003.不審な女
景色が一瞬にして都市部から草原に変わり困惑していたところ、カマキリ型モンスターの襲撃に遭ったクシードとミオ。
負傷しながらも新型モンスターの群れを退けた――。
「駆除完了したで、ミオ」
「……」
「ミオ?」
いつもは3Dホログラフィーで出力され、クシードの右肩に乗っている彼女の姿がどこにも見当たらない。腕時計型PCのディスプレイを確認すると、“充電してください”と表示されていた。
途中から声が聞こえなくなったと思えば、自ら節電モードを起動し、戦闘が終わるまで支援してくれたのだろう。
最後の最後までアシストしてくれるとは……。
普段は口うるさいが、ここぞと言うときは頼りなるとても優秀なAIだった。
感情に浸りたいが、充電さえすればまた会える。
それよりも、ここはGPSも通信回線電波も届かないエリアという事をクシードは思い出した。
日が暮れる前に移動をしなければ。
一体どこへ進もう――。
と、クシードは少し考えるが、あの女が逃げていった方向が妥当だろう、すぐに答えが出た。
相手はただのコスプレイヤー……、ではなく本物の獣人。
言葉が通じるか分からない。
だが、負傷した右腕と右脇腹部からは抉られるような痛みが走り、熱を持ち始めている。
いずれにしろ、早急に接触して治療が必要だ。
クシードは2丁拳銃“ウォード&グローサ”を両腿のホルスターに収め、呼吸を整えると、正体不明の女の後を追った――。
◆◆◆
短い草花が広がる草原と、無造作に点在する樹木。流れる暖かいそよ風は、クシードの銀髪をなびかせる。
春の陽気もうららかな風景に目を奪われてしまうが、ここは見知らぬ場所。
まるで異世界へ転移した気分である。
景色が一転してからアニメや漫画のような出来事に遭遇し、“なぜ? どうして?”っと、答えを求めてしまうようにクシードは考える。
ミオが好んで見ていたアニメなどを思い出せば、どの作品も潔く、“異世界へ来た”と受け入れていた。
それらはストーリーの都合上、そうかもしれない。
ただ何となくミオと一緒に見ていたが、現況はあれこれ考えるより、その方が正しく、気が楽なのかもれしないとクシードは思った――。
込み上げてくる痛みに耐えながら、獣人の女が逃げていった方向へ、進むクシード。
その道が正解かどうかは、分からない。
いつしか周りの景色は変わり、樹木が目立つようになっていた。
「!」
樹々が乱立する中、1本の木の影で頭を抱えてしゃがんでいるスカイブルーの物体――。
先ほど奇声を上げて逃げていった獣人で間違いないが、あれで隠れているつもりなのだろうか。緑と茶色のコントラストの中で空色は逆に目立っている。
クシードは銃のグリップに左手を添えながら、女に近づく。痛みに耐えつつも全神経を張り詰め、次の動きに備えていた。
「……あ、あの……」
彼の声に、尻尾をピクリと動かして反応した女は、屈んでいた状態からゆっくりと立ち上がり、ゆっくりとクシードの方へと振り向いた。
「先ほどは、その……」
そもそも国が違えば言語も違う。
言葉が通じるか分からないが、相手も本当に人間ならば何かしらコミュニケーションは図れるハズだ。
「えっと……、驚かせてすいません」
クシードが謝罪すると、女はなぜか両腕を伸ばした。
「――ガ――――ガ――ガ――……」
「ん?」
女は奇声を発しながら両腕を伸ばし、虚な目で、一歩ずつ大地を踏みしめるように、ゆらりと歩き出す。
失敗作の操り人形だろうか……。
いや、仮に失敗作だとしても、こんな場所で一体何をしている。
疑惑は払拭されない。
だが、確かなのは襲撃される。
クシードは銃を抜き、アイアンサイト越しに女を睨んだ。
「――ガ――ェガ――エガエガケガ……」
女は怯み、その場で膝をつくと不安定で奇妙な鳴き声で呟く。
目には涙を溢れ始めると、やがて大地を濡らした。
奇声は別として、涙は悲しみを伝える行動……。
何かおかしい。
「――ゔッ」
疑心の思いが晴れない中、負傷部から刺すような鋭い痛みが走った。傷は深くないと思いたいが、時折襲ってくる痛みは耐え難いものだ……。
「ゲェェェガァァァーッ!!」
顔を歪め、肩で息をしているクシードを見て女は叫ぶも、クシードは銃口を構えたまま警戒を緩めない。
「……オレの、怪我が……、そんなに心配なんか?」
皮肉混じりの挑発。
言葉が通じない相手だと思っていたが、女は首を縦に振った。
数回首を振った後、その振れ幅は次第に大きくなっていく。
頷くというより、これはもはやヘッドバンキング……。
頭を激しく動かしたことで目を回したのか、女の息は荒く、今でも倒れそうになっていた。
一体、何がしたいのだろう。
張り詰めた空気の中で見せる緊張と緩和。
「……ぐッ……」
クシードは緊張状態を維持しているつもりだが、傷口を無理矢理開くような鋭い痛みが走り、思わず銃口を背けてしまった。
「……ガケガケガケガケガケガケガケガケガケガ……」
女は四つん這いのまま、クシードに接近する。
――油断した……。
気味の悪い害虫のように手足を素早く動かして近づいてくるも、女の目線はクシードの負傷部に向いている。
本当に怪我を心配している様子だ……。
接近を許し、クシードの傷を眺めた女は、背中に担いでいたランドセルからスケッチブックを取り出し、慌てふためきながらページをめくり始めた。
何をするつもりだ。
「カカカろのノ、ククツーウうカイ、ホー……、チュ、チユ、チユ、のヒーカリー、フ、フフフフ、フカフカ、フカフカ……」
目を剥いて吃らせた言葉をいきなり放つ……。
本当に何をするつもりなんだ。
「ツツツッェーる、キュ、あッルッ!!」
裏声混じりに女が叫ぶと、右手から幾何学模様のような魔法陣が現れ、クシードの傷は光に覆われた。
その光に包まれると、ひんやりとして気持ちいい。
傷口から熱も、痛みも引いていく。
衣類の切断部はそのままだが、身体の傷口の痕跡がわからないほど跡形もなく、綺麗に治っていた。
原理は分からないが、これはまるで――
「魔法……?」
クシードが呟くと、女は再びヘッドバンキングを始めた。
「ストップ、ストーーーーーップッ!!」
中止を求めるクシードの言葉に反応し、女はヘッドバンキングを止める。
ところが女の顔は青ざめていった。
口を両手で抑えると、表情は次第に苦悶な顔へと変貌して行く。
四つん這い状態からゆっくりと、慎重に立ち上がると近くの茂みへ全長疾走――。
突如、穏やかな森林の中にヴィクトリアの滝が現れた。
大雨が降った後なのか、色は淀んでいる。
しかし、勢い良く流れ落ちる、アフリカが世界に誇る圧倒的な大瀑布の水量は、小鳥たちのオーケストラを背景に濁音の旋律を奏でていた。
濁音の演奏が終演を迎えると、女は背中のランドセルから水筒を取り出し、ガラガラとうがいを始める。
――あれはどう見ても人間の行動だ。
「だっ、大丈夫……ですか?」
美女が奏でた生演奏。
ハァハァと息切れしている姿から、演奏の激しさが感じられた。
「…………ァカン」
余韻に感極まっていたのか、クシードの耳に聞こえてきた涙声。
女は水筒をランドセルに仕舞うと、早急に走り去っていった。
酸性濃度の高い刺激臭とモザイクの滝壺を残して――。