16. 毎日の生活(ジョーヌ視点)
朝の七時、弟たちと共同の部屋で目を覚まして、ぐっと伸びをする。
お母さんが用意してくれたお米と味噌汁、卵焼きと食べて、学校の準備をする。ふと棚を見れば、そこには私のホラー映画コレクションが並んでいて、リサイクルショップで見つけたゴシック衣装を身にまとった人形やアクセサリーが並べられていた。
弟たちは不評だけれど、この棚に並べられたものが私の宝物だ。
自分だけの空間というものがほとんどないこの家で、ここだけが私の趣味に彩られている。
それを見るだけで、疲労が重かった体が少し軽くなる。ちょっとだけ気分も上がって、よし、と肩にかけたスクールバッグの取っ手を握った。
「おはよう!」
「おはよ~、薫」
クラスについて挨拶をすれば、友達が明るく返してくれる。
自分の席についてバッグから教科書を取り出していれば、友達の美奈が、つんつんと私の頬をつついてきた。
「なんか隈できてない?」
「そう? 昨日、ちょっと残業があったからかな」
「ほんとヤバすぎ。ちょっとはバイトのシフト減らしな~?」
からかうような口調だが、私のことを心配して言ってくれているのが分かる。
これ以上心配をさせないように「それよりもさ!」と無理やり私は話題を変えた。
「新作の映画見た?!」
「あーはいはい。薫が好きそうなやつね」
「そうなの! 人食い人形の屋敷! 好みドンピシャでテンション上がっちゃった!」
「マジでアンタの趣味には共感できないわ~」
「PVに出てきたデザインが最高すぎる…。あれって絶対色んな人形の手足を継ぎはぎしているよね! だけど優雅さとか上品さとかが損なわれてなくて、マジで最高すぎる~!!」
「わっかんね~!」
祈るように両手を組んでうっとりする私に、「うげ~!」とうんざりした表情を隠そうとしない美奈。
新作映画を一本観ることが私の給料日のちょっとした贅沢なのだ。この一本のためにハードなバイトを頑張れていると言っても過言ではない。
「この前はなんだっけ、ゾンビと人間の男のラブロマンスにハマってたんだっけ?」
「そうそう! レンタルショップでゾンビものを片っ端から借りてたのもいい思い出!」
「よくあのグロの見れるよね…。内臓が飛び散る描写とか結構リアルだったじゃん」
「なに言ってるの?! そこがいいんでしょ?!」
「あーハイハイ。ソウデスネ~」
そんな会話をしている内に、チャイムが鳴って担任の教師が入って来る。
朝のHRの話を聞き流しながら、私は脳内で今日の予定を確認した。
花屋のバイトを四時間して、その後にご飯当番の日だから適当になにかを作って…あぁ、キャベツが安いってチラシがあったからバイト前に買っちゃおうかな。冷蔵庫に中華麺があったはずだから、焼きそばにするのがいいかも。あとは、テストも近いから復習もしなくちゃ…。
やることをリストアップして、ぼんやりと窓の外を眺める。そこには憎々しいほど綺麗な青空が広がっていた。
■
「すみません」
いつものように花の世話をしていると、声をかけられて顔を上げれば、そこには綺麗な女の人が立っていた。
艶のある黒髪に、色っぽい泣きぼくろが特徴的な美少女だ。
まるで女優さんみたい、という感想を抱くけれど、目の前の女性に見覚えはない。テレビでは見たことがないとなると、ファッション雑誌のモデルさんとかだったりするのだろうか。
その美貌に一瞬見惚れてしまったが今はバイト中。気を引き締めて営業スマイルを浮かべる。
「なにかお探しですか?」
「実は母に花束を贈りたいと思っているんですの。だけど、ここまで種類が多いと、なにを贈ればいいのか迷ってしまって。もしよろしければ、相談にのってくださらないかしら?」
「素敵! 誕生日ですか?」
「いえ…日頃の感謝を込めてといったところですわ」
特別な記念日でもないのに花束を贈りたいと思うなんて、なんてロマンチックなんだろうと感動してしまう。
母の日とか行事があったらそれに便乗して感謝の言葉を伝えることはできるけど、やはりなんでもない日常のある日に、そういう本音を伝えると言うのは照れくさいものなのだ。
