005.拒否と承諾
両親の元へ帰るため、護衛して欲しい。
ミルフィ・アートヴィーレと言う女性からの依頼をクシードは断った――。
「…………」
何も言葉を発することはなく、ミルフィの頬には涙が伝っている。
断られただけで泣くことだろうか、とクシードは思った。
彼が護衛を断ったのは、先が思いやられるとかではなく、単純に実力を超えた内容で危険が伴うからである。
現地までの付き添いだけならば良い。
飛行機や新幹線に乗って実家に着くまで付き添うぐらいならば、例えコミュニケーションに支障があれど、さほど問題視するほどでもない。
だが、魔神と言うパワーワードが問題だ。
にわかに信じがたい存在であるが、奇妙ながらも神妙な顔つきで話すあたり、本当にいるのだろうとクシードは思う。
魔神のイメージは、創作物などからなんとなくできるが、現実にいるとなると具体的な想像はできない。
ただ一つ言えることは、集落を簡単に占領してしまうなど、危険度がとても高い。
“西側へ行く”と言うことは、ある意味魔神の本拠地へ向かうことである。よく分からず、安易に引き受けては自殺行為だ。
「…………」
しかし、女性が大衆の場でハンカチを目に当て、鼻をすする様子は、世界が変わっても共通なのか、注目を少しずつ集めていた。
「あの……、断るのは護衛ですよ……。つ、通訳ぐらいならええかもなぁ……」
クシードの言葉を聞き、すっかり元気の無くなっていた彼女の猫耳がピンッと起きた。
「役に立つかどうかは知らんですけど、通訳ぐらいなら出来そうなので……」
周囲の目も気になるが、考えてみれば異世界へいるのにも関わらず仕事にありつけている状態だ。
ここで収入を得られる機会を逃すわけにはいかない。
「そこで報酬が発生するんですけど、宿代や食事代、にち――」
彼女はクシードの話を最後まで聞かず、高速で小刻みに首を縦に振った。
首の構造は一体どうなっているのか分からないが、“詳しいことは明日決めよう”と少々強引ながらもこのような結論に至り、クシードは宿まで案内されて、その日を終えた。
◆◆◆
宿泊して分かったことがある。
充電スポットが無い。
クシードはフロントで聞いたが、『何のことだ?』と、首を傾げられた。
照明や水、お湯は、付近にあったパネル部に触れて脳波で作動することが確認できたが、なぜかコンセント類が存在しない。
腕時計型PCの充電ができないとなると、ミオやナノマシンスーツはただの服飾品だ。
食べ物や街並み、言葉、果てまた時計の見方など、色々と共通点が多く、様々な人種が多いだけで若干旅行感覚でいたが、インターネットなど通信系が今後も使えないのでは……、とクシードの胸は急に締め付けられる。
これからどうすれば良いか、腕時計型PCを起動させて調べようとするも充電切れ。
無意識で電源スイッチを押すなど、それだけインターネットに依存していたと気付かされてしまう……。
対策も練られないままベットに横たわっていると、クシードの思考はやがて停止した――。
目が覚めた。
いつの間にか寝てしまった、とクシードは一瞬焦るが、昨夜見た同じ景色が広がっており、意識は保ちつつも再び思考が停止する。
結局、夢でもなんでもない。
異世界転移が現実に起こったのだ……。
クシードは、“ハッ”と気づいたように、壁の時計に目を向けると時刻は午前7:00過ぎ。
昨日、ミルフィとは午前8:30に宿のロビー集合と約束していた。
寝坊しなくて一安心するが、元の世界には帰れないと思うと、彼の心拍数が急に上昇した。
この世界を生きていくには、彼女と共存をしなければならない。
生活のために彼女を待たせるわけにはいけないと、クシードは身支度を整え、早々に部屋を出た。
午前8:30
約束の時間。
彼女は来ない――。
午前8:45
彼女はまだ来ない――。
午前9:00
彼女は全然来ない――。
顰めっ面でロビーで待っていると、宿の受付から妙な視線を感じた。
なんだか気まずい。
徐ろにクシードは立ち上がり、出口のドアを開けて外へ出た瞬間、図ったかのようにミルフィが走ってくる姿が見えた――。
「――ぼう――――った」
ボソボソと彼女は喋っているが、申し訳なさそうな顔をしているので、おそらく謝罪しているのだろう。
