1.静寂の始業、歪む魔力
――世界人口、五百億。
その中で魔力を持って生まれる者は、わずか五十万人。
奇跡とも呼べる確率で“選ばれた者”たちは、各国にある魔法学校へと自動的に招かれる。
日本国立魔法学園・東ノ宮学園。
日本の富士山麓、結界で守られた空間の中に存在するその学園は、世界最強と称される。
教師陣は超越者以上のみで構成される――はずなのだが、そこに一人だけ規格外がいた。
スチュワード・レオン。
身長百八十二センチ、金髪蒼眼。
見た目は外人そのものだが、生まれも育ちも日本。
世界にただ一人、魔法階級最上位「魔導師」に到達した男である。
しかし――。
「はあぁ……眠い。なんで教師なんてやってるんだ俺は……」
朝の教室。大きな黒板の前で、だるそうに腰を下ろすレオン。
白衣を羽織り、手にはコーヒー。
机の上には、数百ページある魔導書が山積みになっているが、どれも開く気配はない。
チャイムが鳴ると同時に、初級生の生徒たちがぞろぞろと入ってきた。
皆、まだ魔力に目覚めたばかりの新魔生。
緊張と興奮が混じった目で、伝説の魔導師を見上げている。
「お、おはようございます、レオン先生!」
「おう。おはよう。今日も全員、生きてるな」
冗談のような一言に、生徒たちは笑いながらも肩をすくめた。
この教師、軽く言っているが冗談ではない。
初級魔法の暴発事故で生徒が意識不明になることなど、珍しくないのだ。
黒板にレオンがチョークを走らせる。
書かれた文字は――「魔力制御基礎Ⅱ」。
「今日の授業は、“呼吸と魔力の同調”だ。お前ら、魔力ってのは“体に流れてるエネルギー”じゃない。魂そのものの延長だ。だから、無理に動かそうとすると反発する」
「先生、それってどうやってわかるんですか?」
質問したのは、クラスの中でも一際真面目な少女、白峰アリサ。
黒髪のロングに青い瞳。地方都市・長野出身の新魔生。
「簡単だよ」
レオンは椅子に座ったまま、片手を軽く上げた。
――ふ、と空気が震える。
次の瞬間、教室全体が青い光に包まれた。
天井から床、壁までもが、魔法陣のように複雑な模様で輝く。
生徒たちの魔力が、勝手に共鳴している。
「……これが、魔力の“流れ”を掴むってことさ」
レオンの声が響いた。
生徒たちは息を飲む。
魔力が流れている感覚。体の奥が熱を帯び、皮膚の下を光が走る――。
だがその時。
「……あれ?」
アリサが、眉をひそめた。
彼女の右手から、黒い靄が立ち上る。
「先生、これ……」
レオンの表情が一変した。
「全員、魔力回路を閉じろッ!!」
叫ぶと同時に、レオンが立ち上がり、指先で印を結ぶ。
瞬間、教室内の魔法陣が青から金色に変わり、全生徒の魔力が一斉に“断絶”された。
黒い靄は床に落ち、煙のように消える。
沈黙。
息を呑む音だけが響く。
レオンはアリサの手を取り、ゆっくりと魔力の残滓を調べる。
指先に感じたのは――冷たい、歪な波動。
「……反転術式、か」
小さく呟いたその言葉に、生徒たちはざわめく。
「先生、反転術式って、上級生が使う術なんじゃ……?」
「そうだ。初級の魔力回路で、こんな波動を起こせるはずがない」
レオンの蒼い瞳が、窓の外を向いた。
富士の結界の空。そこに、わずかに黒い裂け目が走っているのが見えた。
(この波動……十年前と同じか)
レオンの脳裏に蘇るのは、過去の惨劇。
世界を二分した“魔力崩壊”の記録。
そして――その災厄を、たった一人で封印した日の記憶だった。
彼が教師をしている理由。それはただ一つ。
再び起こるかもしれない“魔導の崩壊”を防ぐため。
レオンは小さくため息をついた。
「まったく……まだ始業日だぞ。面倒な年になりそうだ」
そして、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
「――“封印の刻”が、近い」




