おっさんは猫とたわむれる
机に山と積まれた書類が崩れ落ちたのはギルド内に怒声が響き渡ったからだ、とわたくしは思いました。怒号に驚いて逃げた子猫が散らかしたはずはありません。もふもふちゃんはそんな悪い子ではありません。
眼鏡のブリッジをクイと上げ、その怒鳴った人物を盗み見ます。
あぁ、また彼ですか。
「いーじゃんかよー。俺が誰だか知らないわけじゃないだろ?」
どことなく幼げな青年アーレンが受付嬢に声を張り上げています。
だまっていればイケメンなのに、口の聞き方に品がないから女性からは避けられてる、このギルドで一番の腕利きです。
もったいないですねぇ。
「ですが、決まりは決ま――」
「だー、話になんねぇ! いーや、ギルド長に直談判してくるから!」
アーレンがバンと受付カウンター叩き吐き捨てたので、受付嬢がヒッっと短い悲鳴を上げてしまいました。かわいそうに肩が震えています。
歪めた口のまま事務スペースを睥睨する彼と目があいました。
眉間がクレバスになってます。コワイです。
「んだよオッサン! 見てんじゃねえ」
殺気のこもった視線がわたくしに注がれました。他の職員は目を合わさないように俯いてるばかりです。
彼がその気になったらすぐに殺されてしまいますからね。そりゃー怖いですよね。
いたしかたありません、わたくしが生贄になりましょう。
「申し訳ありません」
深々と頭を下げます。素行不良ですが、彼がこのギルドの稼ぎ頭です。機嫌を損ねるとギルドの売り上げに響きますし、なにより非常に面倒です。
「オッサンになっても書類整理しかできないなんて、情けねーと思わねーのかね!」
床に唾を吐き棄て、アーレンが足早に去っていきます。嵐が去ったからか、職員たちの肩の力が抜けていくのが眼鏡の片隅に映ります。
アーレンはカッとなると暴れ牛みたいになってしまって事務員じゃ手に負えなくなってしまいますので、仕方のないことです。
素行が良くなれば冒険者としても一級品になるんでしょうが。もったいないですねぇ。
しかし、彼が去ったことでギルドに平穏が訪れて、他の冒険者たちがカウンターに集まってきました。
静かになったからか、子猫のもふもふちゃんも戻ってきました。みーと鳴いておやつのおねだりですか。いい身分ですね。
さて、業務再開です。
あ、紹介が遅れました。わたくし、ダンクットの冒険者ギルドで事務をやっておりますダイスと申します。
齢50を数えます、オッサンでございます。
取り柄は猫に懐かれやすいのと、お酒が強いことですか。
メガネダンディと言われるのが夢でございますが、そうおっしゃってくれる方は今のところおりません。
悲しみに枕を濡らす毎日でございます。
あ、お前のことはいいと。黙ってろと。
では、僭越ではございますが、簡単ながら弊ギルドのご説明でも。
弊ギルドはダンジョン都市ダンクットに居を構える冒険者ギルドでございまして、所属冒険者はおよそ200名程となっております。
周辺の冒険者ギルドの中では、程ほどに大きなギルドとなっております。
ダンジョン都市とは何であるか、でございますか。ダンジョンがある都市でございます。
かいつまんでご説明いたしますと、ダンジョンとは神々がお戯れでおつくりになられたもので、その最奥にはダンジョンマスターと呼称される管理者が住まう人工的な迷宮でございます。
神さまがおつくりになられたので〝神工的〟と呼べば良いのかもしれませんが。
冒険者は、そこに発生する魔物、つまりモンスターを狩っては弊ギルドに売ることによって生計をなす、という職業な方々でございます。
弊ギルドはそれを素材としてダンクットの商工会議所に卸すことで、成り立っているのでございます。
件の彼は弊ギルドで最上位の力を有する冒険者です。さらには転生者でもあります。
転生者とは、他の世界で若くして命を散らした人間が、神々が哀れと思い転生させられ、あまつさえ常人を軽く凌駕する能力まで与えられた方々をさします。
弊ギルドでは彼のほかに数人いらっしゃいますが、おしなべて情調が不安定な方が多く、ギルド職員も日々恐々としております。
え、説明はもういい?
