15. 薫の家
「ほんっとうに申し訳ございませんでした!」
「気になさらなくていいのに…。本当に上がっていいんですの?」
「もちろんです! 狭いところですがどうぞ!」
レストランでパスタを頭から被った私は、薫の家でシャワーを借りることになった。
自分の家に帰ってもよかったんだけど、その場合そのまま電車に乗らなければいけないということで、薫が「もしよければ近くなので、私の家に来ていただけませんか?」と言ってくれたのだ。
そして案内されたのは年季の入った…まぁ、言葉を選ばずにいうとボロいアパート。なんだか少しだけマリアの記憶にあった家を思い出すかもしれない。
錆びた階段を上ってドアを開ければ、「あ、姉ちゃん! お帰り~!」とちゃぶ台の上で宿題をしていた小学生の子供たちがこちらを振り向いて挨拶してくれる。
しかし、彼らは私の姿を見て動きを止める。そしてごくりと唾を飲み込むと、おそるおそるという様子で「ね、姉ちゃん…なんか幽霊みたいなのが憑いてる…」と私を指さす。
即座に薫が彼らの頭にチョップを落とす。
「って!」
「お客さん! 失礼なこと言わないの!」
わ、ちゃんとお姉ちゃんだ…。さっきまで他人行儀な薫しか見ていなかったので、その様子に私は少し感動してしまう。
「すみません…」
「気にしておりませんわ。確かに改めて見ると、殺人現場に横たわっている被害者みたいな格好ですわね」
「うう…申し訳ございません…」
「謝罪はもう聞き飽きましたわ。私がいいと言っているんですから、この件はこれでお仕舞い。ね?」
別に最初から怒ってなどいないのだから、謝られ続けてもこちらが申し訳なくなってくるだけだ。
うつ向いてばかりの薫の背中を軽く叩き、励ますためににこりと微笑む。
マリアの顔にぼーっと見惚れる薫に「いいですわね?」と問いかければ、コクコクと首が折れるんじゃないかと心配になるくらい高速で頷かれた。
やっぱり美少女の顔って便利だね。結構なんでもごり押しできる。
「シャンプーはこれで、トリートメントはこれです。安物なんですけど…」
「伊藤さん」
「はい! どうぞご自由にお使いください!」
簡単な説明をして脱衣所を去る薫を見送り、私は「ふぅ…」を息を吐き、そして両手で頭を抱えた。
「ど、どうしたらいいの、これから…?!」
原作ではマリアが薫とここまで深い交流をしていない。二人の接点は花束とプレゼント探しの時だけなのだ。
買い物の後に薫の悩みを聞き出す場面はあるものの、こんな風に家にお邪魔する展開なんて知らない。
かといって流石に全身からトマトの香りをさせて、一見血だらけとも見える格好で電車に乗るなんて一種のテロみたいなものだし…信じられないミスに顔を真っ青にさせている薫を見たら「これ以上関わらないでください」なんて言えるわけないし…。
かといって、今回ばかりはジョーヌの戦士生命が関わっているのだから、原作から大きく外れたくない。どうやったらここから軌道修正できるんだろう…???
