドから身体を起こす。ぐっと伸びをして、はて、と首を横に傾げた。なんだかすごくぐっすり眠れた気がする。
下を見下ろせば、シルクのネグリジェに、程よい弾力のあるセミダブルサイズのベッド。なるほど、高いものというのは高いだけの理由があるんだな…。
顔を洗って、化粧水は…と洗面所の引き出しを開ける。そして取り出すのは、お高そうなパッケージのフェイスケア製品。
うん…ある程度の化粧品を見てきたから分かるけど、多分これ五千円くらいしそうだな…。
お高そうな化粧水と乳液をペチペチと顔に塗り込み、ブラシで髪をとかして、歯を磨いたら簡単な準備は終わり。
「藤原マリアがまめな性格で、本当に助かった…」
テーブルに置かれていた手帳を広げて時間割メモを見ながら、今日は二限と三限だけね、とスケジュールを頭の中に入れる。
しかもちゃんとどの教室なのかも書いてあるし、必要なものも書いてある。
それに加えて、授業で使う大学サイトのパスワードとかも忘れないよう手帳に記されていた。私も大学生だったけど、こんなにちゃんとしている子は稀だ。優等生なんだなぁ…と尊敬しちゃう。
藤原マリア。心理学専攻の大学二年生。まさかの同い年だと昨晩分かった時は、すごい偶然だと驚いたけど、これ学生じゃなかったら大分詰んでたな…と今はしみじみと思う。
だってバイトの経験しかないのに、急に社会人のふりをしろなんて言われてもできるわけがないし。
高校生なら頑張ればできるかもしれないけど、二年前の記憶を引っ張りだして普通のJKのふりをするのは大変そうだ。
「バイトはスケジュールを見た感じだとしてないのかな…。ってことは、今日の昼からはフリーだから、さっそく主人公の様子を見に行ってみようかな」
今日の予定は決まった。あとは楽しむのみ!
クローゼットを開ければ、フェミニンで上品なデザインの服がたくさんハンガーにかかっている。おおう…と一瞬気後れしそうになるけど、今の私は藤原マリア、絶世の美少女なのだからこれくらい着こなせるに決まってる!
白のブラウスにラベンダー色のロングスカート。耳にはダイヤモンドみたいな(まさか本物じゃないよね…?)イヤリング。シンプルだけど、生地がいいからこれだけでも十分に素敵だ。
バッグはパソコンを入れられる大きめのトートバッグにすることにした。
バッグを選ぶ時に、いくつか「これハイブランドのじゃない…?」と思うのがあったのは多分気のせいだ。気のせいったら気のせい。
じゃないと今後、クローゼットを開けるのが怖くなっちゃうもん。
「そしてメイクなんだけど…」
鏡の前に座り、日焼け止めを塗って、パウダーをはたき眉を書く。
「もうこれだけでよくない…?」
完璧な肌で隠すようなものもないから、コンシーラーも必要ない。チークだって自然な血色感があるからいらない。
まつ毛はお人形さんみたいに長いし、目もパッチリしているから、マスカラとかアイシャドウで盛る必要もないだろう。
リップは…うん、リップくらいはあってもいいかも。
薄いリップを塗って、はい、完成。ガチの美人ってなにもしなくても美人なんだなぁ…。
「って、もうそろそろ出ないとヤバい!」
鏡に映る自分をうっとりと見つめている間にも、時間は過ぎてゆく。私は慌ててトートバッグをひっつかんで家を飛び出した。
■
授業の十分前にギリギリ滑り込んで、間に合ったぁ…と安堵の息を吐く。
教室を間違えて別の棟の教室に着いてしまった時は、ヤバい、終わった、と焦ったけど頑張って走った甲斐があった。
適当によさそうな席を見つけて着席し、トートバッグからパソコンを取り出す。
そして授業の資料を表示しようとすると、後ろからクスクスと嫌な笑い声が聞こえてきた。
その視線がこちらへと向いているような気がして、最初は気のせいかなと思っていたけど、次第にその声はこちらにも聞こえてくるほど大きなものになっていく。
「あれでしょ? パパ活ってやつ?」
あぁ、なるほど。この子の状況って第三者から見るとそう見えるのか。
これはアニメでも描かれていなかった場面だ。ヴィオレの過去回想の話はあったけど、大学での立ち位置は孤立気味ということしか描かれていなかった。
バイトもしていないのに裕福そう。明らかに高そうな服を着て、ハイブランドのバッグだって持っている。
そんな大学生となったら、普通に考えると実家が太いか、バイト以外の方法で稼いでいるのかのどちらかだ。
まぁ、この子の場合は援助交際ではないんだけどね。
「恥ずかしくないのかしら…」