これは失礼いたしました、長々と話してしまい、まことに申し訳ありません。
「んだよ! 無視かよ!」
奥に行ったはずのアーレンの怒声が聞こえてきました。直談判にギルド長の部屋に行ったはずですが、おそらく門前払いを食らったのでしょう。
それにしても、もう少し穏やかにしていただけると、ギルド内も平和なのですが。
「神が与えた俺の力を侮りやがって! 馬鹿にするなッ! 俺は最強なんだぞ!」
床を踏み抜かんばかりな音をたて、アーレンがカウンターの前を歩いていきます。他の冒険者たちは肩をすぼませて暴風雨が通り過ぎるのを耐えております。
子猫ちゃんをなでなでしながら事の成り行きをぼーっと眺めていたわたくしを一瞥して、彼はギルドの扉を蹴り開けていきました。あぁ恐ろしい。
ま、気を取り直して子猫ちゃんを撫でる作業に戻りましょう。
あ、書類にも目を通さねばいけませんね。
「ダイスさーん、ギルド長がお呼びでーす」
先程アーレンに対応していた受付嬢が声をかけてきました。わたくしが身代わりになったからでしょうか、ぱんと両手を合わせて拝まれてしまいました。大丈夫です、慣れっこですから。
「わかりました。少々席を外します」
子猫ちゃんを解放し、隣にいる同僚に声をかけ、ギルド長の部屋へ向かいます。
カウンターの奥の、扉が並ぶ廊下を少し進めば、花が飾られている扉が見えます。ここがギルド長の部屋です。
ギルド支給の服を軽く叩き、埃を落とします。身だしなみにはうるさい方なので。
少し息を吐いて緊張を解してから扉をノックします。
「ダイスです」
「入ってくれ」
低目な女性の声が返ってきます。弊ギルドの長は女性なのです。
それはそれは麗しいお方なのですが、普段は部屋に引きこもってあまりお出になりません。
ギルド職員の間では、ギルド長のお姿を拝見すると、その年は良いことがあると、まことしやかにささやかれております。
「さっさと入れ」
おっとお叱りです。ゆっくり扉を開け「失礼します」と部屋に入ります。
部屋の奥にギルド長の執務机がドデンと構えられ、その前には応対用の豪奢なテーブルがあり、それを囲うようにすわり心地が良いソファが並べられております。
壁には、わたくしには価値がわからない絵画が飾られ、殺風景なギルドとは一線どころか二線も画す佇まいです。
執務机には、ギルド長の神々しいお姿が。
黄金よりも輝くそのブロンドを、もったいなくも肩口で切り揃え、陶器よりも白い肌をもち、女神という言葉がぴったりな美貌。
切れ長な目に浮かぶ瑠璃色の瞳がわたくしを射抜きます。
あぁ麗しのギルド長、エイラ様です。
「キモいからこっち見るな」
我が敬愛する女神様は不機嫌です。超絶に不機嫌です。
ギルド長はその執務机に足を放り投げ、葉巻を咥えられております。
足を上げておられるせいで深紅のスカートが盛大にめくれており、本来ならば隠れているくるぶしが丸見えです。艶やかなふくらはぎまでもが露わになってしまっています。
いけません、露出過剰です。サイコーです。時よ止まれと祈りたい気分です。
「わたくしの眼前に顕現された、世界の秘宝ともいうべきエイラ様のおみ足から目を背けるなど最高級の犯罪です。わたくしにはできかねます」
「ならば死ね」
「あぁ、エイラ様のためならば喜んでこの身を捧げましょう!」
「……キモいから死ななくていい」
エイラ様は足を下ろされてしまいました。太陽が消滅し、この世界が闇に包まれたようです。
ショックで寝込んでしまいそうですが、わたくしの瞼にはくっきりと刻み込まれましたので、いつでも思い出すことができます。夜が楽しみです。
「まぁ座れ」
デコピンの仕草でソファを指されました。おとなしく腰を下ろします。
「してギルド長。如何な用件でしょうか?」
