5.禁忌の研究者 ―封印設計者シグマ・ヴァイス
地下七階、封印書庫の奥――
誰も使わぬ研究室の扉が、ひとりでに開いた。
カチ、カチ、と規則的な杖の音。
足音の主は、白衣の裾を揺らして現れた。
銀の義眼、右腕は機械仕掛け。
黒の手袋の内側で、魔力と回路が淡く共鳴している。
シグマ・ヴァイス。
かつて「禁忌の研究者」と呼ばれた男だ。
十年前の“アーク・コード封印”において、彼はその術式構造を設計した。
だが、封印が成功した直後、彼は全てのデータを破棄し姿を消した。
それ以来、行方不明。
――少なくとも、表向きは。
「やあ、六年ぶりか。相変わらず、寝癖が芸術的だね、レオン。」
レオンは溜め息をついた。
「お前、生きてたのかよ……。死んだって報告、理事長から聞いたけど?」
「死んだのは“私の身代わり”さ。
あの封印を維持するためには、私自身が魔力核と同化する必要があったからね。
だが……面白いことに、“意識”だけは残ってしまった。」
義眼の奥で、光がうねる。
人間ではない何か――魔力と機械の中間に位置する存在。
レオンは眉をひそめる。
「……つまり、今のあんたは魔導体ってわけか。
禁術だろ、それ。」
「禁術? はは、君が言うと説得力がないね。
この世界で唯一、“魔導師”と呼ばれた男が。」
レオンは苦笑いを返した。
「だからこそ、嫌なんだよ。“俺みたいなの”が量産されるのはな。」
シグマは机に手を置き、古びた魔導書を広げる。
書の表紙には「ARC-CODE I/O」と刻まれていた。
「レオン、君の生徒――神宮寺レン。
彼の中に、封印された“第一核”が再起動を始めた。」
「……知ってる。昨日の夜、暴走しかけた。」
「暴走ではない。“覚醒”だ。
封印の構造を思い出してみろ――七層封陣。
第一から第七まで、それぞれが人間の魂を依代にしていた。」
レオンの瞳が鋭く光る。
「まさか……レンの家系が、封印の依代だったってのか?」
「正確には、“封印の鍵”だ。
十年前、君が施した“反転術式”は、封印を外側から閉じた。
だがその反動で、内部に解錠因子が生まれたんだ。」
「……それがレンか。」
「そう。彼は生まれながらにして“選ばれた解錠者”。
そして今、世界中の魔脈が再構築を始めている。
これは偶然じゃない。」
レオンは腕を組み、長い沈黙の後に口を開いた。
「……お前、何しに来た?」
シグマは薄く笑う。
「“選択”を迫りに来たんだよ、魔導師。
君にしかできない選択をね。」
レオンの目が細くなる。
「選択?」
「封印を“維持する”か、“壊す”か。
どちらにしても、君の魔力核が鍵になる。
十年前、あれを埋め込んだのは私だ。」
レオンの表情が一瞬で変わる。
「……待て。それは――」
「覚えてないだろう? 君が魔導師になった夜、
自らの心臓を差し出して、アーク・コードの半分を取り込んだ。
だから君は、“人間と魔導”の境界にいる。」
レオンは胸元を押さえた。
鼓動が不規則に跳ねる。
封印が呼応している。
「ふざけんなよ……俺はもう二度と、あんな力は使わねぇって決めたんだ。」
「だが、君が使わなければ世界が死ぬ。」
シグマの声は静かで、残酷だった。
「そして、君が使えば、君が死ぬ。」
研究室に沈黙が満ちる。
僅かな時間、二人の視線が交錯した。
レオンは小さく息を吐く。
「……相変わらず、最悪な取引しか持ってこねぇな。」
シグマは微笑んだ。
「最悪な状況ほど、最適な選択が光るものさ。」
そして、義眼のレンズが回転する。
映し出されたのは、世界地図に浮かぶ“黒い五つの柱”。
「五国で同時に発生している魔脈異常――あれは“予兆”にすぎない。
次に起こるのは、“召喚”だ。」
「召喚?」
「アーク・コードの本体――“原初の魔導核”が、地上に姿を現す。」
レオンの拳がわずかに震える。
「……また、世界を壊す気かよ、シグマ。」
「違うさ。壊すのは君たちの在り方だ。
――“魔導師”という存在そのものを、終わらせる。」
次の瞬間、研究室の照明が一斉に落ちた。
闇の中で、シグマの輪郭が霧のように崩れていく。
「待て、シグマ!」
「再会を喜ぼう、レオン。次に会うときは――敵としてだ。」
彼の声が消え、残されたのは歪んだ魔力痕跡のみ。
レオンは頭をかかえ、低く呟いた。
「……やっぱり最悪だ、あいつ。」
その背後で、警報が鳴り響いた。
【魔脈異常発生:東京湾中心部】
窓の外、黒い柱がさらに膨れ上がり、
空を裂くように赤い稲妻が走った。
封印の鎖が、再び軋み始める。




