第40話 詐略
(うへー……怖っ)
佇立するその姿を見てキリエは恐怖を自覚する。
恐怖……いや、この場合はプレッシャーか。
格上と事を構えるのはキリエにとって初じゃ無いが、ここまでの相手は流石に初。
で、この場で取る戦術を思えば、敵が動く前に早々に始める必要があった。
何を始めるのか?
強いて言うなら不意打ち。
ありとあらゆる存在が、その意思と思考に基づくなら、その外には必ず隙が生まれる。
そこを突くのだ。
と、そんな心持ちで策を反芻する中、彼女は右腕を触手へ変貌と同時、花が蕾から開くように触手を瞬く間に展開。
その一連の動作には秒すら生ぬるく、およそ0.1に満つるか満たぬかの時しか要さない。
で、問題の勝ち筋だが、キリエ自身それなりに体を張る必要があった。
◆◆◆◆
彼我の距離は10mそこそこ、キリエはこの直線上の裏路地の1番奥、行き止まりの壁を背にして聖騎士と向き合う。
つまり、自ら逃げ道を塞ぐ位置だ。
そして、互いに機を伺ったのは一瞬、視線の先の白マントは低く姿勢を落とした。
クラウチングスタートと呼ぶべきか。
両手の指を地に付き前屈みの姿勢。短距離走で使うアレだ。それをあろうことか戦闘に取り入れていた。
その意図。
——真っ向から詰めに来る
だが、合理的だ。
裏路地の地形上、横幅が狭く下手に回避に回れば機動のスペースがほぼ無い。
だから攻撃が入る前に距離を詰めるのは合理的。
聖騎士の自己回復法術を目算に入れ、多少の被害は受ける覚悟だろう。
ただ、その考えは殊この状況に限ればナメてるとしか言えない。
キリエの触手の性能を。
そしてどちらとも無くほぼ同時に動き、瞬間、キリエの右肩で藻掻くようにうねる触手のうち2本が閃いた。
——速いっ……
その速度たるや視覚で捉えられぬほど。そも触手とは筋肉の塊。筋肉とはパワーであり、スピードであり、瞬発力だ。
加えてそれを鞭のように振り回せば人体など秒で細切れになる上、彼女独自の施法で操作精度を格段に高めたそれは雑に強い。
相対した瞬間、生半可な敵はバラされる。
加えて射程距離は20メートルで、この裏路地に入り込んだ者へ余裕で届く。
(どうだ)
だがその神速の攻撃が、躱された。
目で捉えることすらおこがましい上下から挟むように飛来する2本の触手が。
敵は2歩進んだ位置で迫る触手を察知し急速にブレーキと同時、触手の先端を最低限の動きで身を逸らし回避。
空を切ると同時に軌道を変え、触手はその身を切り刻みに掛かるが、わずかな隙間をすり抜けるように白マントは躱す。
(うひゃー)
神技と呼ぶ他ない。
一直線に距離を詰めるその目論見は打破したものの、躱すと同時、一歩ずつジリジリと白マントは前へ前へと歩を進める。
わずかに指や表皮を切り裂くことはあっても、そのどれもが決定的に体を傷つけない。
恐らく、その気になればカスりすらしないのだろうが、聖騎士の体へ致命傷たり得ない攻撃は無視しているように見える。
加えて見る間に飛んだ指の1,2本や皮膚は元どおり再生、その様は傍目に洒脱なダンスを踊っているように見え、一切の疲労や危機感を見る者に与えぬ、洗練を保つ。
こうなるとむしろ不利はキリエの方で、この触手を動かすため必要な体力が枯渇するまでそう時間はかからない。
だからこそ、早々に勝負を決めるため第2の攻撃を始めた。
彼女の触手は4本。
つまり、まだ2本残っている。
◆◆◆◆
(まだ何か来るな)
身を切り刻みにかかる触手を躱しつつ、敵を見る。
この手の攻撃を避けるのは、さほど難しくない。そもそもこの程度、慣れれば瞬発力で対応できるし、後は肉体が動くかどうかの問題で、だからこそ、自分と同じ身体があればこんな芸当誰でもできる。
と、この聖騎士は本気で思っている。
もちろんそのはずはない。
多くの人間が同じ身体能力を手に入れたとして、間違いなく持て余す。
しかし、そこに考え付かないあたり、生まれながらの天才性を窺わせた。
(それに動き結構、雑)
そうも思う。
だが、それもそのはずで、正面切ってたった今聖騎士が相手取るキリエは本職が魔術師だ。なればこそ触手を活用した戦闘は手慰みと趣味の代物であり、性能に物を言わせた攻撃の熟達は低い。
だが、普通はこれで十分だ。
普通は。
相手が普通じゃなかっただけで。
と、一歩一歩、歩を進める傍ら、そんな思考を浮かべる余裕すら見せる中、次なる攻撃は直前まで迫っていた。
第2の攻撃。
それは裏路地全体をミチミチに埋め尽くす体積と質量で潰すこと。
人は質量で押しつぶされれば死ぬという単純な理屈をこの場で実現する。
——では、その体積と質量をどうやって用意するか
もちろん、キリエの残り2本の触手だ。
キリエの触手は伸縮から膨張収縮まで自在であり、つまり2本の触手で裏路地目一杯を押し潰す体積と質量を用意する。
それを振り上げてから叩きつける。
と、単純ながら効果てきめんの策。
攻撃を躱し続ける中、天高く振り上げた2本の触手が徐々に膨張していく様を見て聖騎士は、
(……マジ?)