別に放っておいてもいいんだけど、お喋り好きなあの人たちのせいで、さっきから周りの視線が鬱陶しい。
それに私は、ルージュとブランほどではないけど、この「ヴィオレ」「藤原マリア」というキャラクターが好きなのだ。
彼女がどんな思いで生きてきて、どんな覚悟を持って黒の魔女ノワールと契約したかを知っているから、そんな彼女のことをなにも知らない部外者があれこれ言ってくるのは、普通に不快なんだよね。
「そこのお二方」
さっきまで静かに無視を決め込んでいた私が、急に反応したことに驚いたのか、後ろの女子たちはびくりと肩を揺らす。
「あと数分したら授業が始まるわ。周囲の人のことも考えて、静かにしてくださらないかしら」
小首を傾げながら笑顔で圧をかければ、彼女たちはなにも言わなくなった。
「あと」
分かる分かる。普段静かな人が切れると迫力あるよね。
「根拠も不明な、根も葉もないうわさ話をそれほど誇らしそうに話せるなんて尊敬してしまうわ。お二人の目から見える世界って、きっと、とても刺激的で楽しいのでしょうね」
訳。意味が分からないゴシップを素直に信じちゃう馬鹿は、なんでも信じて騒げるから、毎日退屈しなくていいね。
更に訳。黙ってろバァカ。
静かになった女子たちを見て満足し、前に向き直る。
オタクを怒らせたら怖いんだぞって、その空っぽな脳みそに刻み込め。
悪役の存在意義を否定していいのは、ヒーロー側だけって決まってるんだよ。
命を懸けて戦う覚悟もないモブは、身の程をわきまえて悲鳴だけ上げてなさい。
■
授業を無事に乗り切って、今日提出の課題も終えた。
「主人公の高校は…」
マリアが通う大学から三駅ほど離れた場所、私立クルール学園。
その校門前に立った私はその想像以上の大きさに驚いた。アニメの時から随分と豪華な学校だなぁ…と思っていたけど、大学のキャンパスレベルで広いんじゃないんだろうか。
元々はフィクションだから、現実離れした大きさの建物があってもおかしくはないけど、この施設を学生の学費で運営していると思うと、一体学費はどれだけ高いんだ…と嫌な想像をしてしまう。やめやめ。現実的に考えるのはよそう。
「流石にこのままじゃ、目立つから…うん、もう変身しちゃおうかな。万が一、姿がバレても身バレの危険性は低いし」
服だけじゃなくて髪色も顔立ちも変わっちゃうからね。ヴィオレとしての姿がバレても、マリアの生活には支障は出ないわけだし。
ブローチを取り出して変身を済ませると、私はその場で高く跳躍して、学校の屋上へと降り立つ。
ふふん、変身すると身体能力が高くなるのは確認済みだ。一回こういう現実離れした動き、やってみたかったんだよね。
ぐるりと周囲を見渡せば、ちょうどグラウンドに集まっているクラスがいる。
体育の時間だろうか。懐かしいなぁ。大学になると身体を動かす機会が減っちゃうんだよね。
「あれ、主人公じゃん」
その中にひときわ存在感のある黒髪の女子がいる。主人公の宮本雪菜だ。
外見的には目立った特徴はないはずなんだけど、流石主人公というべきか、なんというか、カリスマ性みたいなものがある気がする。纏っている空気が違うって感じかな。
「運動神経抜群。成績もよくて優等生。明るくてクラスの人気者」
主人公と聞くと、結構ダメダメなスペックを持っているイメージがあるけど、雪菜は、かなりのハイスペック女子だ。
だけど、唯一の欠点が…。
「おっ、転んだ」
グラウンドを軽くランニングしている最中、小石に躓いてべしゃりと派手に転んだ。そう、彼女はドジなのだ。
誤解して欲しくないのはスペックは高い。普通にしてれば運動も勉強もできる。
だけど、変なタイミングでドジる。まぁこのドジっ子気質なのが完璧な彼女に親しみやすさを加えているんだけど…。
「大丈夫〜?」と彼女に駆け寄るクラスメイトたちの中に、ふと目に留まる少女がいる。ふむ…と目を細めて集中すれば、彼女が纏っているオーラのようなものが見えた。
「なるほど…これがリュミエールエネルギーね。あの子はエネルギーを持っている量が多いのかな」
アニメを見ていた時は、誰が被害者なのかはしっかり見ていなかったけど、あのおさげの子には見覚えがあるような気もする。
でもしっかり覚えていないってことは、追加戦士ってわけでもないはず。なら、アニメで被害者となった子だろうな。
「決めた。今回はあの子にしよう」
こちらも悪役という役割を果たさなくちゃいけないから、あの子には悪いけど、少し辛抱してもらおう。




