3.『侵蝕の放課後、黒塔書院の囁き』
放課後。
夕陽が校舎を朱に染める頃、魔法学園の敷地は静まり返っていた。
他の生徒たちは寮へ戻り、夜の自習に備えている。
だが――ひとりだけ、教室に残っていた。
神宮寺レン。
机の上に置かれた魔脈球の破片を見つめ、手を握りしめる。
昨日から、胸の奥で“何か”がざわついていた。
――レン。
声が聞こえた。
誰もいないはずの教室。
けれど、その声は確かに耳ではなく、“頭の中”に響いた。
――来い。下層の書院へ。お前の中に“鍵”がある。
レンは立ち上がった。
足が勝手に動く。
自分の意思ではないのに、心臓の鼓動が声に同調している。
「……俺の中に、鍵……?」
放課後の廊下は薄暗く、灯りがまばらに点いている。
生徒立入禁止区域を示す“赤い結界札”を越え、階段を降りる。
学園の地下は、普段教師でさえ滅多に入らない場所だ。
空気が冷たい。魔力の密度が地上の数十倍――まるで、ここだけ世界が違う。
“黒塔書院”。
学園の地下最深部に存在する、封印区域。
千を超える禁書が封じられ、結界によって常に外界と隔離されている。
そこは、生徒どころか超越者クラスの教師ですら入れない領域。
だが――扉は、開いていた。
軋む音とともに、重厚な魔力の波が流れ出す。
レンの瞳が、ゆっくりと黒に染まった。
「これは……」
薄暗い空間の中央に、台座が一つ。
その上には一冊の本が置かれていた。
表紙は革ではなく、まるで生きた肉のように脈打っている。
金属の鎖が絡みつき、無数の封印文字が浮かび上がっていた。
――それに触れろ。お前が“継ぐ者”だ。
「継ぐ……者?」
レンは無意識のまま、手を伸ばす。
指が本に触れた瞬間、脳を貫くような衝撃が走った。
視界が真っ白に染まる。
音が消える。
代わりに、声が無数に響いた。
“魔導を拒む神に抗え”
“世界の均衡は虚構”
“鍵は人の中に、滅びは魔法の中に”
叫びにも似た言葉が脳内を駆け巡る。
そして最後に、一つの名が浮かんだ。
――“アーク・コード”。
その瞬間、書院全体が震えた。
鎖が断ち切られ、封印陣が一斉に崩壊。
黒い魔力が渦を巻き、天井まで伸び上がる。
「レン――ッ!!」
雷鳴のような声と共に、蒼い閃光が地下に走った。
レオンだった。
彼の体を覆う青白い魔法陣が、まるで翼のように広がる。
「封印区域を開けるなんて、いい度胸だな!」
レオンは手をかざし、台座を囲うように七重封陣を展開する。
「“蒼滅陣・七式封界”!」
しかし、黒い魔力は止まらない。
まるで生き物のように封陣を食い破り、レンの体へ流れ込む。
「うあああああああああ!!!」
レンの叫びが地下に響く。
黒い紋章が全身に浮かび上がり、その中心に“円形の刻印”が刻まれた。
レオンの目が細められる。
「やっぱり……“継承者”か」
青の魔力と黒の魔力がぶつかり合い、地下は一瞬で光と闇に分断された。
爆音。震動。床が砕け、天井から瓦礫が落ちる。
レオンは舌打ちした。
「この出力……制御できねぇ!」
仕方なく、彼は左腕の封印を解いた。
袖の奥で、刻印が蒼く光る。
「“反転術式・零”――開放」
蒼い光が一瞬で全ての黒を押し返す。
暴走する魔力が凍りついたように停止し、レンの体が崩れ落ちた。
静寂。
レオンは息を吐きながら、床に横たわる少年を抱き上げる。
「……お前、何を見た?」
レンの唇が微かに動いた。
「……“アーク・コード”が、目を覚ます……」
その言葉に、レオンの瞳が一瞬だけ揺れる。
アーク・コード――それは十年前、世界を崩壊させかけた“禁忌の名”だった。
滅握者たちすら恐れ、封印された存在。
「まさか、また――」
レオンは拳を握りしめた。
上空の結界が軋む音が聞こえる。
地上でも、微かな黒い稲妻が走っていた。
「……クソッ。封印が、動き始めた」
そしてその夜。
学園の全寮制の時計塔が、突如として十三回鳴った。
本来、十二の鐘しか存在しないはずの塔が。
その“十三の鐘”は、新たな災厄の予兆だった。