と、流石に焦りが芽生えたが、こうなっては後に退くことは許されない。 背を向け逃げる事も考えたが、それを許すほど今受けてる攻撃は甘くない。
そこで
(……なるほど)
納得させられた。
この状況に敵の策で誘い込まれたのだと。
恐らく2本の触手による高速の斬撃は自分をこの場に留め、近付けさせず、かと言って逃がさない為の布石だ。決して仕留めるつもりじゃなかった。
この洞察は正しい。
触手の斬撃で8割型死ぬとキリエが目論んでいた点を除けば。
そして、2本の触手の膨張が終わるまでに数秒、膨張し終えた触手が標的をただ押しつぶすため裏路地へ倒れてくるまで数秒もかからなかった。
◆◆◆◆
——やったか?
という言葉がいわゆる生存フラグという事実をキリエはよく知っている。
やや古臭い知識だが。
だから、そんな言葉は口に出さず、ただ黙って舞い上がる土煙が晴れるのを待つ。
大質量を地面へ叩きつけた衝撃と音は凄まじく、未だキリエの耳を聾していた。
隣の家屋へヒビなど入ってないだろうかと若干心配になったが、今のところ崩れる様子はない。
そして土煙が徐々に晴れ……
(……だよなぁ)
振り下ろされた極太のふた振りの触手がその中間だけ上へ盛り上がっていた。
正確には持ち上げられていた。
そしてわずかに感じる素手で上へと押し上げられた圧迫感。
だが、ここで膨張させた触手を元の形状へ収縮させるのは悪手だ。
その隙に距離を詰められる。
だからこのまま押しつぶっ
(いっ!)
2本の触手の隙間を無理やりこじ開けられた。
(何キロあると思ってんだ!)
測ったことは無いがかなりの物。
続きこじ開けられた隙間から飛び出したのは全身を血と砂埃で染める影。
白マントの輩だ。
もはや汚れきって一層化け物じみた化け物は横たわる触手の上へ滑りに一切足を取られる事なく、瞬で駆け抜けた。
そして、この状況ではキリエに回避の余地は無い。己の触手の重さで身動きが取れないからだ。
急速に姿勢を低くしたその化け物は右手の指先を合わせ剣先のようにするとまさしくその通りの鋭さとすくい上げる動作でキリエの胸を貫いた。
それは小さな体の肋骨を容易く砕き、心臓を——
◆◆◆◆
(心臓が無い?)
突如訪れた予想外の展開。
勢い余って背骨をぶち折り、こちらの腕の付け根まで突き刺さったその小さな体へ違和感を覚える。
だが、ピクリとも動かない。
(ほんとに死んだのか?)
それが問題だった。
だが、答えは自ずと出た。なぜならその逡巡の間にガバリと首を起こしたそいつが口から何か細長いものを吹き出したからだ。
(含み針っ!)
含み針とは口から長い針を吹き出し敵の不意を突く技。
そして、それを正確に把握できた事も本来なら無理な話。
だが気づいた。
だからすんでのところで正確に眼球を狙いすました針をかわす。
だが、キリエが欲しかったのはその回避という動作そのもの。それに伴う一瞬の隙。
——突如
(ぐっ!)
