008.ヴィスタとグリスタ
スナッチとは何か?
クシードはミルフィに聞くや否や、彼女はクシードに向けて腕を伸ばした。
掴んで奪いとるようなアクションを見せた途端、クシードの身体が重くなり、その場で倒れこんでしまう。
人盛りのある白昼下の公園で人が倒れたため、周囲は騒然。突然のことでミルフィ自身も平然としていられなかった――。
「大丈夫かよ、姉ちゃん。スナッチで魔力切れなんて聞いたことがねぇぜ」
たまたま居合わせていた家族連れにクシードは介護され、ベンチに座り休んでいた。
身体は重く、とても動きたいという気分にはならない……。
どうやらスナッチは相手から魔力を奪いとるテクニックらしい。ただ、奪いとる魔力は微量だそうで、魔力切れを起こすことはまず無いと言う。
ミルフィ自身も悪気は無かったため、耳も尻尾も萎えてしまい意気消沈。小さな声で鼻を啜りながら、何度も“ごめんなさい”と呟いていた。
クシードは別に責めるつもりは無い。
魔法とは無縁だった世界の住人が魔力切れを起こした、ということは逆を言えば魔力があることを証明している。
どちらかと言えば感謝だ。
「……そんな……、気を落とさんくて、ええよ。むしろ……、スナッチ……、教えて、くれる……?」
肩で息をするクシードを見て、ミルフィは涙目になりながら小さく頷いた。
「ほな……、午後に、なったら……、早速、仕事……しような」
魔力切れは、休めば回復する模様。
午後になるとクシード達はシーブンファーブンへ向かった。
◆◆◆
クシード達がシーブンファーブンから紹介された仕事は、図書館での本の整理。
返却された本を元の場所に戻せるだけ戻すと簡単だがどこか曖昧な仕事だ。
現地へ到着後、担当者から説明を聞き、クシード達は戻される本達が待っているバックヤードへ移動した――。
「……暗いな。ええっと、照明……」
クシードは、入り口付近にあった点灯パネル類に触れて“明るくなれ”と念じ、照明を点灯させる。
「……膨大な量やんな」
明るくなったバックヤードの天井高さは3メートル程。
その天井付近まで伸びる本棚がいくつも並んでいた。
本はすでに戻すべき場所ごとへ仕分けされている、と担当者から聞いているが、この量はとても半日ではできない。
戻せるだけ戻す意味も納得がいく。
かといって最低ノルマもあるため、達成しなければ報酬は発生しない。
どうやって作業を進めようか、ため息混じりにクシードが計画を模索していると、ミルフィは大きな箱が乗った台車を持ってきた。
この大きな箱に、本を入るだけ積み込んでみると、大小合わせて300冊は入った。
「ほな、行こうか」
準備は整い、クシードはフロアに出て作業を始めようと台車を押す――。
「……あれ?」
しかし、どうゆうわけか、台車が動かない。
積載荷重がオーバーしているわけでもなく、タイヤにロックがかかっている様子も見られないが、一体どういうことだろう。
戸惑っているクシードの元へミルフィが来ると、彼女は台車のハンドル部分の脇にある小さなスイッチを押した。
「おっ!」
スイッチを押した途端、台車は300冊もの本を積んでいるとは思えないくらい軽くなった。
随分とハイテクな台車だ。
「よしッ! 再開するで――」
図書館の構造はスタジアムのような楕円型をしており、中央部分が受付となっている。
ドーム状の天井は高く、トラス型の梁が見える構造は美しく、そして開放感に溢れていた。
だが、天井が高ければ本棚も高い。
なんであんなに高いところに本を納めているのか、クシードは疑問に思うが、私情は捨て去り、バスケットゴールよりも高いところへ本を納めなければならない……。
「ハシゴかキャスター付きの階段、どっかにないかな?」
クシードが周りを見渡していると、ミルフィが先にキャスター付きの階段を発見し、少し重たそうな顔をしながら、なぜか持ち上げて運んできた。
