004.依頼
空色の長い髪の女の正体は、操り人形型のモンスターではなく人間。正確には猫の獣人ではあるが、人であることに違いない。
クシードは女の姿を見失うも、地面に残っていた足跡を追っていると、簡素な道に出た。
赤土の路盤には右へ移動した靴跡が残っている。
車が通れる道幅にも関わらず、轍が無いあたり近くに町があるかもしれないと、クシードは考えた。
道を辿り、しばらく歩く。
林道を抜けると、見通しの良い緑の草原が広がった。
道は丘を緩やかに登るように続いているが、太陽は西へ沈みかけている。
クシードは焦りを感じ、自然と急ぎ足になっていた。
そんな矢先、彼の目に驚きの光景が広がる。
広大な緑の平原に突如現れた城塞都市。
まるで映画の世界だ――。
街からは四方八方へ道が伸びており、多くの人が行き交っていた。
クシードは歩みを進める。
周囲を囲むレンガ造りの高くそびえる城壁は、堅実剛健。
行き交う人々の人種は様々だった。
見た目はクシードと同じ人間。
なぜか髭を生やした子供もいた。
他に、あの女と同じように頭には動物の耳を生やし、腰には尻尾をぶら下げた獣人。
牛や羊の角を生やした人種や、長耳でお馴染みのエルフまで。
身の丈ほどの大剣を背負ったり、大きな荷物を軽々しく持っいる人たちがいた――。
コスプレでは無い多種多様な人種から、クシードは確信する。
異世界に来たと。
初めて見る光景に彼は驚いていると、猫耳を生やした青い髪の女が、外門付近では佇んでいる所を見つけた。
クシードは女の元へ駆け寄りながら、
「こんにちは! さっきは怪我を治し――」
と、言うも、女は会話を遮ってスケッチブックを見せてきた。
「……どうゆうこと?」
スケッチブックには、知らない記号が羅列されている。
文章……だろうか。
クシードの言葉に女は驚いたリアクションを見せると、スケッチブックを裏返し、書かれた内容をまじまじと見つめた。
筆談をするあたり、聴力や言語能力に障害があるのだろうかとクシードは思うが、問いかけに応じるあたり聴覚に障害は無いかもしれない。
むしろ言葉が通じている。
ならば言語機能かと思うが、魔法を詠唱して発動させていた。
なぜ、スケッチブックを使った筆談を行うのか、その意図は理解できない……。
疑問に思っているクシードに対して、女は何かに納得したのか小刻みに首を縦に振ると、スケッチブックのページをめくりペンを走らせる。
スーハーと呼吸を整えると、書き上げた文章を読み上げた――。
「オケけけケケレケレケレガ、ガァーああああ……」
「……え?」
「オケ、オケ、オケ、オ、オ、オオオケケケ……」
「……」
操り人形の亜種かもしれない。
クシードは銃のグリップにそっと手をかけた。
女の目はバキバキに血走り呼吸は荒くなっている。
しかし、何かを伝えようと必死だ。
「ごめん、もう1回。ゆっくり言ってもらえます?」
と、クシードは聞き返しても帰ってきた返事は同じ。
何度何度も聞き返すことにより、ようやく内容が理解できた――。
「お怪我はもう大丈夫ですか?」
これが女が伝えたかった内容だ。
クシードの問いに対し、女は目に涙を浮かべながらヘッドバンキングで頷く。
周囲の人達は足を止めて振り返ったり、奇異な目を向ける、距離をとるなどの行動があった。
やはり異常な行動なのだろう。
「……み、見ての通り、もう万全ですよ。この通りピンピンしてます」
身を引き気味にしてクシードが答えると、女は虚な目で鼻息を荒くしながら、ぎこちなく口角を上げ、チラリと肉食獣の牙を見せる。
笑顔のつもりかもしれないが、普通に怖い。
「ヨヨヨ、ヨカよカヨカヨか……」
「あー、あー、大丈夫です。大丈夫ですよー」
普通に怖いが、治療してもらえたことに対してお礼を言わなければ……。
「あーでも、そのぉ、怪我を治して頂き、ありがとうございました……」
女の顔は急に無表情になった。
気まずいな……。
何か……、何か言わなければ……。
「どうです? この後、一緒に食事でも……」
“あぁ、しまった”とクシード気づくが、既に時遅し。
“とりあえず誘う”と言う彼の癖が災いとなり、逃げるつもりが逆に自分追い詰めてしまった。
「……」
女の顔は無表情のまま。
“やった、断ってもらえる”とクシードは期待するも、彼の思いに反して、女は恥ずかしそうに頷いた。
「……ごめん。よう考えたらお金持ってへんし、店も知らんのでしたわー。また今度にしましょー」
誘いを無かったことにしようも、女は首を横に振り、鞄から財布を出す。
なんで行く気満々なのだろう……。
逃げようとしても、ここは見知らぬ世界。
“この場は大人しく、素直に従え”という言葉が幻聴のように聞こえ、クシードは奇妙な女と一緒に食事をすることにした――。
◆◆◆
女の案内により店へ向かう道中、お互いに自己紹介を行った。
だが、自己紹介の方法もあの調子。
クシードは理解するのに、何度も聞き直していた。
「ミルフィ・アートヴィーレさん」
これが女の名前である。
他に会話らしい会話は無く、クシードは異世界の街並みを眺めながら女の隣を歩いた。
ドイツのローテンブルクで見られるメルヘンチックなデザインと、どこかノスタルジックな建物が並ぶ。
