オレンジジュース
私の所属する会社に、春宮利太というイケメン御曹司が入ってきた。
彼の事を簡単に説明するなら、あまり認めたくはないけれど完璧超人である。
仕事が出来て、明るく誰にでも優しいというのが私の中での彼の印象だ。
周りの女性社員に、彼の事が好きだという人は少なくない。
正直言って、恋愛とは無縁で仕事ばかりの私には関係の無い話だった。
「白瀬先輩、すみません。 私、今日用事があるので、この資料お願いしてもいいですかー?」
ある日、後輩の女性社員が、手を合わせて、私にそうお願いをしてきた。
彼氏もいない私はよく他の社員から、仕事を押し付けられる事が多い。
確かに、予定とかはないけれど、私にだってたまにはゆっくり休みたい事だってあるのだ。
だけど、断る事も出来ずに、私はその仕事を引き受けてしまう。
「わ、分かった。そこに置いといてくれる?」
「ありがとうございますー!」
後輩はお礼を言うと、嬉しそうに去っていってしまった。
あんなふうにあざとくアピールしている女性は私のちょっと苦手なタイプだ。
男の人はああいう子の方が好きだったりするんだろうか。
そんな事よりも、今日も残業確定である。
最初は好きで始めた仕事だけれど、最近は少し辛くなってきてしまった。
「はぁ……」
溜め息を吐いて、どうにもならない現実と向き合い始める。
しばらく、時間が経つと、部屋にいるのはいつの間にか、私1人になってしまっていた。
まあ、よくある事なので、気を改めて仕事に専念することにした。
すると……
「きゃっ……」
頬に冷たい感触がして、思わず悲鳴をあげてしまった。
慌てて、後ろを振り向いた。
そこには、コーヒーの缶を摘むように持つ春宮君の姿があった。
「白瀬先輩って、結構悲鳴可愛いんですね。驚きました」
「お、驚いたはこっちの台詞よ! 急に何するのよ」
可愛いなんて初めて言われた私は動揺を隠すように、声を大にして、春宮君にぶつける。
「はははっ。そんなに怒らないでくださいよ。コーヒー飲んで頑張ってもらおうと思って」
私が本気で怒っていない事に気付いているからなのだろうか。春宮君は笑っていた。その笑顔が少しだけ、可愛く見えてしまう。
油断していると、春宮君は無言で私のデスクの上に乗っていたまだ終わらせていない資料を何枚か取ると、自分のデスクの方へと歩いていく。
「ちょっと、それ!」
「これまだ終わってないやつですよね? 僕も手伝うので、早く終わらせましょうよ」
そう言うと、春宮君は作業に取り掛かり始めた。春宮君の目は真剣そのものだった。
「な、なによ。もう……」
いきなりの事に戸惑いつつも、内心では嬉しいと思っていた。
いつも1人で仕事をしていて、こんなにも誰かに優しくされた事なんて無かったのだから。
春宮君に貰ったコーヒーの缶を開けて、1口飲む。
コーヒー自体は冷たいのに、私には、春宮君の優しさが伝わってきて、とても温かく感じた。
「あったかい……」
「え? 白瀬先輩、それホットじゃないですよ?」
「わ、分かってるわよ! そのくらい」
まさか聞かれてしまっていたとは不覚。
恥ずかしさを誤魔化すように私は仕事に取り掛かった。
春宮君のおかげで、仕事は私が思っていたよりも早く終わった。
流石はイケメン御曹司。出来る人は違う。
「し、白瀬先輩、今から焼肉でも行きませんか?」
春宮君が突然、そんな提案をしてきた。
しかし、私だってイケメンの思うように、動いてやるつもりはない。
ここで、先輩としての威厳を春宮君に見せてあげる事にした。
「き、今日はやめておくわ。あまりお腹も減っていないし」
どう?春宮君。ご飯の誘いを断られるなんて今までになかったでしょ?
