第四話 黒瀬達と伯爵の事情
すぐに俺たちは浴場に案内された。広さはホテルの大浴場と変わらない。どうやらローマ帝国と同じで風呂を愛する文化っぽい。千年帝国万歳。
侍女達は俺と黒瀬の服を脱がせ始める。黒瀬は「わわっ?!」と驚いていたものの、侍女達の脱がしテクが洗練され過ぎていて、抵抗虚しく裸にひん剥かれた。
俺?
ソープで慣れっこだから、素直に身を任せたよ。
まさに大浴場というのが相応しい風呂が目の前にあった。百人は余裕で入れそう。ここまで大きいともうプールだよ。
俺達にそれぞれ二人が張り付いて、頭や体を洗ってくれる。むぅ。なんて気持ちいいんだ。殿様気分。ま、監視も兼ねてるんだろうけどな。
「ヒ、ヒロア。お前は平気なのか?」
「まぁな。黒瀬には刺激が強すぎるだろうが、やんごとなき方の屋敷ではこれがスタンダードなんだ、多分」
「そ、そうか……」
こんなの黒瀬の歳じゃ経験しようもない。俺はおっさんだから慣れてはないけど、動じもしない。
ここで俺は黒瀬の目を見ながら日本語で話しかける。侍女達には聞かせたくない。
「それでさ、黒瀬、俺ってやっぱ日本人だわ。風呂無しじゃ生きていけない」
「同感だ。久しぶりの風呂だ」
「こっち来てどれぐらい経つ?」
「二年近く」
思ったより長い。
「そりゃ大変だったろう……」
「まぁな。言葉の壁に苦労したけど、傭兵って職業があったので食うには困らなかったが、それ以外がな」
「わかるぞ。ネットと漫画と映画とウォッシュレットとスマートフォンが恋しい」
黒瀬にはピンとこないらしい。無理もない。俺は黒瀬にウォッシュレットとスマートフォンの説明をする。
「便利なものがあるんだな……。俺はまずテレビがないのがきつい」
「ほうほう」
昭和じゃテレビはメディアの王様だったもんな。
「それとSF小説」
「いや待て。お前の置かれた状況がSFそのものだろう」
「そんなことないが。あとラジカセ」
「お、おう、ザ・昭和だな」
「それにレコードとステレオが恋しい」
ははっ。アナログばかりだな。
「俺の実家にも父親の遺したステレオ、百枚以上のLPレコードがあるぜ」
「それはすごい」
「うちの父親はオーディオ道楽でな。『給与注ぎ込んで買い集めたものだから、俺が死んでも処分するな』が口癖だった。ちゃんと保管して、実家に帰った時にはアナログサウンドを楽しんでるよ」
「へぇ」
さて保留になってた質問コーナーだ。
「なあ黒瀬、こっちへ来た経緯を教えてもらってもいいか?」
「ああ、まずは最初のきっかけだが」
黒瀬の語った内容はまんまラノベかアニメみたいな内容だった。
───異界で邪神に仕えていた巫女が日本に転生してきて、高校の生徒や街の人の命を捧げ、地球どころか太陽系、銀河単位で支配するという邪神を召喚しようとした。
黒瀬とその仲間達は、日本政府と一緒に辛うじて阻止することに成功。しかし邪神の分身に操られたクラスメイトによって命を落とす。
しかし神である妹に救われた。が、完全な蘇生ではなく、あやふやな存在として復活した、と。
「ハードモードな人生じゃないか……」
あまりに辛過ぎるだろ。俺が同じ目にあったとして、耐えられるのだろうか。自信ないな。
「しかもな、異界に飛ばされるのは二回目だ」
「そりゃまた……」
「優子は今回初めてだよ。一回目は瑛子と一緒だったからすぐに帰れたんだ。邪神と繋がる神殿の儀式と瑛子の権能でな」
義理の妹で神様。黒瀬の周りには凄い子が集まってて、まるでスーパー戦隊だ。
「なるほど。そうか。霊峰にはドラゴンがいるから向こうへ帰る望みがあると」
ドラゴンは俺たち人間とは全く別次元の生き物だ。代償なしで人間とは桁違いの高位魔導をバンバン使える。ドラゴンモードのセルアを思い出し、あらためて人間がどうこうできる存在じゃないと思う。
「そうだ。ドラゴンは人とはかけ離れた魔導を使えると聞いた。ただ傭兵の身分で帝国を縦断する方法がなくてな、困ってたところにヒロアの依頼が来たわけだ」
帝国は傭兵という存在を認めていない。何かの任務に就いてない限り、傭兵は入国できない。
「まさに運命の出会いか」
ご都合主義みたいだが、人生には後で振り返るとまさに運命としか思えない出来事の一つや二つあるもんだ。俺だって経験した、だから信じざるを得ない。
「俺が生まれた頃にそんな大事件が起きてさなんてな。それにしても封鎖区域……? そんな街あったかな」
「ヒロアはどこに住んでた?」
「パーソナルデータはぼんやりしてるんだ。冬に雪かきばっかやってた記憶があるから、北陸や東北じゃないかと思ってる」