わたくしが顔を向けると、エイラ様はふんと鼻を鳴らしました。
「そっちの要件ではない」
エイラ様はぎしっと背もたれに身を預けました。そのひとことでわたくしは察しました。
「ではエルソーダス様。天秤が傾いたのですか?」
「あぁこれ以上は看過できん」
エイラ様の端正な顔が歪みます。
あぁ、わたくしはそのお顔を見たくないのです。
苦しみに耐えるその姿を見ると、わたくしの胸の奥が軋みます。空虚なはずのわたくしの胸が、声なき悲鳴で満たされてしまうのです。
「アーレンの件で?」
エイラ様は眉を顰めたまま、黙って頷かれました。
「第7区画の酒場の女中のマオが、夜闇に浚われた」
そう切り出したエイラ様の唇が震えています。淡々と紡ぐ言葉の端々に怒り感じるのは気のせいではないでしょう。
「酒場を閉めるために表を片付けに出てから帰ってこなかったようだ」
手にした書類をわたくしに放り投げます。
「彼女は翌朝、変わり果てた姿で発見された。口に出すことも憚られる有様だった。彼女は、来月結婚することになっていたらしい」
「こんなことができるのは転生者しかおらん」と吐き捨てておられます。
わたくしは言葉を出すことができません。腹の底に黒く冷たい何かが這いずっています。
ですが、言わなければなりません。
「彼だという証拠は」
ダンジョン都市ダンクットに強姦や殺人が無いわけではありません。身寄りのない子供や女性が闇に売られていくことは、良くあることなのです。
平和に見える景色の中にも、光が届かない陰があるのです。
素行が悪いからと言って、簡単に決めつけるのは軽率です。
「ない。ないが、奴がマオにしつこく絡んでいた噂は聞いている。それに悪魔のようなソレをなしえるのは転生者しかおらん」
エイラ様が机に拳を振り落としました。部屋が揺れた気がします。
余程の怒りです。
わたしは書類に目を落としました。文字を追うごとに眉間に力が入り、紙に皺が寄ります。
エイラ様をこうさせてしまった理由が良くわかりました。
「ダイス。証拠を掴んで処分せよ」
わたくしは無言で首を垂れました。
ギルド長の部屋を退出したわたくしは自席には戻らず、そのままギルドの裏口へと向かいます。エルソーダス様の命令は絶対であり、即実行されるべきものなのです。
敬愛するギルド長を憂鬱の沼に浸らせる輩など、灰になればいいのです。
「どうしてこう転生者は問題を起こすのでしょう」
裏口から影のようにぬるりと這い出ます。わたくしはオッサンなので気にも留められません。
悲しくなんかなんかありません。涙も出ません。
すみません、ちょっと強がりました。
ちょっぴり寂しいです。
存在くらい気がついてほしいです。眼鏡を外し、そっと腕で拭き取ります。
さて、ギルドを出たわたくしは第7区画に足を向けます。ギルドは大通りに面していて馬車や道行く人も多いです。早足には向かないので角を曲がり、裏通りを抜けます。
地面にへたり込む浮浪者を横目に、建物が密集した薄暗い通りを急ぎます。
第7区画は、わたくしの足でも10分はかかります。
オッサンの足だと侮らないでください。カタツムリよりは速いんです。
そうこうしているうちに、第7区画につきました。ここはダンクットの歓楽街です。
宿場酒場はもちろん、娼館も軒を連ねています。まだ時間が早いので人影はまばらです。
犠牲になったマオは、第7区画の端にある、比較的こじんまりとした酒場の女中です。
横道は明かりもなく、夜は闇に包まれてしまうことでしょう。
わたくしは、彼女の亡骸が発見された店の正面に立っています。こんなことがあっても店は開店準備に余念がないようです。
彼らにも生活があり、酒を求める客がいる以上、普段を継続しなければいけません。
