10.黒塔の覚醒 ―封印、開門す
朝が来なかった。
東の空は黒く、陽は昇らない。
魔法学校の上空には、巨大な影――黒塔が、ゆっくりと輪郭を取り戻していた。
「……十年ぶり、か。」
校舎の屋上で、レオン・スチュワードは煙草をくわえながら空を見上げた。
黒い煙を吐くように、塔の周囲の空間が歪んでいる。
その歪みの中心から、音がした。
鼓動のような、呼吸のような、何かが“目覚めている音”。
「理事長、観測結果は?」
背後に現れたのは、日本魔法学校理事長、柊真里亜。
彼女の表情は硬い。
「魔力波形は完全に一致。あの塔……“アーク・コード”の中枢部が反応してる。」
「……やっぱり、レンの覚醒が引き金か。」
真里亜は無言で頷いた。
「封印の鍵が再び力を使った。封印層が一枚、剥がれたの。」
レオンは煙草を指で潰し、空へと放った。
「十年前と同じ流れだな。……だが、今回は“俺”が暴発する前に、止める。」
⸻
一方その頃、医療棟。
白い天井を見上げて、篠宮レンは息を吸った。
全身が重い。まるで鉛の中に沈んでいるような感覚。
「……生きてる、のか。」
ぼやけた視界の先で、ユナが座っていた。
包帯だらけの腕を抱えながらも、笑っている。
「死ぬほど心配したんだから。先生が、あなたを抱えて帰ってきた時……」
レンは言葉を失った。
記憶が断片的に蘇る。
金色の光。時間の停止。あの声。
――“選べ”。
「俺……何を、したんだ?」
ユナが首を横に振る。
「分からない。ただ、あなたの魔力が暴走した瞬間、黒塔が動き出した。」
黒塔――。
レンの中で、何かが疼いた。
⸻
「レン。」
低い声が医療室に響く。
レオンが扉の前に立っていた。
「歩けるか?」
「……はい。」
二人は無言で廊下を進む。
窓の外には、黒塔が夜空を裂くようにそびえている。
その頂上から、黒い光が天へと伸びていた。
「先生……あれは、何なんですか。」
レオンは足を止め、少し間を置いて言った。
「“世界の起源”だ。
魔法という概念そのものを生み出した根源――《アーク・コード》。
十年前、俺たちはそれを封じた。」
レンの目が大きく開く。
「十年前って……先生が“滅握者”をやめた理由……?」
「ああ。あの時、世界は崩壊しかけた。
俺が“コード”の心臓を引き抜いた……その結果が、お前だ。」
言葉が、空気を凍らせた。
「お前の中にある“紋”は、アーク・コードの中枢に直結してる。
お前が目覚めれば、塔も目覚める。」
「じゃあ……俺が、あれを呼び起こしたってことですか?」
レンの声は震えていた。
レオンはゆっくりと頷く。
「だが、責めるな。
目覚めたのは必然だ。“誰か”が外から干渉してる。」
「Λ(ラムダ)……シグマ……。」
「そうだ。やつらは封印を完全に開くつもりだ。」
レオンの声が低くなる。
「そのためには、“鍵”――つまりお前を使うしかない。」
⸻
その時、警報が鳴り響いた。
《警告:黒塔周辺で次元振動を観測。封印層、第六層が崩壊。》
真里亜の声が校内スピーカーに響く。
「全生徒は避難を開始! レオン、黒塔の観測を中止して!」
レオンはレンの肩を掴んだ。
「行くぞ。今度は逃げられねぇ。」
「……はい!」
⸻
黒塔の前。
空が裂け、雷鳴が轟く。
塔の根元に刻まれた巨大な魔法陣が淡く輝いている。
周囲の空間が波打ち、空気が重く沈む。
「封印層が開いていく……!」
真里亜が術式を展開するが、光は押し返される。
「ダメ……内部からの干渉が強すぎる!」
レンは塔を見上げた。
塔の表面には、彼の胸の紋章と同じ“金の紋”が浮かんでいる。
まるで、彼を呼んでいるように――。
「先生、俺……行きます。」
「バカ言え! 中に入れば二度と戻れねぇ!」
「でも、俺しか反応できないんでしょう?」
レオンは歯を食いしばる。
目の前の少年の瞳は、もう恐れではなく、決意に満ちていた。
「……くそ。勝手に死ぬなよ。」
「先生こそ。」
レンは塔に手を触れた。
瞬間、光が爆ぜ、身体が浮かぶ。
――黒塔の門が、開く。
⸻
視界が白く反転した。
そこは、空でも地でもない、“何もない”空間。
ただ、遠くに浮かぶ巨大な結晶の心臓が、ゆっくりと脈打っていた。
> 『……ようやく、戻ったか。』
声が響く。
レンはその方向を見た。
そこにいたのは、“自分と同じ顔をした存在”。
「お前は……誰だ。」
> 『私は“アーク・コード”。
お前の中に宿る、原初の魔法意志だ。』
その瞳は、人間のものではなかった。
金色に光る、底なしの虚無。
> 『世界は限界を迎えている。
魔法の理は崩れ、生命は飽和した。
ゆえに――私は再構築を始める。』
レンの心臓が早鐘を打つ。
「再構築……それって、まさか!」
> 『すべての生命を“ひとつ”に還す。』
次の瞬間、黒塔が震えた。
外の世界では、空が裂け、都市が光に包まれていく。
真里亜の叫びが無線に響く。
「封印層、完全に崩壊!! 塔の中枢が開門したわ!」
レオンは空を見上げ、低く呟いた。
「……間に合え、レン。」
⸻
白い空間の中で、レンは拳を握った。
「世界を壊させない。
たとえ俺自身が“鍵”でも……俺は人間だ!」
金色の光が再び彼の体から迸る。
アーク・コードの目が、わずかに揺れた。
> 『人間の意志――。それが、“再構築”に抗うとでも?』
「抗ってみせる!」
レンの掌に魔法陣が浮かぶ。
それは、十年前レオンが使った禁術――反転術式構築。
彼は知らず、それを完全に再現していた。
「第零式――《封神逆界》!!」
轟音とともに、光と闇が衝突する。
アーク・コードの身体がひび割れ、黒塔全体が激しく揺れた。
> 『まだ終わらぬ……人の子よ……。』
最後の声が消えると同時に、塔は崩壊を始めた。
レンの視界が白に包まれ、すべてが溶けていく。
⸻
そして――静寂。
朝日が、昇っていた。
空にあった黒塔は消え、ただ青空が広がっている。
瓦礫の上で、レオンが目を細めた。
「……やりやがったな、レン。」
風が吹き抜ける。
遠く、金色の光の粒が空に漂い、やがて陽光に溶けて消えた。




