7.魔導師の罪 ―十年前の真実
十年前。
世界人口、まだ四百億。
東京の空はまだ青く、海風には塩の香りが残っていた。
その日、スチュワード・レオンは、まだ教師ではなかった。
彼は「日本魔法師団・第零開発局」に所属する、若き研究魔法師だった。
年齢は十六。
異例の速度で中門を突破し、上門を飛び越えて“赭勲”の称号を得た天才。
だがその日、彼の人生は永遠に変わる。
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「――君の式、また壊れたのか?」
薄暗い研究室で、レオンの隣に座る一人の青年が呆れたように言った。
シグマ・ロウ。
同い年にして、唯一レオンと同等の魔力構築能力を持つ男。
黒髪に冷たい瞳。
彼の詠唱は正確無比、まるで機械のようだった。
「壊れたんじゃない。限界を見たんだよ。」
レオンは微笑み、魔法陣を手の中で崩す。
「“反転術式”を安定化させるには、魔力の流れを完全に対称化しないといけない。」
「だが、それをやれば術者の魔力も反転して消滅する。つまり――死ぬ。」
シグマの声は冷ややかだった。
「やはり理論倒れだ、レオン。反転術式は“神の手”に触れる技術だ。人間には扱えない。」
レオンは笑い、指先で淡く光る魔法構文を描く。
「……扱えないなら、“扱えるようにする”のが研究者の仕事だろ?」
その瞬間、研究室の外で警報が鳴った。
「――第零封印柱が崩壊! 湾岸区域に異常魔力発生!」
二人は同時に顔を上げた。
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現場は、現在と同じ“東京湾”。
だがあの頃は、まだ黒塔ではなかった。
代わりに存在していたのは、**“封印柱アーク・コード”**と呼ばれる光の塔。
それは超越者たちの力を束ね、世界中の魔力を安定化させるための装置だった。
だがその日、装置の“核”が暴走を始めた。
光が反転し、魔力が黒へと変わる。
世界で初めて、“魔力が呪力に変質する瞬間”が観測された。
「シグマ、コードが崩れてる! 誰かが制御式を弄ったんだ!」
「解析不能! 術式構文が自己増殖している!」
アーク・コードの中から、人のような“影”が現れた。
それは装置の守護者が変異した姿。
無数の羽を持つ魔の存在。
レオンは瞬時に詠唱を開始した。
「第八式・反転構築――“光よ、逆に流れろ”!」
シグマが叫ぶ。
「レオン、やめろ! その術式は――!」
だが、もう遅かった。
レオンの体が一瞬で光に包まれ、彼の内にある魔力構造が“反転”した。
肉体の半分が崩壊し、血が蒸発する。
「……成功だ。」
微笑むレオンの目は、淡く銀色に輝いていた。
彼の詠唱によって、暴走していたアーク・コードが停止する。
だが同時に、塔の中心に“何か”が封印された。
それは人の形をしていたが、完全な存在ではなかった。
「なにを……閉じ込めた?」
シグマが震える声で問う。
レオンは答えなかった。
ただ静かに、塔を見上げた。
「――これが、人が神に届いた代償だ。」
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数時間後。
アーク・コードは封印され、事件は政府により極秘扱いとなった。
レオンは瀕死の状態で生還し、体内の魔力は“完全反転構造”に変化していた。
つまり――彼は“魔法の反対”の存在になった。
それが、世界初の魔導師。
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「……君はもう、普通の魔法師じゃない。」
病室でシグマが告げる。
「その力は、この世の魔法体系を壊す。存在そのものが禁忌だ。」
「だから、封印しろってか?」
レオンは笑う。
「俺を殺せば、またあの塔が暴走する。俺の体が、今や“封印の核”だ。」
沈黙。
シグマはゆっくりと背を向けた。
「ならば――お前ごと、世界が背負うしかないな。」
その夜、二人の道は分かたれた。
レオンは日本支部に残り、教師となって監視役を兼ねる。
シグマは姿を消し、以後“反魔派”として暗躍することになる。
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現在。
黒塔の前で、レオンは煙草を咥えながら夜空を見上げていた。
東京湾に再び立ち上がった“黒い封印柱”。
あの日の塔と、同じ波動。
――つまり、あの時封印した“何か”が再び目覚めたのだ。
レオンは静かに目を閉じた。
脳裏に、シグマの最後の言葉が蘇る。
> 「いずれ、“鍵”が目覚める。その時、お前はもう一度選ぶことになる。
> 世界を救うか、壊すかを。」
彼の指先で、火が灯る。
炎は風に揺れながら、黒塔の方角へと吸い込まれていった。
「……やっぱり、お前だったか。シグマ。」
夜の海に、レオンの声が消えた。