感情は、脇に置いておかねばならないのでしょう。
現実は無情です。
「なー」
わたくしの足元に黒猫がすりすりしていました。やるかたない感情に沈んでいたので、気がつきませんでした。
わたくしは黒猫の前足の脇に両手をさしいれ、目線まで持ち上げます。
満月色の瞳をじっと見つめ、質します。
「このあたりのボス猫は、どなたですか?」
黒猫に案内された先に、ボス猫はいました。犬と見紛うほど巨大でふっさふさなクリーム色の虎猫です。モフモフに隠れるようなタマタマがあるので男の子ですね。
周囲には、彼のハーレム要員なのでしょうか、白猫黒猫三毛猫虎猫が、ぐでっと寝そべっています。
しだれかかっているようで何とも艶めかしく、なでなでしたい欲求に駆られますが、ここは自重です。
マテの精神超大事です。
ボス猫君はふてぶてしい顔でわたくしを見つめています。
なんだこのオッサン、くらいにしか思ってない感じです。悔しいですが事実です。
「聞きたいことがあるのですが」
わたくしが地に膝をついて声をかけてもふわーと欠伸のお返事です。
よろしい、話をしたくなるようにして差し上げましょう。
懐に手を入れ、隠し持っていたブツを取り出します。
ギルドの子猫ちゃん用の隠しアイテムだったのですが致し方ありません。特別サービスです。
取り出したのは布袋です。ボス猫の髭が揺れました。
袋の口を拡げれば、彼のお尻が浮き上がります。
ブツの正体に気がついたようで、鼻をひくひくさせて近づいてきます。
「これですか?」
わたくしはわざと袋を高い位置に持ち上げます。じらしプレイです。
彼は袋を凝視して、微動だにしません。
中身は特性の木天蓼団子です。一口かじっただけでも幸せ物質に包まれてうにゃうにゃ地面を転げまわってしまう、魔性のアイテムです。
結構お高いのですよ?
「わたくしの質問に答えていただければ、差し上げますよ?」
ボス猫はぴたっと動きを止めました。いい子です。
「昨晩、闇にまぎれた惨劇を見かけた猫ちゃんが、お知り合いにいらっしゃいませんか?」
わたくしは、夕闇に包まれかけている歓楽街を歩いています。
酒場からは楽しげな会話が漏れ、笑い声も聞こえます。冒険者のみならず労働者も日々の疲れを癒しています。酔った勢いで娼館に突撃する若者もいます。活気ある歓楽街の、いつもの風景です
残虐に殺された彼女の弔いなど、欠片も見られません。
わたくしは、胸の奥にわだかまるものを感じながら、目的の人物を探します。
そして、彼は来ました。すでに酔っているのか、足元がおぼつかない様子です。
わたくしはすすっと近寄り、すれ違いざまにわざとぶつかりました。
「ってぇな! どこに目ぇつけて……」
わたくしは、怒鳴る彼の目を見つめ、にやりと口角を上げました。
大きく見開いた彼の目で、酔いが急速に醒めていくのが手に取るようにわかります。
わたくしは顔を背け、脇道の闇に向って走ります。
「な、ちょ、まて!」
背中に彼の困惑の声を受けつつ、人波の合間を猫のようにすり抜けます。
追いかけっこみたいで、ちょっと楽しいです。
通りの明かりから置き去りにされた闇に滑り込みます。
転ばないように少し進んで、振り返ってアーレンを待ちます。
じゃりっと土を踏む音が近づいてきます。魔法が使える彼には、わたくしの姿が見えていることでしょう。
「な、なんで、なんで生きてるんだ、マオ!」
彼には、わたくしがマオに見えているのでしょう。おかしなことですが、真実でもあります。
「ふふふ、そんなにおかしなことですか?」
わたくしは口の手を当て、言葉を返します。彼の眦が吊り上っていき、髪が逆立っていくのがわかります。まさに怒髪天です。
「お前は、何者だ!」