「とりあえずシャワーを浴びよう…」
考えすぎて知恵熱でも出そうだ。私は深い溜め息をついて、一旦思考を止め、大人しくお風呂に入ることにした。
■
トマトソースの匂いがしみついた髪と体を洗えば、いくらかすっきりした。タオルで簡単に拭いて薫が用意してくれた服を着る。
タオルを肩にかけて薫がいるであろうキッチンへと向かう。
「ただいま上がりましたわ」
キッチンへ顔を出せば、そこには野菜を切る途中でなにやらぼんやりと宙を眺める薫の姿があった。
「どういたしましたの?」
「…え? あ、すみません」
「お店でも思っていたのですけれど、伊藤さん、貴方、少し疲れておりませんこと?」
「そんなことは…ちょっとぼーっとしてただけで…」
あはは…と明るく笑う薫。私が改めて不審に思うのと同時に、彼女の体がぐらりと揺れる。
「ちょ、ちょっと!」
慌てて彼女を抱きとめて右手にある包丁を奪い取る。あっぶな、あと少しで足に直撃するところだったじゃん。
「って、熱!!」
風呂上がりの私よりも明らかに薫の方が体温が高い。額に手を当てればかなりの高熱。38度は確実に超えてるぞこれ…。
「姉ちゃん…?」
「布団! 布団を用意して!」
騒ぎを聞きつけてやってきた弟たちに指示をする。「わ、分かった!」と素直に動き出してくれる彼らを確認して、腕の中でぐったりとしている薫に視線を移した。
本当になにがどうしてこうなった…。
■
流石に車もないのに病院には運べないので、薫を布団に寝かせて近くのドラッグストアで風邪薬と、スポーツ飲料といった看病用のものを買って来た。
弟たちが両親には連絡してくれたようで、もう少しすれば帰ってきてくれるらしい。
「大丈夫かな…」
「見たところ普通に風邪のようですし、しっかり休めば問題ありませんわ」
「そっか…。姉ちゃん、最近無理ばっかしてたから…」
「…なるほど、そうでしたの」
弟君たちの話を聞くと、バイトで何時間も働いた後に、家の家事をし、その後に深夜まで勉強という毎日を送っていたらしい。
そりゃあ体もついていけなくなる。無茶をしすぎた。
姉が心配なのか弟たちは布団を周りをずっとウロウロしていたが、「ここは私が見ますから、貴方たちは宿題を終えてしまいなさいな」と言えば、渋々部屋に戻っていった。
うん、姉思いで素直ないい子たちだな。
その後、私は薫の様子を見守ったり、キッチンに出しっぱなしだった食材を冷蔵庫に片付けたりした。
いっそのこと私が料理をしちゃおうかなとも思ったんだけど、すぐに親も帰って来ると言うし、余計なお節介は逆に迷惑になっちゃうだろうしね。
「薬は…うーん、こればかりは起きてくれないとな…」
やるべきことを一通り終えて、また薫の布団の隣に腰を下ろす。枕元には先ほど私が買って来た市販薬。
熱が高くて苦しそうだから解熱剤を飲んだ方が楽だと思うんだけど、眠っている人間に無理やり飲ませるわけにもいかない。
「…ヴィオレの力を使えば、できなくはないんだけど。流石にそれは駄目かぁ…」
あまりにもしんどそうだし、弟たちも可哀想だから、なんとかしてあげたいと思ってしまうけど、これ以上原作を改変して更に話をややこしくするわけにはいかない。
このあとすぐの展開的にもね。今このタイミングでこの力を使う訳にはいかないのだ。
腕を組んで私がうーん…と悩んでいると、寝ていたはずの薫が身じろぎをする。
「…あれ、私…」
「あら、目が覚めましたの?」
「…っ!! すみません、私ったら…!!」
「あぁ、起き上がらないでくださいな。更に熱が上がりますから」
布団から飛び起きようとする薫を押さえて、無理やりまた横にならせる。体を起こすのも辛いだろうに、何故元気よく立ち上がろうとするのか。
…多分、頑張るのが癖になっちゃってるんだろうなぁ。休むということに罪悪感があるのかも。
「料理…」
「食材は痛まないように冷蔵庫にしまいましたわ」
「お母さんに連絡…」
「下の子たちがやってくれましたわ」
「宿題をみてあげないと…」
「さっき分からないところがあると聞きに来たので、軽く教えときましたわよ」
「でも、お客さんの対応も…」
「…いい加減に休みなさい。他人の私から見ても貴方は働きすぎですもの」
こんな状況になって普通、来客のもてなしを気にする?
