第28話 幕間2-1:伊井島直樹の原点
子供を無条件に善良と信じる大人を俺は信用しない。
また子供は無邪気と聞くが、こちらはその通りだと思う。
つまり子供は無邪気であって善良では無いと俺は考える。無邪気故の悪行、善悪区別付かない故の残虐非道な行動。そのことごとくが子供の本質だ。
小さい頃特に何も考えず虫や爬虫類を殺した子供は少なく無いと思う。
そう思わなければ俺の幼少期にどう説明をつければ良い?
思うに、人は本能的に生き物を殺す事に興味があるのだ。それを社会へ適応する過程で心の奥底に沈める。
だから代償行為として暴力的な表現をあらゆる創作に求める。
そうあって欲しいという願望が俺の心の内に渦巻いている。
……いや、極端過ぎるか。
1人でこうして考えると思考が極端になる。
だがどの道、16歳の思春期こじらせ中の男の言動だ。そういう極端さや痛々しさは隠せない。
そうやって俺は俺を吐き捨てる。
そして、このように前置きを並べて語るのは昔あった事だ。
俺がかつて経験した事。
俺の原点。
◆◆◆◆
両親の顔はよく覚えていない。
写真ももう2年近く見ていない。
だが、どこにでもいるごく普通の善良な両親だったと思う。
そんな2人が死んだ時、俺は確か6、7歳と記憶している。この時点で俺の頭の中の過去の記憶はあやふやだ。
これは俺が両親へあまり興味を示さなかったのだろうかと自問自答じみて、たまに考える。
だが、両親と過ごした6、7年より、それ以降の両親と暮らしていない年数の方が既に長いので、その程度のものかもしれない。
——だから大丈夫だ。
自分にそう言い聞かせる。
……で、顔も当時のこともあやふやな両親だが、その死に様だけは強烈な光景として網膜に焼き付いていた。
死因はなんて事ない高速道路での玉突き事故。
最近になってふと思い出し、当時の事件をネットの記事で漁ってみたが、トラック運転手の不注意でひきおこされたらしく、十数台が巻き込まれたこともあり当時中々騒ぎになったらしい。
(ちなみにその記事に記された西暦から数えると俺は当時6歳だった。)
あやふやな記憶から思い出すに俺は後部座席に座っていた。
前部座席には両親。
父親が運転席で母親が助手席。
確か俺の隣には物心付いたばかりの妹が収まっていた。
そして追突した瞬間の前触れなしの衝撃、短く、かつ甲高く響いた悲鳴。
それは母のものだ。
そして為すすべなく潰えた父と母の命。
その光景をただ見せられるがまま見て、聞かされるまま聞いていた。
幸い俺は多少の擦り傷を追うに留まり、淡々とそれを眺める余裕があった。
胸部がひしゃげ突き出た骨と内臓の塊と化し、しかし首から上だけは奇跡的に形を保った父と母の死体を。
素晴らしい!なんだこれは⁈
当時の自分の心境を慮るおもんばかるにそう表現する。
いや、これは冗談抜きで。
多分当時はそんなに語彙がなかったのでただ感覚的に感動を覚えていたと思う。
人がいずれ死ぬとは知っていた。
「人は死んだら天国に行くんだよ。」
って極端にぼかされた表現はされていたが。
それがこんなにも……
だからその瞬間に理解できた。
人は死んだら無だ。
死んだらそこまでで、この先何もなければ数十年は生きたであろう人の人生が唐突に押しつぶされた様は脳を揺らす衝撃。
天国も地獄もこの世に無いという事実を生々しく、現実味を帯びて表現した凄惨なるオブジェ。
それを自分も作り出してみたいと、この時初めて思った気がする。
つまり人を殺してみたいと、この時初めて思ったのだ。
いや、正確にそれを思ったのはその有様に目を奪われ、救助されるまでの数時間ばかりボーッと眺めた末、隣で聞こえる妹の泣き声をうるさいと思い始めた辺りか。
はたまた両親の葬式に出て、たまたま横に座っていた叔父、叔母夫婦に人が「死ぬ」とはどういうことか、あの事故の瞬間の感動を確かなものにしたくて、理解したくて必死に尋ねたあの瞬間か、もう覚えていないが、それは瑣末さまつな問題だ。
で、感動を覚え人を殺すという目標を得た所で、それを叶えるのは難しい事を散々思い知らされるはめになるが、それはまた別の話。
少なくともこの出来事のせいでR18のグロめのゲームで人を殺して回る現実逃避じみた行為を求めるようになった。