どれもビビットカラーで塗られ、色彩豊かだ。
石畳で舗装された道路に視線を向ければ、ライトを点灯しながら、馬では無く黄色やキャメル色のダチョウのような鳥が貨車を引き、車道を行き交っている。
歩行者は多い。
とても賑やかな街だ――。
歩道の脇に、何かの料理のデザインが描かれた看板の店先で、女は急に立ち止まった。
数回深呼吸すると店内へ向かい、入口で待機していたボーイに案内されて2人は席へ。
席につき、クシードは周囲を見渡す。
店内は賑わってはいるが喧騒さは無く、身なりの整った客が多い。
白色の塗り壁がオレンジ色のペンダントライトの光を反射し淡い雰囲気を醸し出し、ダークブラウンの木製の床と掛け合わさって上品さに溢れていた。
「……随分と高級感のある店ですね」
クシードは思わず女に問いかけるが、大丈夫なのだろうか。
「コココ、コロコノノ……」
「アートヴィーレさん! 落ち着いて! 文章書いて、一文字ずつゆっくりと話して下さい!」
人との会話は困難なのに、どうしてそこまで食事がしたいのか。
女が文章を書いている最中に、ボーイがメニュー表を差し出す。
だが、やはりクシードの知らない文字が並んでいるため、注文は女が指を差し“シェフのきまぐれコース”で即決した。
「こ、の、み、せ、は……」
注文が終わったと同時に、女はいきなり喋り出した。
「えーと……、この店、ですか?」
女はコクリと頷くと、続きを話す。
“――この店は、執事と一緒によく来てた店です。先月、いなくなってしまったので久しぶりに来ます”
いきなり重い会話内容である。
執事が去ってしまう気持ちも何となくわかるが、執事がいるとは、どこかの令嬢なのだろうか。
「思い出の店なんですね」
クシードが尋ねると、女は小さく頷いた。
「そ、れ、よ、り……」
「ん?」
言葉の続きがあるのか、女は“オヤミミリの群れを斃すなんてすごいです”とクシードに話した。
あの巨大カマキリはオヤミミリと言う名前らしい。
存在に気付いた女は声を上げて、クシードに知らせていたそうだ。
ぎこちなくも必死に喋る女の姿に、クシードも必死に耳を傾けていると、ボーイが1品目の料理、ベーコンとほうれん草のキッシュを運んできた。
異世界なのにまさかの食べ物と名前が共通……。
期待していたものとは違い、クシードは少し落胆しつつも女との会話を続けた。
「……そういや、アートヴィーレさんの生まれはこの辺なんですか?」
「……わ、た、し、の、出、身、は――」
女の出身地は、“オウレ”と言う西側にある都市らしい。
そして質問をすると、されるもの。
異世界人である以上、質問されるのは困る。
「ボク、あんまり地理に詳しくないんで、絵に描いて説明ってできます?」
情報収集も兼ねて、クシードはすかさず質問することにした。
女の描いた簡単な地図から、現在いる町は“ルシュガル”と分かり、オウレからかなり離れている。
「なんでまたこんな遠方に?」
2品目のスープ料理、ラタトューユを食べながらクシードは聞いた。
だが、数口スープを飲んだところで彼は耳を疑う。
「……魔神?」
女が言うには、オウレの近郊にある小さな集落が、突如現れた“魔神”により次々と占領され、瞬く間に勢力を拡大していったそうだ。
結果、オウレ近郊は危険区域となり、執事と共に半年ほど前から東側にあるルシュガルへと疎開しにやってきたとのこと。
メインディッシュの魚料理が運ばれるも、クシードのラタトューユの具材は残ったままだった。
「そ……、そういえば、執事はどうしたのですか?」
冷静に考えれば、このような性格の女だ。
保護者的な立場でいるはずなのに、なぜ去ったのだろうか。
クシードの質問に、険しい顔つきで女は首を横に振った。
「なくなった……のですか?」
女は半分涙目になりながら、強く首を横に振った。
てっきり逃げたのかと思いきや、先月、異形のナニカとの戦いの果て、戻らなくなったのだと言う。
さらに――。
「ぱ、ぱぱぱとと……その……、えっと……」
なんと、オウレに残る両親と手紙でやり取りをしていたが、2ヶ月程前から連絡が途絶えているそうだ。
あまりにも唐突すぎて、クシードの食事の手は進まず、いつしかメインディッシュは冷めてしまった。
「……ご両親と執事、無事やといいですね」
現在かけられる精一杯の言葉である。
「あ……、あの……」
「はい?」
彼女は何か大事なことを伝えたいのか、口ごもっている。
そして意を決したのか、スケッチブックを広げた。
「ご、ご、ごえぇ、ごえぇを……」
“――実家へ帰るために、護衛をお願いできますか?”
彼女がどうしても食事をしたかった理由がこれである。
オウレに残る両親と、長年連れ添った執事の安否が心配だが、人との会話が苦手なため、通訳も兼ねた護衛を探していたところ、偶然にもクシードに出会ったのである。
一見、変な女だが、話を聞けば両親や執事を思う心優しき女性。
この悲劇のヒロインから受けた“人助け”の依頼。
人間に危害を加えるモンスターを駆除して生計を立ててきたクシードからすれば、このような依頼の答えは、すでに決まっている。
彼の答え、それは――。
「お断りします」