8.反魔派の影 ―シグマ再臨
午前零時。
魔法庁上空を、黒い稲妻が裂いた。
次の瞬間、空全体に魔力の波が走り、通信塔や魔力管制網が一斉に沈黙する。
「……やられたか。」
レオンは研究棟の屋上で、煙草を落とした。
校舎の下から、数名の教師が駆けつけてくる。
「レオン先生! 日本中の魔力網が……!」
「消えたんだろ?」
レオンは目を細める。
「“反転波”だ。十年前のアーク・コード暴走と同じ波形。」
彼の脳裏に、あの男の声が蘇る。
――お前ごと、世界が背負うしかないな。
⸻
日本魔法学校・理事長室。
ガラス越しに夜の街を見下ろす初老の男が、レオンに視線を向けた。
「スチュワード、久しいの。」
「……六年前ぶりですね。理事長。」
「いや、正確には“あれ”が沈黙してからだ。」
理事長は机に一枚の封書を置いた。
封には、見慣れない印章――Λ(ラムダ)の文字。
「これが……例の“反魔派”からの声明文か。」
レオンが開封すると、そこにはただ一文。
> 『封印を解け。偽りの魔導師よ。世界を欺いた罰を、今ここで下す。』
レオンの指が一瞬止まる。
理事長は静かに続けた。
「十年前、アーク・コード事件の唯一の生存者……“シグマ・ロウ”。
奴がΛを名乗り、世界各国の魔法網を次々に破壊している。」
「……やっぱり、生きてたか。」
レオンは低く呟く。
「シグマは消えたんじゃない。
封印の“外側”にいたんだ。世界そのものを見下ろす立場で。」
⸻
同刻。
ロシア連邦上空――氷原の真ん中に、巨大な魔法陣が浮かび上がっていた。
中央に立つのは、白い外套の男。
黒髪をなびかせ、瞳は赤い。
シグマ・ロウ。
彼の周囲には、十数名の影――Λの幹部たちが集まっている。
その中には、かつての魔法学校の卒業生の姿もあった。
「報告を。」
シグマの声は低く、響く。
「アメリカ魔力網、陥落。中国支部の封印柱も沈黙しました。」
「よろしい。」
シグマはゆっくりと指を上げる。
「残るは――日本。」
幹部の一人が不安げに口を開く。
「しかし、“魔導師”スチュワード・レオンがいます。彼を敵に回すのは――」
シグマの赤い瞳が静かにその男を射抜いた。
瞬間、その男の身体が粉々に砕け、氷の粒となって消えた。
「恐れるな。あいつは神ではない。
――神を気取った“罪人”だ。」
⸻
翌朝。
魔法学校の校舎前は、報道魔導具を持った取材班でごった返していた。
「理事長! 反魔派Λが“日本の魔導師は世界の災厄”だと声明を!」
「レオン先生は本当にアーク・コード事件の首謀者なのか!?」
教員たちは口を噤み、生徒たちは不安げに空を見上げる。
曇天の向こう、東京湾上空に黒い雲が渦を巻いていた。
――封印が、再び開きかけている。
⸻
放課後、誰もいない講義室でレオンは独り立っていた。
手には一冊の古い書。
それは、十年前シグマと共に書き上げた“反転構築の原典”。
そこには、ある一文が赤く書き足されていた。
> 『世界は、反転する。真の魔法は、神を殺す術だ。』
「……シグマ。」
レオンは目を閉じた。
「お前、本気で神に挑む気か。」
背後で扉が開いた。
入ってきたのは、教え子の篠宮レンだった。
「先生、ニュース見ました……あれ、本当なんですか?」
レオンは笑う。
「さぁな。俺も自分が何者か、よくわかっちゃいない。」
レンは拳を握りしめた。
「でも、俺たちを守ってくれたのは先生です! 信じます!」
レオンの表情が一瞬だけ柔らかくなった。
「……ありがとな、レン。
だが、“信じる”ってのは一番危ない魔法だ。」
外で雷鳴が轟いた。
その瞬間、学校の魔力障壁が一斉に崩壊。
教室の窓が砕け、空から黒い羽が舞い落ちてくる。
――Λの襲撃だ。
⸻
屋上。
黒雲の中から姿を現したのは、白外套の男。
ゆっくりと降り立つ彼の足元で、瓦礫が氷に変わる。
「久しいな、レオン。」
レオンは煙草を咥えたまま笑う。
「よぉ、十年ぶりだな。
生きてたとは思わなかったぜ、シグマ。」
「お前が“死ななかった”からな。」
シグマの瞳が赤く光る。
「封印を壊すためには、お前の反転構造が必要だ。
俺は、あの夜の続きを終わらせに来た。」
「……あの時止めたのは俺だ。
今度は、また止めてやる。」
二人の間で、空気が凍りつく。
世界最強の魔導師と、神を否定した反魔の男。
その夜、世界の均衡が――音を立てて崩れ始めた。