アーレンが叫びますが、その焦り声は闇に溶け込んで消えました。周囲に感じるものはなく、生命の気配もありません。
この空間には、わたくしとアーレンしか存在しておりませんので、当然なのですが。
「転生者は、神から与えられた特別な力で、いくつもの魔法を操れるのですよね」
わたくしは、努めて冷静に言葉を紡ぎます。
「月のない夜でも見通せる魔法がありますよね。姿を消せる魔法も。そして人を残忍に切り刻み、回復させる魔法も」
「なにが言いたい!」
「様々な魔法を使えるのは、弊ギルドではごく一握りの冒険者しかいません。有体に言えば、転生者です」
「だからなんだ! そんなの魔法使いが何人かいればできることだろう!」
彼が一歩踏み出しました。あわせるように私は一歩下がります。
アーレンが言うように、魔法を使える人物が複数いれば、同様なことは可能です。だからこそ、エイラ様は証拠を掴め、とおっしゃったわけです。
「貴方は鋭利な魔法でマオの手足を斬り飛ばし、その傷を治癒魔法で治しました。手足はとれたままで。そして口を糸で縫い付けました」
アーレンの足が止まりました。
「マオは白濁した体液にまみれ、手足をもがれた状態で発見されたそうです」
つまり、
「貴方は手足を無くした状態の彼女を犯したのです。抵抗もできない彼女を、なすがままに」
言葉にするだけで吐き気がします。
「口を縫われ、悲鳴を上げることすらできなかったでしょう。発見時、彼女の頬には涙の痕がくっきりと残っていたそうです」
言葉にするごとに、彼女の無念さがわたくしの頭に染み込んできます。手に届くはずだった幸せが崩れ去る、生爪を剥がされるような痛みと絶叫がわたくしを満たしていきます。
「だ、だからなんだってンだ! 裏切ったのはお前だろう! 俺に気があるそぶりしやがって、裏では他の男と結婚する約束まで!」
アーレンが叫びます。地団駄まで。
情けないとは思いますが、それほどまでに想っていたのは間違いないのですね。
「あなたは毎晩のようにマオのいる酒場に来てはしつこく言い寄っていたそうですね」
ボス猫君に紹介してもらった猫ちゃんから聞いたことですが。
「マオは嫌がっていなかった!」
「彼女の婚約者は鍛冶職人でしかなく、転生者である貴方の暴力を恐れて間には入れなかったそうです。マオは仕方なく、貴方の相手をしていたんでしょう」
それが、アーレンにはどう映ったのでしょうか。
力を持ち増長する人間は、その目を曇らせがちです。
自分が特別な存在だと思っているアーレンであれば、道を踏み外しかねません。
そうあって欲しくはなかったのですが、悲しい結末が生まれてしまいました。
わたくしの空虚な胸が悲しみと憎悪で埋まっていくのがわかります。
「なんでだ! この世界は力が正義だろう!」
「……正義ってなんですかね。美味しいものですか?」
「な、なに言ってんだお前」
「力があるから振り向いてくれるわけではないのですよ」
アーレンが顔を歪めています。訳が分からないのでしょうね。
「み、惨めに死んだ俺を哀れに思った神が生まれ変わらせてくれたんだ! 好きに生きるのが神の意志なんだ!」
アーレンは意味不明なことを口走り始めました。混乱しすぎて気が触れてしまったのでしょうか。
「神があなたを転生させたのは、哀れに思ったからであることは間違いありません。二度目の人生を悔いなきよう楽しんでほしかったのです」
「だったら、好きに生きて良いだろうが! その為の力だろう!」
アーレンが、懐から短剣を取り出しました。闇の中でも青白く輝いております。ミスリル銀の短剣でしょうか。
物騒な獲物はしまっていただきたいのですが。
「これが、その力だ!」
アーレンが叫んで投げた短剣は、わたくしの額に刺さりました。見事的中です。