イケメンに勝ったと優越感に浸っていると、バチが当たったのだろうか。
「ぐぅぅぅ……」
「先輩、本当はお腹空いてるんじゃないですか?」
「はい……」
こうして、私達は焼肉を食べに行く事になった。
恥ずかしい。なんでこんな時にお腹なんてなるのよ。恥ずかしさのあまり、顔が紅潮していくのが、自分でも分かってしまう。
「着きましたよ。ここの焼肉本当に美味しいんですよ」
春宮君の案内で、私達は焼肉屋に辿り着いた。
暖簾を潜って2人で中へと入る。
席に着くと、春宮君がメニュー表を私に見せてくる。
「どれでも好きなの頼んじゃってください。今日は僕の奢りなので」
私は先程の経験を活かして、今度はつまらない意地を張らずに素直に甘えておくことにした。
「じゃ、じゃあ食べ放題セットで……」
「食べ放題セットですね。飲み物は何にしますか?」
来た。来てしまった。私にとって年齢と体重の次に質問されて欲しくない質問が。
「あの、その、お、オレンジジュースで……」
「白瀬先輩って可愛いとこありますよね。そんなに恥ずかしがらなくてもいいですって」
「か、可愛いって言うな! 昔から好きなの。オレンジジュース。あと、お酒飲めないし……」
だから、最初断ろうとしたのだ。
春宮君に知られたら、きっといじられると分かっていたから。会社では結構クールなキャラの私が未だにお酒を飲めないなんて他の社員は知らないはずだ。
「お酒を飲めないのは意外でした。てっきり僕は、お酒を大量に飲んで酔ってしまい後輩に愚痴を言いまくるタイプだと思ってました」
いったい私は春宮君にどのように思われているのだろうか。
それにしても、何故だろう。
こうして、春宮君と話しているととても落ち着くのは。
春宮君が注文をした後、しばらくしてから注文した品が運ばれてきた。
「来ましたよ! 先輩。 さあさあ早く食べてください!」
「いや、まだ焼いてないから、生だから」
「あっそうでした。先輩に早く食べて欲しくてつい……」
春宮君は何でも出来る子だと思っていたけれど、結構天然なところもあるみたいだ。
焼けた肉を春宮君が私の皿に入れてくれる。
「どうぞ、先輩」
「う、うん。ありがと」
私はそのお肉を口の中へと入れた。
お肉はとても柔らかくて口の中ですぐに溶けてしまい、あっという間になくなってしまった。
私が食べる様子を春宮君はじっと眺めていた。
「お、美味しい」
「良かったです」
春宮君は満足そうに笑う。
そして、何か思い付いたような表情に代わり、驚くべき発言をした。
「僕はいつか先輩の手料理が食べたいです」
「ちょっ、調子に乗るな……」
慌てて、顔を逸らしてしまった。多分、今の私はとても顔が赤くなっていると思う。顔が物凄く熱い。
手料理が食べたいだなんて、初めて言われた。
私は一人暮らしをしているから、節約の為に自炊をする事はあるけれど、誰かに手料理が食べてみたいなんて言われた事はなかった。
春宮君は私に、今まで味わったことの無い感情を沢山くれる。
これが、良い事なのかどうかは分からないけれど、悪い気はしなかった。
「気が向いたら、今度作ってあげる」
「え? 本当ですか? じゃあ楽しみに待ってます」
春宮君はそう言って、お肉を頬張った。
満足げにしている彼の姿がとても温かく感じる。
こんな顔を見せられては、言えるはずがない。
君の事が好きになってしまったなんて。
でも、たまにはこういった日があってもいいのではないかと思いながら、私はオレンジジュースを飲んだ。
オレンジジュースからは甘酸っぱい恋の味がした。
最初はイケメン御曹司と普通のOLの恋愛が見てみたいと頼まれて書いてみた話ですが、この2人の話は書いていて、面白かったです。
イケメン御曹司と普通のOLの恋愛になっているのかはともかくとして……
もしも、続きが読みたいという方がいれば、どこかのタイミングで続きも載せられたらと思います。
評価、感想を頂けると幸いです。