「そうか。俺がいた街は西日本だから、そっちじゃ馴染みがないんだろう」
「そうかもしれん。ネットが使えないのは、ほんと不便だ。それにしても吸血鬼に猫、イタチ、狐か。吸血鬼のことは優子に訊くとして。宇宙から来たって子は、俺にも心当たりあるぞ」
「えっ?」
本当に驚いたな、黒瀬。
「俺の実家にさ、ルウカって侍女がいるんだけど、俺の転生を知らされた時にカミングアウトしたよ。黒瀬の言う恒点観測体ってボイジャーの超高機能版だよな?」
「あー、そんな感じだ。そうかこの惑星にもいるんだ」
「そっちの子はお前にラブラブみたいだけど、ルウカはイズミの忠実なる僕なんだ」
浴室の外から声がかかる。
「ヒロア様、クローセ様、そろそろ……」
侍女の一人が申し訳なさそうに告げてきた。
「あっごめん。長湯しすぎた」
風呂を出ると、ゆったりとした服が用意されていた。俺たちの服は洗濯されたとのこと。
今度はホールに案内され、そこに用意された豪勢な料に思わず目移りする。
こっちの料理は中東と中央アジアあたりの料理をミックスした感じで美味い。俺は遠慮なく平らげる。
「セルア、二名ほど配下をつかせようと思うが」
伯爵がセルアの機嫌を窺うように訊ねる。
「そうすると、発覚した場合、他の貴族や皇帝の不興を買うだけです。お祖父様のお立場が悪くなること、私には耐えられません」
「そうか」
「ヒロアと傭兵の二人も充分な実力者。彼らがいれば不足はありませんよ」
セルアぁ、褒めすぎぃ。
「ほう」
伯爵に見つめられた俺は恐縮する。
「はっはっは。そうだな。“殲滅の魔女”が育てたんだ。只者じゃあるまいて」
俺の育ての親、すごく評価されてるわ。わかるけど。
「何度も皇帝陛下には申し上げたんだがな。“殲滅の魔女”の恐ろしさを」
“殲滅の魔女”は有名人だ。不義理を働いた国を三つ滅ぼしたとか、地形を完全に変えたとこか、何百年も生きてるとか。
まさか自分の育ての親が“殲滅の魔女”だなんて一ミリも思ってなかったけど。イズミ、元気にしてるかな。
そんなこと考えたのがいけなかったのか、旅立つ前、イズミに渡された首飾りから突如光が放たれた。
「魔導?! なぜ?」
伯爵の護衛や使用人が驚いている。当然だ。貴族の屋敷や公共の建物には対魔導防御措置が施されている。魔導は使えない。
彼らは警戒の姿勢を取るも、伯爵が手を上げてそれを制した。実際のところ、貴族の邸内での魔導発動はテロ行為と見做されたとしても仕方ない。
やばいと思って焦っていると、部屋の中央にイズミが出現した。半透明なんでどうやらホログラムっぽい。ルウカのスーパーテクノロジーだ。
『ダラド伯爵、お久しぶりですね。そこにいるヒロアの育ての親、イズミです』
俺の首飾りはどうやら、通信機能付きの立体映像プロジェクターだったようだ。
「おお、イズミ殿か。あの時は本当に世話になった」
え? 二人は知り合いだったのかよ。
『セルア皇女の安全はこの私が保証します』
「それは心強い」
『ヒロア、この機能は月に一回しか使えません。覚えておきなさい』
「うん。わかったよ。というか先に言っといてほしかった」
返事もなくイズミのホログラムは消えた。あっけないぞ。まぁいいけど。
「三十年前と全く変わりない」
伯爵の呟きが聞こえた。イズミって不老だもんな。
「何があったかお聞きしてもよろしいですか?」
好奇心のままに訊く。
「当時の、第三十八次討伐軍に諜報部隊としてついて行ったのだよ」
三十八! 帝国、どんだけイズミを殺したいんだ。
「私は戦場を離れたところで観測していた。突如として空から眩しい光が降ってきたと同時に、友軍がほぼ消えたのだ。あっという間だった。木も岩も何もかもが溶けて、周囲に残されたのはおびただしい量のガラスだ」
遠い目をして語る伯爵。
うわぁ。
多分だけど空気をレンズ化させて太陽光を収束させたな。えげつない!
「そして私の前にイズミ殿が降りてきた。『このことを皇帝に伝えなさい』と私におっしゃってな」
俺は何も言えなかった。
「それでも陛下を止められなかった。力不足を痛感したよ」
「私も同感です、お祖父様。人は“殲滅の魔女”に何も出来ない」
身をもって経験したセルアも同意する。うん。俺も賛成。ドラゴンでも倒せないぞ、イズミは。
黒瀬も伯爵の話から太陽光収束ビームが使われたと理解したようだ。『お前もSF好きだからわかっただろう?』と目線を送ると、頷いた。
「セルアのことを心配はするまい」
微笑む伯爵。うん、俺がついてるし。安心してくださいな。