でも、そんなものは、わたくしには効かないのですよ。
「この程度の力では、わたくしは滅せることはできないのですよ」
額に刺さった短剣の柄に手を添え、ずぶりと刺しいれます。名状しがたい感触がわたくしの頭を貫きます。
とぷん、とわたくしの頭は短剣を呑みこみました。
「ば、ばけもの……」
心外です。転生者のような化け物的な力を持った方に言われるのは、非常に心外です。
エイラ様に罵られたらご褒美なのですが。
「当たらずとも遠からず、というところでしょう」
わたくしは腕をひろげ、アーレンに歩み寄ります。
「クソッ、燃えろ!」
アーレンが掲げた腕から炎が吹き上がりました。全てを焼き尽くさんとする破滅の焔に見えます。
「灰になれェェ!」
アーレンが振り下ろすと同時に、焔の大蛇が迫ってきます。とても熱そうです。
でも、それも無効です。
わたくしはその焔を胸で受け止めます。全身が、空間が、一瞬にして赤く染まってしまいました。眼鏡が灼熱に歪み始めています。
高かったのに。
弁償してくださいね。
「この焔には、悲しみが詰まっているように感じます」
泣き叫ぶ声が、わたくしには聞こえています。やり場のない感情が、絶叫しているのです。
涙が流れるままにしゃくりあげる男の子が、わたくしには見えました。
アーレンが感じた嫉妬や悲しみが、この焔には宿っていました。本気だったのでしょうね。
わたくしは、焔を胸に呑みこませました。
空間は、闇色に上書きされます。
わたくしの前には、小鹿のように怯えるアーレンがいます。
そんな化け物を見る目で見ないでいただきたい。
これがわたくし役目なのですから。
「い、いやだ!」
腰を抜かしてしまったのでしょうか、アーレンがへたり込んでしまいました。
怖がらなくっても大丈夫です。
「さぁ、行きましょう」
「くるな、くるなぁぁぁ! 死にたくないぃぃぃ!! もう死にたくない!!」
白目をむいて絶叫するアーレンの頭を、わたくしはやさしく胸に抱きます。
ずるり、ずるりと、彼の頭を胸に呑みこませます。
彼の記憶が、わたくしの中に流れ込んできます。
やせ細った女性の前で泣きじゃくる幼子が見えます。おそらく、幼子はアーレンなのでしょう。
病気か何かで先が見えているのか、彼女は優しそうな笑みで、彼の頭を撫でています。
少し大きくなった彼が、男性と言い合いをしています。面持ちが似ているところから、彼の父親なのでしょう。
言い合う間も、アーレンの目には涙が溢れています。
どうにもできない感情に振り舞わされてしまっているのでしょうか。
道を行く彼に、何者かが石を投げています。アーレンは俯いたまま、歩き続けています。
大きな石に躓き、アーレンが転びました。彼は蹲ったまま動きません。膝を抱えた彼の視線は、空虚に消えています。
わたくしは彼の横に膝をつき、目線を合わせました。彼はわたくしを見上げてきます。
ゆっくりと手を差し伸べます。
「……もう、大丈夫です」
彼はおずおずとですが、わたくしの手を取ってくれました。小さな手を握ります。
「さて、行きましょうか」
わたくしは、立上りました。
わたくしはギルド長の部屋で、その儚くも麗しいご尊顔を拝見しています。膝の上には真っ白な子猫ちゃん。生まれたてほやほやで掌に乗せられる大きさです。
「で、それがアーレンか」
子猫ちゃんを見た後に、生ごみを見る目でわたくしを見ないでください。背筋がゾクゾクしてしまいます。
「えぇ、わたくしが取り込んで、子猫として再生成いたしました」
これが、わたくしの存在意義であり役目です。
わたくしは、人間の罪を推し量る天秤を有する〝天秤の女神〟エルソーダス様の使徒にしてその一部。
空虚を包容する、中身のないオッサンです。
