037.勇者
まるで御伽の話が終わりを迎えたかの如く、長過ぎるとも感じていた時。
黒鉄の巨人魔神の幹部“フィーマヘング”は絶望に畏怖する存在であった。
ハウクロニカと呼ばれる使い魔を使役し、ラツキックの人々の生活を、そして命を奪い、圧倒的な破壊力と精巧精密な投擲能力、堅牢な防御力を持っていた破壊神。
そんな破壊神が、繊維業が盛んなラツキックで作られた、撥水加工された布地を敷いたトラップに引っかかり豪快に横たわる姿は、なんて無様なのだろうか。
「ハハ――」
あまりにも呆気なく、滑稽な状況にクシードは思わず笑った。だが、そのような場合では無いと彼はすぐに理解する。
「アマレティーーッ!!」
全てはお前にかかっている、とクシードは渾身の叫びを上げた。
アマレティは右手を上げて返事をすると、魔法の詠唱を始める。
【数多なる苦境を突破すべくぅ、此の光の槍はぁ、未来へと貫くぅ。さぁ雷鳴よぉ、我らのぉ、正義を皆に轟かせぇ――ッ!】
――彼女の魔法の詠唱中に、クシードがしなければならないこと。
例えアマレティが三段階まで魔法を強化したとしても、弱点である首裏のランプがシールドで遮られるよりも早く直撃させなければ、フィーマヘングは斃せない。
いくら“直進する投擲槍”は速さのある魔法とは言え、チャンスは1度きり。
絶対に失敗はできない。
用意周到に、且つ、確実に巨人を破壊するため、再びレールの溝にスラグ弾を撃ち込む――。
クシードは底碪式散弾銃“ハーヴィスロート”を構えた。
フィーマヘングも転倒しているが、過電流により回路へ異常をきたした前回とは違い、今回は派手に転倒しただけ。
一度ショートしたダメージが残っているのか、巨体を起き上がらせる速度はどことなく鈍い。
今のうちに狙撃を。
距離は、たかが10メートル程。
前回同様、精密さを要求される。
一度は出来たんだ。
次回も出来る――。
早鐘に胸を打たれながら、クシードはトリガーを引いた。
「チッ……」
銃弾はシールドの外枠に当たった。
即座に次弾を装填。
もう一度狙う。
だが、狙いが定まらない。
このまま“直進する投擲槍”を発動させて良いのだろうか。
もし、シールドに防がれたら……。
駄目だ。
ネガティブなイメージは抱くな。
とにかく、撃て――。
「チクショウ……」
なぜだ。
なぜ、思い通りにはいかない。
銃口は最後まで冷静さを取り戻すことはなく、焦りを見せ続けた――。
【――氷系魔法・属性を宿し挑む者】
弾切れとなり焦燥に駆られるクシード。
彼の元へ、氷を全身に纏ったエレクツォが現れた。
「シールドが降りて来なければいいんだな? クシーレさん!」
――この男、捨て身でフィーマヘングのシールドの展開を遅らせる気だろうか。
「やめ――」
「お、俺は勇者になるんだッ!」
“勇者……?”