キリエから膨大な魔力が迸り聖騎士は怯む。
景色が圧で歪むほど叩きつける勢いとその量。
何か魔術を仕掛けてくる。
それは明らか。
だが、聖騎士の耐性を個人で行使可能な魔術が貫通できると思えない。
(悪足掻き……)
いや、違うと勘が囁き、即刻腕にぶら下がるその身体の首を刎ねようと左腕を振り上げた瞬間、何が起きたか感知する間もなくその右肩はすり潰された。
(え、)
◆◆◆◆
「古巣に居た時たまにやってて、ぶっちゃけその手で仕損じた事は1度も無いやつ……」
キリエがクサカベとの相談の中、そう発言した瞬間まで時を戻そう。
白マントの聖騎士に追いつかれる前の話だ。
「1回も?」
「1回も……まぁ、詳しいやり方話してる暇無いんだけどぉ。ちょっと任せてくれよ。大船に乗った気持ちで」
「……分かった」
「で、クサカベにも協力して欲しんだけど、クサカベ、魔力の感知精度いかほど?」
「4メートル以内なら正確……」
「そいつは重畳」
クサカベは釈然としない顔をした。
「それはどういう……」
「いや、いざって時のトドメを任せようと思ってね」
この企みを明かすと、クサカベは戦闘が行われたこの裏路地の右手側の建物に始終隠れ、機を伺っていた。
ほんの少しの魔力も、音も殺気も気配すら発さず、ただひっそりと。
そして、彼女が請け負ったのはとどめ役。
その仕事はキリエの言葉を借りればこうだ。
「魔力が不自然に濃く立ち上ったらそこ目掛けて撃って」
壁の中からの狙撃に拘ったのは発射地点を敵に覚らせないため。
至近距離での射撃に拘ったのは対応の隙を与えないため。
そして、使い魔による観測ではなく、キリエ自ら敵に密着しマーキングを果たしたのはこの作戦を気づかせないためだ。
聖騎士の真横から壁を挟み超至近距離で撃つ事で、ようやく直撃するとキリエは目論んだ。
だが、
「それだとキリエに当たるんじゃ?」
この懸念をクサカベは述べた。
「その辺は勘でよろしく。それに、これは最後の手だし、そうならないよう頑張るわ」
◆◆◆◆
——時を今に戻す。
「おっおぉぉっ……」
この戦闘が始まって以来、この聖騎士が始めて堪えたと言わんばかりの反応をした。
その右腕はちぎれ飛び、それに突き刺さっていたキリエの身体も同じく宙を舞う。
そして、クサカベは建物の中から地を揺らすような衝撃やら空を切り裂く音やら色々聞いていたが、キリエがあそこまで追い詰められていたとは流石に予想外だった。
で、聖騎士はちゃんと仕留められたか。
——仕留め切れていなかった。
右肩がすり潰された瞬間、わずかに身をそらし矢の軌道からズレた。
矢はその背中をえぐりつつ突き進んだが絶命まで至らしめてはいない。
肉体の欠損によろけつつもへたり込みすらせず、聖騎士はその2本の足で地を踏みしめる。
「っ!」
クサカベは弓を地に放り腰のサーベルを抜きざま斬りかかった。
この距離では矢を撃つより刀剣で切りかかった方が早い。
その判断。
だが、敵はすんでのところで地を転がり躱す。
その際ほんの少し血を吐き、噎せ、かぶっていたフードがその勢いで捲れ上がり、この時、初めてクサカベはその顔を目撃した。
いかにも体調が悪そうで、それはクサカベが撃った矢にキリエお手製致死毒が塗られていたからだ。
大型の魔物でも効くタイプの。
だが、それでもなお動けるのは聖騎士の自己回復法術が比類なく強力ゆえ。
そして肝心の顔つきだが、女。
華奢で、荒事にはおよそ向いていなさそうな。
その上、ここまで追い詰められてなお闘志に満ちた口元には笑みさえ浮かべている。
先に見た虚ろな目は影も形もなく、こいつは恐らく戦闘を楽しむタイプだと直感的にクサカベは理解した。
たぶん、最初はこちらを退屈な相手と思っていたのだろう。
そして、ちぎれ飛んだ右腕も徐々に根元から回復を始め、既に肘までは再生が終わっている。
毒物の分解も遠い話ではない。
(この人……どうやったら死ぬんだ?)
そう思わずにはいられず、ちょうどその時だった。
急に何もかも冷めたようにスンと表情が顔から消え失せると聖騎士は低く膝を折り屈み、
——何か来るっ!
と、クサカベがサーベルを構えると、それを無視して直上へ飛び上がった。
その高さは人の枠を大幅に超え、この裏路地を挟む建物の屋根の縁を無傷の左腕で掴むとよじ登り、そして、
(逃げた?)
なぜ、と疑問だけをクサカベの心に残していった。