クシードは強引に笑顔をつくり、ミルフィを迎え入れると、近くにあった公園へと移動した。
中央の大きな噴水が特徴的な公園。
この噴水をアリーナのようにベンチが囲んでいた。
子供たちは自由に遊び、日光浴や本を読む人、ジョギング、演奏の練習をしている音楽家などなど、ここは町の憩いの場なのだろう。
東側は魔神の影響が少ないのか、とても平和な時間が流れていた。
クシード達は公園内で見つけた屋台でサンドロールを購入し、人が少ないベンチを選んで2人横並んで座る。
遅めの朝食を口にしながら今後の方針について話し合っていた。
「――確認ですが、通訳の業務内容は今の屋台で朝メシを買ったような要領でいいんですよね?」
ミルフィはコクリと頷く。
「あとは報酬なんですけど――」
報酬は宿代、食事代、生活用品代、衣服、医療費など、今後の生活費を提案した。
期間についてはあえて聞かない。
定めてしまうと、以降の生活がキツくなるからだ。
クシードの要望に、一体いくらかかるのだろうとミルフィの唇はへの字になりつつあった。
「――それと、文字も教えてもらいたいですね」
言葉だけがなぜか通じるので読み書きさえできれば、生活は少し楽になる。
しかし、要求ばかりでは彼女も疲弊する。
「文字を教えてって言うても、会話の練習も兼ねてしません?」
彼女との会話はスケッチブックに書いた文章を読み上げるスタイルで、書く内容は実用的である。
その文章を参考書とすれば、お互いの不足部分を補う形になるので、一石二鳥だとクシードは考えた。
彼の提案にミルフィは大いに賛成する。
「なら、会話の練習するなら、話しやすい砕けた感じの方がええよな?」
タメ口で会話されて嬉しかったのか、ミルフィの口元は緩んでいた。
これでいい参考書が手に入りそうだ。
次に目指すのは生活基盤の安定化。
そのためには――。
「今思えば、生活費を工面してもらう内容になっとるんやけど、全負担はしんどいやろ? オレも仕事を見つけて、収入を得て負担を軽くしたいんやわ。何かええ仕事先知らんかな?」
彼女は首を横に振った。
「パ、パ……、パパとま、マママ、ママと……」
あぁ、そうだったと、クシードは思う。
職探しをしている場合ではなく、一刻も早く実家へ帰りたいのであった。
「でも、護衛してくれる人、雇わな前進まへんよ」
「……」
確かにそうだ、とミルフィは下を向いたが、何かを閃いたのかペンを走らせた。
「シシシシーブん、ブン、シブブンブンブブ――」
「ミルフィ! 落ち着けッ! ゆっくり一言ずつやッ!」
どうやら“シーブンファーブン”と呼ばれる冒険者ギルドがあるそうだ。
冒険者ギルドと言えば、アニメやゲームでお馴染みのクエストをこなして報酬を得る組織。
獣人やエルフ、ギルド……。
まるでゲームの世界に転移した気分であるとクシードは感じた。
「そこへ行って、護衛の依頼を立てるわけやな」
ミルフィはコクリと頷く。
「なら屈強で強そうな男がええよな?」
ミルフィは首を横に振ると、文字を書いた。
「お……、ん……」
女子限定、だそうだ。
「ん? でもミルフィ、オレ、男なんやけど」
「えぇ……?」
「よう間違われるけど、ホンマに男やで」
眉をひそめながら、つま先からてっぺんまで見て、“どう見ても背の高い男勝りの女子やん”、と言いたげな眼差しを送るミルフィ。
いつもならば身分証を提示して男であることを証明しているが、それでも信じられない場合、クシードはカラダの一部を使って説明している。
身分証を消失しているため、もれなくミルフィにも同じ説明をしなければならない。
クシードはベンチからスッと立ち上がり、ミルフィの正面に立った。
彼女の可愛らしくピンクのネイルが施されている右手を優しく手に取ると自身の股間まで誘導し、男のカラダを象徴する部分は一体どのような形状なのか、優しく丁寧に握らせた。
「ほらぁ〜、オトコノコやろぉ〜?」
クシードのカラダノイチブに触れ、新たな知識を得たミルフィの呼吸は、どんどん荒くなっていく。
もはや過呼吸と呼べるレベルまで――。
やがてミルフィの目は白目を向き、口と鼻から体液が流れ出すと、ベンチにもたれるように倒れてしまった。
「ミルフィ? どうしたんや? ミルフィッ! ミルフィィィーーーーッ!!!」