エルソーダス様の天秤が、罪によって傾いた時、断罪されるのです。その代償は、犯した罪により決まります。
わたくしは、道を外れた転生者を、その問題ごと取り込み、猫という形で再び生を歩ませます。
この猫としてのは生は仮初です。
いずれまた人間として生まれ変わるまで、消すことがかなわなかった前世の傷を癒してもらうのです。
罪で傾いた天秤は、元に戻さなければなりません。
罪と同じだけの罰を。
前に向くための糧を。
過去と決別した生を。
その対極の皿に乗せるのです。
「アーレンは、どんな闇を抱えていたのだ?」
エイラ様がつまらなさそうに聞いてきます。
「彼は幼いころに母親を亡くし、そのことをずっと引きずっていたようです」
「……あたたかさを消失していたのか」
「彼の父親は懸命に育てていたのですが、想いのボタンを掛け違ってしまったのでしょう。喧嘩ばかりだったようです」
わたくしは、彼を取り込んだ時を思い出します。
小さかった躓きは、大きくなっても抜けない棘となって彼に刺さっていました。
アーレンがマオに固執していたのも、母親のぬくもりが欲しかったのかもしれません。
理から外れた巨大な力をもち、母性を求める本能が過剰になった面もあるのでしょうが。
この残虐な結末を、回避することは可能だったのか。
個人の資質に左右される問題なので、わたくしではわかりかねます。
子猫がよたよたとエイラ様の元に向います。エイラ様は、つまらなそうな顔でひょいっとつまみ上げ、その御手に乗せました。
「今生は、猫の様にのんびり好き勝手に生きろ」
指先で額の辺りをかりかりしています。
なんだかんだと、エイラ様はお優しいのです。
天秤の女神は断罪するだけで、道を示すことはできません。
仮初の猫の生は、せめてもの手向けなのです。
「なぁダイス。なんで猫ばかりなのだ。犬でもいいではないか」
「わたくしの趣味です」
エイラ様がむすっとされてもここは引けません。男には引いてはならない時があるのです。
「ふん、使徒から外してくれようか」
「次は子犬にしましょう。どのような犬がお好きですか?」
長いものには巻かれるべきです。それが敬愛する〝天秤の女神〟エルソーダス様のご意志ならば。
「まぁいい。この度はご苦労だったな」
エイラ様の口もとが、わずかながらに弧を描いておりました。
ギルド長の部屋を退出したわたくしは、自席へ戻りました。昨日サボタージュした分の書類が山積みされております。げんなりです。
「なーご」
足元に三毛猫がやってきました。わたくしが飼っているわけではありませんが、オヤツをあげているうちに懐かれました。頭をなでなでしてもふもふを堪能します。あぁ天にも昇る気持ちです。
「ダイスさん、ギルド長は今日も美しかったですか?」
隣の同僚が聞いてきました。他の事務員も、冒険者すらも、聞き耳を立てているようです。
「グレイトでスペッシャルで超ビューティフルでした」
わたくしは満面の笑みで親指を立てます。
「いーなーダイスさんばっかり」
「わたし、2か月もお姿を見てないの」
「俺なんかギルドに入った時以来3年は見てねえってのに」
みなは不平を口にします。わたくしは気にせず、猫ちゃんを抱き上げ足の上に乗せます。猫ちゃんの眉間の辺りをカリカリしてあげれば蕩けるように丸まります。天然湯たんぽのできあがりです。
「オッサンゆえの安心感があるのでしょう。へたれなこいつなら何もできない、と」
わたくしは眼鏡をクイとあげ、へらっと笑います。
「ちげえねえ」
「あはは」
「でもいーなー」
反応は様々ですが、これもいつものこと。
わたくしはオッサン。
アーレン君の言うように、書類整理しかできません。
あ、猫ちゃんとは仲良しですよ。