後篇「わたし、お星さまになるの!」
猫のぬいぐるみの、見間違えの件もある。少し冷静になって、考えなおそう。
もしかしたら、親がこの子を待たせているわけではなく、この子が迷子になっているのではなかろうか?
そういえば「白い服と赤いスカートの迷子を探しています」みたいなアナウンスを、下のデパートで聞いたような覚えもある。
……などと、私が考えている間に。
幼女は天井を見上げて、何やら語り出していた。
「お星さまか……。いいなあ。わたし、お星さまには、なれないからなあ」
やはり、小さな子供なのだろう。
プラネタリウムに来て、星に憧れる。それは良いのだが、人が星になるというのは、天国へ行くということだ。そうした言葉の意味は、まだよくわからない年齢らしい。
「縁起でもない……」
ボソッと呟いた私に向かって、幼女は再び問いかけてきた。
「おじさんは、なぜ本物の星じゃなく、プラネタリウムを見てるの?」
「それしか見られないからね」
軽く苦笑いしながら答えると、さらに子供の質問は続く。
「なぜ?」
「東京の空では、本物の星は、よく見えないんだよ。都会の夜は、星空の鑑賞には明るすぎるから」
「東京の空?」
「そうだよ。わかるかな? 街の灯りから離れた、自然いっぱいの田舎まで行けば話は別だけど……」
「じゃあ、なぜ行かないの?」
「なぜって、そりゃあ……」
私は一瞬、言葉に詰まった。
すると幼女は、また話題を変える。
「わたし、にゃーちゃんと違って、良くない子だから。お星さまには、なれないの」
「にゃーちゃん? 良くない子?」
「にゃーちゃんは、死んじゃった猫。わたしより先に……」
幼女は私から目を逸らして、腕の中のぬいぐるみをギュッと抱きしめた。
ああ、これは亡くなった飼い猫の代わりだったのか。
一つ理解できた私に、幼女は言葉を続ける。
「パパやママより先に死んじゃう子供は、良くない子なんだって。一人じゃ天国にも行けないんだって。そういうルールなんだって。だから……」
ここで幼女は、私に視線を戻した。その瞳に宿るのは、強い意志の光。星にも負けない、強い輝き。
「……わたし、ここでパパを待ってるの。一緒に天国へ連れてってくれるのを、ずっと待ってるの」
事ここに至り、ようやく私は理解できた。
この子が私の隣に現れたのが、いきなりだったわけを。
「まさか、君は幽霊……」
おびえたような私の声色に、幼女は悲しそうな顔をする。
「ようやくわかってくれた。でも、まだ、そこまでなのね」
「そこまで……?」
これ以上、まだ何か秘密があるのだろうか。そう思って私は聞き返したが、幼女は答えずに、先ほどの質問に戻った。
「おじさん、なぜ田舎へは行けないの?」
「それは……」
わからない。
仕事が忙しくて暇がない、という理由でもないはずだ。
では、なぜ……。
「まるで、この土地に縛られているかのような……」
そんな言葉が無意識のうちに、私の口から飛び出してしまう。
それを聞いて、ようやく幼女は笑顔になった。
「あ、やっとわかった?」
そうだ。
彼女の先ほどの「同じって言うから、期待したのになあ」という発言の真意。
私も彼女と同じく、地縛霊だったのだ!
何か未練があって、成仏できずに……。
そこまで考えが及んだ瞬間。
唐突に、迷子のアナウンスの件を思い出した。
あれは、聞いたのではない。
私が頼んだアナウンスだ!
息を切らして、デパートの迷子センターに駆け込んだ私。受付をしていたお姉さんの表情や、クリーム色に塗られた迷子センターの壁のタイルなど、あのとき視界に入った全ての光景が、今でも目に浮かぶようだった。
もう、はるか昔の話なのに。
「ああ、そうか。私の未練は……」
愛しさを込めて、あらためて私は隣に目を向ける。
「……ここにいたのか、さゆり」
「ようやく思い出してくれた! これで一緒に天国へ行けるね、パパ!」
私より十年も早くに亡くなった愛娘が、嬉しそうに、私に飛びついてきた。
「待たせてごめん、さゆり」
おぼろげな霊体の腕で、肉体のない娘の魂を、しっかりと強く抱きしめる。
幻想が晴れてみれば、私がいたのは、もう何年も前に取り壊されたプラネタリウムの跡地だった。
他の観客など一人も来ていないし、天井には穴のあいた部分もある。打ち捨てられたままの投影装置は、すっかり埃をかぶっていた。
もはや、ここにいても意味はない。
だから……。
「行こう、さゆり」
「うん!」
さゆりと一緒に、私は星になった。
(「猫の幼女とプラネタリウム」完)