キャスター付きの階段は金属製で、大きさは3メートル以上ある。細身の女性が持ち上げるのは到底不可能なのだが……。
「……ミルフィ。アレ、グリスタ使って運んだんやよな?」
“そうやけど”と、キョトンとした顔でミルフィは頷く。
グリスタと呼ばれる水晶玉は誰でも持つことができる。喧嘩でもして、金属製の階段を持ち上げられるようなパワーで、1発もらおうものならば死亡ルートまっしぐらだ。
すぐにでもグリスタを扱えるようにならなれけば、とクシードは息を呑んだ。
「ふぅ……、なんとか最低ノルマは達成できたな」
時刻は17:30。
ミルフィは本を片付けながら、気になった本を読んだりしていたので、少し時間はかかった。
閉館時間を知らせる鐘の音と共にクシードは担当者に終了報告を行ったあと、シーブンファーブンにも報告を行うために戻る。
得られた報酬は2人で340ジェルト。
1ジェルトが何ユーロなのかはわからないが、昨夜、大衆食堂で飲んだビールが1杯50ジェルトから推測するに、賃金はあまり高くないと分かる。
まぁ、本を納めるだけの簡単な仕事だったので妥当な金額だろう――。
「お仕事ご苦労様さまでした、っと」
昨夜と同じ大衆食堂。
1杯50ジェルトのビールで乾杯をしながらクシードとミルフィはピザをシェアしていた。
「――なぁミルフィ。スナッチやグリスタについて教えてもらいたいんやけど……」
疑問に思ったことはその日のうちに復習。
いつも通り、文字を読み上げる話し方でミルフィは教えてくれた。
スナッチは、相手から魔力を奪う基本テクニックだそうだ。奪う量は微量で、普段の生活ではあまり使用されず、モノノケの死体処理で使われることが多いとのこと。
やり方は、ミルフィが昼間やってのけた通り、腕を伸ばし、掴んで奪いとればできるという。
「……詳しくは、明日、教えてもらえたら、助かるなぁ……」
できるかどうか見当もつかないと、歯切れが悪くなっているクシードに対して、ミルフィはこくりと頷いた。
「あぁ……、あと、グリスタ。コレも教えて欲しい」
あの水晶玉について、どうやって説明しようかミルフィは指を口唇に当てながら考えていると、何か閃いたのか天井を指差した。
「……照明?」
「ヴィ、ス、タ……」
ミルフィは同じように天井にあるエアコンや換気扇も指差し、他に厨房の方も指を差す――。
どうやら、照明器具や空調機器、水栓、ガス、トイレなど、元の世界で存在していた設備類が全て“ヴィスタ”と呼ばれる魔石で動いているという。
グリスタについて聞いたのに、また新しい単語が増えたな……。
「――要約するとヴィスタは物に組み込まれとって、グリスタは人が装備するもんねんな?」
ヴィスタもグリスタも使用するには魔力が必要である。
クシードに魔力が有るか無いかは、スナッチで魔力切れを起こしていたので、有ると判明している。
宿泊した際、照明に対して“点く、消える”のイメージ、水道に対して”水出ろ、お湯出ろ”のイメージ等々。これらは全て脳波など機械系では無く、なんとヴィスタによるものだった。
まさか、知らず知らずのうちに魔法を使っていたとは……。
「あとはグリスタを装備。たしかグリスタって誰でも装備できるんやったな?」
ミルフィはこくりと頷くと、両手を伸ばして黄色のグリスタを出現させた。
クシードが手にとってみた感想は、“意外と軽い”。
ビリヤード球サイズの水晶玉は、ずっしりとした重量感はなくテニスボールのような重さだった。
「……これ、どうすんの?」
「ぐ、グイッと……」
「グイッと?」
ミルフィは手のひらに押し込む動作を見せた。
「……なんや? 全っ然入らへんッ!」
本来であれば吸い込まれるようにグリスタは手の中に入っていくが、グリスタはクシードの手の中のまま。
力づくで取り込もうと奮闘しているクシードの姿を見ながら、ミルフィは首を傾げていた――。