責任感の強さに頭が痛くなってきた。しっかり者とはいっても流石に限度があるだろう。
うごうごと布団の中で動いて、諦め悪くまだ立ち上がろうと画策している薫に呆れながら、その額に軽くデコピンをする。「いたっ!」と小さく悲鳴を上げて布団に沈む薫。
「…なにがそれほどまで、貴方を焦らせるんですの?」
思わずそんな疑問が口から漏れていた。と、同時にはっとする。
しまった。彼女の内面の深入りは、プレゼント探しの後、薫にさりがなく魔女へ勧誘する場面で行うべきことだ。今、この早すぎるタイミングで聞いてしまうと、彼女の心情に変化が生じる可能性がある。
「ごめんなさい。今の言葉は忘れてくださるかしら」
慌てて撤回をするものの、尋ねられた薫は考え事をするように天井を眺めている。
あ。待って待って待って。考えないで。タイミングをミスったんだってば。
「…だって、私がしっかりしないといけないから」
言っちゃった~!!
ダラダラと冷や汗を流す私。
違う。その言葉は今じゃない。
原作ではマリアは薫を勧誘する際、「貴方はこの生活に不満があるのではないですの?」と尋ねる。そして薫は突然そう問いかけられたことに驚いて、咄嗟に、そんなことはない、大変なことは多いけど家族もいてくれるし幸せだ、と答えるのだ。
その答えを聞いたマリアは一度引き、勧誘を中断する。更に彼女を追い詰め、願いへの執着を強めるために策を打とうと企むのだ。
そして嵐の前の静けさのような、一瞬の平穏な期間、その間、薫は家族の中の自分の立ち位置に悩むようになる。マリアの問いが頭から離れず、家族のために身を粉にして働くことが自分の幸せなのだろうかと考えるようになるのだ。
つまり、つまりはだ。
薫に家族に対する不満を尋ねる。
→薫、問題ないと答える。
→その後、薫が悩む。
→なんだかんだあって、結局魔女にはならず人を救う戦士へ。
こういう流れになる。
原作ではマリアの勧誘が第一段階だったから魔女になることを免れたものの、第一段階の時期を早めて、プレゼント探しの時点で第三段階に進んでしまっていたら、マリアの甘言に惑わされる可能性がある。
それはまずい。非常にまずい。
じゃあそもそも勧誘とか、彼女の心に揺さぶりをかけなければいいという話になって来るけど、そうなると戦士として覚醒せずに、なんの力もない一般人なままとなる可能性がある。
戦士になるにしても魔女になるにしても、宝石を生み出せるほど強い願いを持たなくちゃいけない。彼女の場合、その願いが家族の問題と強く結びついてくるのだ。
だから願いを強めるためにも、一度迷って、自分の真の願いを再確認してもらわないといけない。
ただその匙加減が超ムズい!!!
ここまでの思考を数秒間の間に終えた私は次に、薫にかけるべき言葉を悩む。
無理をしすぎるな? いやそれだと後々「じゃあ今まで我慢してた分、魔女になって、自分のためだけに動いてやる!」とか爆発しない?
他の人を頼れ? でも「結局最後は私が頑張ることになるんだってば! もうなにもかも嫌になっちゃう…いっそのこと魔女に…」とかなる?
待って、なにが正解かマジで分からなくなってきた。
えーっと、えっと、そう。ここは慎重に、そうだね、なんかこういい感じに誤魔化しつつ、「貴方のことを気にかけてますよ」と思わせつつ…あとは万が一にも魔女にならないように釘を刺しつつ…。
そんなことをあれこれ考えながら、私はにこりと微笑み、薫の頭を優しく撫でた。
「…自分自身の大切なものを見失っては駄目ですわよ」
そして出てきたのは、自分でも意味不明だと思うような台詞だった。
なんか妙に意味深だけど、中身はない。マジでうっすぺらい。
万が一、億が一にも、私欲に溺れて魔女になってくれるなよという懇願をこねくり回した結果、こんな言葉が排出された。…悪役って難しい。誰か助けてマジで。