この戦場へと渡る船の中でも、唐突に同じような言葉を言っていたことをクシードは思い出す。
彼の前に出たエレクツォの勇敢な姿を目に留めるが、“勇者になる”という言葉とは対照的に、氷を纏った手は震えていた。
接近戦が苦手なエレクツォが、弱っているとはいえ圧倒的な存在の巨人に挑むなど、並大抵の覚悟ではない。
自らを鼓舞して、突き進むしかないのだろう。
意を決したエレクツォは、自身の胸を叩き、“防衛も可能とする砲弾”も発動させると、1つだけ現れた氷の盾と共に横たわっているフィーマヘングの首元へと急いだ――。
首元に辿り着いたエレクツォはその場で跨り、氷を纏った両手でシールドの昇降口を掴んだ。
「アマレティさんッ!!」
エレクツォは恐怖を押し殺す声で叫び、雷魔法の発動を促す。
フィーマヘングも黙ってはいない。
彼を叩き潰すため右腕を動かした。
「うおおおぉぉぉぉぉーーーッ!!」
“グォォン”と金属同士がぶつかる音とはまた違う、鈍い衝撃音――。
だが、エレクツォの決死の雄叫びは続いている。
「勇者になるんだぁぁぁぁぁーーーーッ!!」
フィーマヘングの掌が去ると、氷の盾は消えていた。
エレクツォは身を屈め、氷を纏う魔法をさらに強化し、正気を保つための言葉を叫ぶ。
【クシードぉ……】
アマレティはクシードの傍へ駆け寄り、不安な声で彼の名前を呼ぶ。
【あのひとぉ、死んじゃうよぉ……】
雷魔法の発動準備は整っているのだろう。
両手を構えてはいるが、震えている。
そのまま発動させればシールドが降りる前にランプに直撃させてフィーマヘングを斃せたとしても、狙う場所は小さいため、エレクツォも巻き込んでしまう。
つまり、人を殺める行為。
町中で攻撃魔法の発動は法律違反だと、ルールに従順な彼女が、人を殺すことなどできるはずがない。
エレクツォの覚悟が仇となり、アマレティの魔法発動を妨害していた。
「アマレティさんッ! 撃ってくれぇぇぇーッ!」
エレクツォの覚悟は自己犠牲だ。
その自己犠牲を超えて殺人へ至ることに、アマレティは躊躇してしまっている。
もうまもなく巨人が起き上がってしまう。
そうなると、せっかくのチャンスは水の泡。
「アマレティ……」
【やぁだ……】
魔法発動と共に、物語は終わる。
勇者を眠りにつかせたとして、穏やかな日常は送れるだろうか。
時の流れは無情……、フィーマヘングは身体をゆっくりと起こし始めていた。
あと一歩なのに……。
余計なことをしやがって、とクシードは自身の魔法により氷漬けになっているエレクツォを睨んだ。
しかし、一つの疑問が彼の脳裏をよぎる。
高度な魔法を習得するような人間が、闇雲に敵へと突っ込むだろうか。
アマレティのように天賦の才を持った者もいるが、どちらかと言えばエレクツォは努力型。
2段階まで強化した魔法を使っていることに驚いていたのに、それを超えた3段階強化魔法が放たれると知っているにも関わらず、氷を全身に纏い捨て身の行動をとる……。
このような行動の意味……。
「――ッ!」
クシードはエレクツォの意図に気づいた――。
氷は絶縁体。
全身氷漬けになっているのは、アマレティの電撃から身を守るためだ。
一見捨て身の行動ではあるが、生きて帰ることを想定している。
「撃つでッ! アマレティッ!」
彼女は首を横に振って否定するも、クシードに抱きかかえられてしまい、今にも立ち上がろとしているフィーマヘングへと急いだ。
【いやだぁ……】
「氷は電気を通さへんッ!」
【意味わかんないよぉ……】
「エレクツォは大丈夫やッ!」
鬼気迫るクシードの表情。
言葉で理由を伝えている時間はない。
納得できないままアマレティの顔はくしゃくしゃになり、今にも泣きそうだ。
「オレを信じろッ!」
【……わかったぁ……】
アマレティは目を閉じ、鼻を何度もすする。
魔力を集中させ、艶やかな黒髪がなびいた。
全てを終わらせる。
これは誰しも同じ途を選ぶだろう。
限界を超えたのか、彼女の唇からは血が滴り、いつのまにか赤い涙が頬を伝っていた。
対するフィーマヘングは、黒鉄の身体全体に降り注ぐ朝日を反射させている。
その眩い姿は、もう見飽きた。
クシードは先回りし、建物の屋上で待ち構えている。
泣きじゃくるアマレティを抱え、彼女の手を優しく握り、指先を伸ばして。
その先に見えるのは赤いランプ――。
「今やッ! 撃てぇぇーーーッ!」
アマレティは深く息を吸い、唇を震わせる。
【三段階強化型・雷系魔法・直進する投擲槍】
紫の魔法陣が顕現すると共に、周囲の喧騒は奪い去られた。
静寂となった空間。
一閃の光が走る。
その光は、ゲイボルグの槍とも呼べるくらい神々しい。
耳をつんざく神聖なる轟音。
神判の槍は、フィーマヘングの首と青空を繋げた。
その後のことは分からない。
アマレティの身体から力は無くなり、彼女を支えていたクシードもまた、雷の槍が放たれた瞬間、全身に激痛が走り、歪んだ視界を暗転させながら空を見上げていた。




