宇宙船異世界号
宇宙船地球号。それは、一体どこに向かうのだろうか。
天高く広がる大地を赤銅色に燃えるドラゴンが飛んでいた。空に広がる海を憎悪の瞳を持つエルフたちが渡っていた。宇宙に広がった森を武器を持った鬼が駆けていた。
宇宙船異世界号。そこに、人類の席は存在するのだろうか。
大学3年生の夏。
期末試験が終わり誰もが来たる夏季休業に浮き足立っている時期。図書館の地下に入り、多くの蔵書に囲まれながら独り過ごしていた。
「宇宙船地球号」
最後の講義で教授が楽しそうに話していた概念が耳にこびりついている。大学では試験が終わると、授業の出席率が著しく下がる。例年のことで教授も慣れているのか、それを見越して最後は好き放題する人が多い。
ただでさえ自由奔放な教授たちが、思うがままに語る時間が楽しみだった。
試験に出てくる内容というわけでもなく、将来役に立つ知識かと聞かれれば否としか言えない。大学の講義の中で最も意味のない時間で、最高に興奮する時間。
宇宙船地球号という言葉自体はどこかで聞いたことのあるものだった。地球上にある資源は有限であり、人類はその限られた資源を正しく使い、自然環境と共生し持続可能な社会を形成しないといけなければならないという概念。
宇宙船という閉鎖空間に例えたのが秀逸だなと心の中で感想を呟きながら、教授に向かって手を挙げた。大学の講義中に質問する学生は少ない。もし一度もしたことがないのであれば、試しにやってみて欲しい。いい歳した教授が子供のように目を輝かせる姿は病みつきになることだろう。
「宇宙船地球号に、そもそも人間の席は用意されているのでしょうか?」
その後の議論を思い起こしながら、図書館の地下を練り歩く。目当ての本はなかなか見つからない。面白い視点だと言いながら、教授はこう答えていた。
「人間というのも所詮、環境の一部でしかないんだよ。地球の中で人間だけが、”特別に”、席がないかもしれないというのは、それ自体が傲慢な考えではないかね」
ではどうして地球を宇宙船などに例えたのか。自然環境と共生しようという発想は傲慢ではないのか。教授との議論はしばらく続いた。
答えなど出るはずのない意味のない議論で、思わず立ち上がりたくなるほどワクワクする議論。
そのとき思っていたことは、宇宙船地球号に人類の席など存在しないのではないかということ。
講義が終わった後も興奮冷めやまず、宇宙船地球号が提唱された原著を探しに図書館に来ていた。1階にも2階にも見当たらず、一縷の望みをかけて地下に入ったというわけだ。
電動式の棚が所狭しと並ぶ狭い地下。原著こそ見つけられなかったものの、同じようなテーマの本はいくつかあった。
「こんなものか」
書かれていたことといえば、現実味のない絵空事や理想論ばかり。集めた本を返却台に置きながら、別の面白そうな本はないのかと練り歩く。
絵空事というのが嫌いなわけではない。むしろ好きなほうだ。いや、好きなほうだったというのが正確だろうか。
中高生だった頃であれば、もっと素直に本を熟読できたのかもしれない。小学生だった頃であれば、もっと真剣に解決策を考えたのかもしれない。
大学生にもなり、大人になりかけてしまってからは、もっと別の実用的な本を読みたくなっていた。一時でも理想論に心躍るということは、まだまだ子供の才能が残されているということ。
「大人にならないとな」
楽しい時はあっという間に過ぎ去ってしまう。
大学3年生の夏。これから人生でも大事な時期が訪れる。サークルに参加できる時間は残り僅か。卒業に必要な単位を逃がせられない。近いうちに始まる就職活動に向けて志望を決めなければならない。
一度冷めてしまった熱が、再び燃え上がることはなかった。地下室に面白そうな本はなく、1階に戻る。そして目立つところに置いてあった本を手に取った。なんということはない進路を決めるのに役立ちそうな内容の本。
「なんか違うんだよなぁ」
子供の頃は、天高く広がる大地を見上げていた気がする。そこでは空想上の生物が無数に生き、様々な物語を紡ぎ続けていたはず。
だがそんな天の大地はいつの間にか亡くなっていた。中高生の頃は、広大なはずの空の海で自分だけの船に閉じこもり漂流していた。気づいた時には周りには何もない。
「もう一度、見たかったな」
天の大地をもう一度だけ。大人になりかけてからは、もし宇宙に森が広がっていれば天の大地まで歩いて行けるかもしれないと、そんな空想をするようになっていた。
手に取った本をそのまま戻す。将来のことを、真剣に考えなければならない時期だと自覚しながら今は読む気になれない。
そして次の講義に出席するために出口へと向かった。また面白い話を聞けるかもしれないと期待しながら、もう素直に喜べないかもしれないと気落ちしながら。
「え?」