だからこそ、目の前の上品なお客さんのことがなんだか特別素敵に思えた。所作も品があってまるでお姫様みたいだし、自分とは住む世界が違う人なんだろうなぁと思う。
お客さんは困ったように眉を下げ、私の答えを待ってくれている。特別な彼女に相応しい花束にしてあげたくて、私は必死に頭を回転させた。
そして頭によぎったのは、数日前に見た映画。ホラー映画だったけど童話モチーフでお洒落な雰囲気で、男性が恋人の女性に花束を贈る場面があったのだ。
ああいう話だと赤いバラとかが定番だけど、映画ではスズランの花を渡していて、素敵だなぁ…と思ったから色々と調べたんだよね。
フランスではこれくらいの季節になると、スズランと共に日頃お世話になっている人に感謝を伝える風習があるらしい。奥ゆかしくて可憐なイメージも彼女にぴったりだ。
「そうだ! これなんてどうでしょう?」
私がそう言ってスズランを勧めれば、彼女が柔らかく微笑む。
その顔があまりにも優しい表情だったものだから思わずドキリとしてしまった。
不思議な人だと思った。なんだか人間味がないというか、まるでこちらの考えすべてが見透かされているような気になる。
「どうでしょう? きっとお母さまも喜ばれますよ」
「ええ、せっかくですもの。その花を中心に花束を作っていただこうかしら。予約はできますの?」
「はい、大丈夫です。お受け取りはいつになさいますか?」
その後の会話でもずっとふわふわとした心地が抜けなかった。なんだか落ち着かない気持ちのまま、私は店員として接客を続けた。
■
「ただいま~」
「あ、姉ちゃん! お帰り!」
家に帰れば弟たちが明るく出迎えてくれる。見慣れたボロアパートはずっとふわふわとしていた夢見心地の気分を少し現実へと引き戻してくれた。
「姉ちゃん、お腹空いた!」
「すぐ作るからちょっと待ってて。お母さんたちは?」
「今日も遅くなりそうだって」
「そっか…。じゃあ、今日も私たちで先に食べちゃお!」
「お腹空いた~!」と訴え続ける弟たちをなだめつつ、手を洗って休む暇もなく、料理を始める。
慣れ切った作業は簡単で、トントン…と軽快に包丁がまな板を打つ音を聞きつつ、気づかぬうちに私は考え事を始めていた。
最初に頭に浮かぶのはこの後や明日のタスクで、その後に今日のバイトの振り返り。あのお客さん、学生さんかなぁ、綺麗な人だったなぁ…なんて夕方のことを思い返す。
白くて綺麗な肌で、まるでお人形みたいだった。代金を支払う彼女の手、ああいう手を白魚のようっていうのかなぁ…とまで考えて、ふと荒れた自分の両手に視線を落とす。
家事とバイトで水を使うことが多いし、アルコールで消毒することも多いから乾燥気味で、花の棘やラッピングの紙でできてしまった傷もたくさんある。
別にこんなもので落ち込むような繊細な性格じゃないし、今まで特段気にしたことがなかったけど、あのお客さんを見た後だと少し恥ずかしく思えてくる。
おかしいな。今までそんなにお洒落とか興味なかったのに。バイトとかで苦労している様子のない他の人たちを羨むことは、とっくの昔に卒業したはずだったのにな。
そんなことを考えていると、なんだか目の奥が熱くなってくる。じわじわと視界がぼやけてくる。
おかしいな。変だな。いつもはこんなんじゃないのに。
「姉ちゃん、まだ~?」
「…っ! もうすぐだから待ってて~!」
遠くから聞こえる、弟たちの無邪気な声にはっとする。ぐっと唾を飲み込んで、パシンと両手で軽く頬を叩き、気を引き締めた。
「…やめやめ。マイナス思考終わり! しっかりしないと!」
人を羨んでも、現実を憎んでも、世界は変わってくれない。
だから自分の考え方を変えなくちゃいけないのだ。
物事をなんでも悲観的に捉えてうつ向いているよりも、明るく楽観的に振舞っている方がずっといい。そうしている内に、本当に元気になってくるし、いいことだって見つけやすくなるんだから。
だから、そう、私は大丈夫。大丈夫なのだ。
そう自分に言い聞かせて、私は再び止まっていた手を動かし始めた。