図書館を出た。目の前にあるのはガラス張りの8号館。
空の海を見上げたのは、もしかしたら天の大地が見えるかもしれないと期待したから。たとえ見えなかったとしても、宇宙の森を作ってみたいと思えたから。
ところが目に飛び込んできたのは、真っ赤に燃える炎。
太陽ではない。なぜなら赤い炎は翼のようなものを広げながら、大きくなっていくのだから。
轟音とともに8号館は倒壊した。散乱するガラスの破片と他の学生の悲鳴。その中心から炎が正体を現す。
赤銅色に燃え上がるドラゴン。
ガラス張りの8号館は、もはや溶け落ちてしまっていた。逃げまどっていたはずの学生は、既に黒コゲ。にもかかわらず、図書館だけは無事だ。
「我はグリンガル。罪深き人類よ。貴様らの歴史はここまでだ」
天高く咆哮するグリンガル。8号館は跡形もなく消え、学生の死体は言うまでもない。
赤い炎しか見えない世界。図書館で過ごしていた人達が後ろにいる気配を感じるが、宇宙船地球号に人間の席はもう無いのだと察していた。
「はは、ははははは」
力なく笑う。咆哮を終えたグリンガルは、次の標的を探すように首を大きく振る。炎が消えて見えてきたのは、人工物だけが消え去った世界。
ガラス張りの8号館も、遠くに見えていたはずの建物も、人間も、何一つ残されていない。なのに樹木は燃えてすらおらず、小鳥のさえずりはハッキリ聞こえ、足元には小さなアリンコが何事もなかったかのように歩いている。
どうしてか無事な図書館から一歩踏み出した。見向きもしないドラゴンに向かっていく。後ろから引き留める声が聞こえるが関係ない。
図書館だけで生きていけるだろうか?無理に決まっている。もう全てが終わっているのだと、大人になりかけているからこそ思う。
それでも図書館に閉じこもりたい。中高生だった頃の俺なら、そう考えただろう。
すごい。本物だ、本物のドラゴンだ。小学生だった頃の僕なら、きっと心躍らせながら図書館を飛び出したことだろう。
「グリンガル!!」
大声で呼びかけられたドラゴンはゆっくりと首を下ろしてきた。その鱗の一つ一つは炎が閉じ込められたかのように赤銅色に燃え光っている。
「ほう。面白い奴だ。どうした?命乞いでもしたいのか」
見開らかれたグリンガルの瞳に映るのは、子供のように無邪気に笑う自分の姿。手は震え、足元はおぼつかない。なのに顔だけは驚くほどに明るい。
「子供の頃の僕には、天の大地が見えていたんだ。でも成長中の俺が、空の海に漂流して見失ってしまった。そして大人になりかけた私は、宇宙の森を考えた。あの日夢見た天の大地を、もう一度見るために」
「ふむ」
「君は、どこから来たんだい?」
真正面から対峙するグリンガルの炎がゆらめく。その隙間からは、見たこともないほど青々とした空が顔を出す。
人間が消えた世界。人工物の無い地球。
そのはずなのに、天高くから人の形をした光が降りてくる。図書館の前に着地したのは、耳の長い人間のような者たち。
グリンガルに負けず劣らず真っ赤な瞳は、怒りと憎悪で燃えたぎっている。そのほとんどは、こちらに見向きもせず次々と図書館に入って行った。
「こやつはいい」
数人が近づいて来ていた。エルフとよく呼称される見た目。これから図書館の中で行われるであろうことがわからないほど馬鹿ではない。
助けに向かうべきか、わずかな逡巡はドラゴンの炎に阻まれる。周囲を炎に囲まれ身動きが取れず、エルフも近寄ることができない。
「私がどこから来たのか、だったな」
逃す気のないグリンガルの視線。手の震えは激しくなり、立っていられるのが不思議なくらい膝が笑っている。
「突き止めて見せよ。させれば人類に、違った未来が訪れるやもしれん」
炎は天高く燃え上る。空の海は赤く染まる。
薄れゆく意識の中で、宇宙に森が広がっていく様子を見た。本物か幻か。最後に夢見て世界を掴みたかっただけかもしれないが、だとしたら森の緑やざわめきがあまりに真に迫っている。
大学3年生の夏は終わりを告げた。
宇宙船地球号は飛び続ける。だがそこに人間の席は無い。人類だけを追放し未来へと向かっていく。
もし地球ではない異世界があったとして、もし異世界に転生できたとしたら。
宇宙船異世界号に、人間の席はあるのだろうか。人類が再び未来へ歩くことはできるのだろうか。
たった8人の、最後の生き残りかもしれない人間は、異世界の大地に目覚めた。自らの名を忘れてしまった8人は初め、魔法を使って豊かな暮らしを送ることになる。
魔力という資源が、有限であることなど想像すらせずに。
最後までお読みいただきありがとうございます。
評価が良ければ、このまま長編として投稿しようかなとも考えています。
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